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10羽目「全てを終わりにするための」

「電車、()いてるね」

 乗客がほとんどいない車内を見渡して未帆が言った。始発電車だけあって、制服姿の学生は僕達だけだ。

 高いビルがひしめきあう場所から閑静な住宅街へ、車窓の景色はころころ変わっていく。時折射し込んでくる朝日に目を細めながら、先ほどのことを思い出していた。

 未帆はどうしてあんなことを言い出したのか。新は何故、謝ったのだろう。それに“傷つけてた”とはどういう意味だろうか。ふられたのは新の方じゃないのか。

 僕は瞼を閉じてゆっくりと息を吐いた。

 もう何だっていいや。全てが分かったところで、何をどうするというわけでもないのだから。

 踏切の警報音が近づいて、またすぐに遠ざかっていく。その音が完全に耳の中から消えた頃、未帆が口を開いた。

「私ね、新が好きだった」

 突然の告白だった。驚きで周囲の音が聞こえなくなる。そして、やっぱり僕の一方通行だったんだと悲しくなった。未帆の気持ちが違うところに向いているのは何となく分かっていたけれど、胸は当然のように痛んだ。

「だから告白された時、嬉しかった」

「じゃあ、どうしてふったの?」

「……新が本当に好きなのは私じゃなかったの。他にもっともーっと好きな人がいて、その人の側にいたかったから、私に……」

 未帆の瞳が寂しそうに、流れる景色を映していた。彼女もまた辛い思いをしていたのだ。

 何て言葉を掛ければいいのか悩んだけれど、変に気を遣うのはやめることにした。

「誰だろうね、それ。高校の奴かな」

 その言葉にきょとんとする未帆。

「え、何」

 彼女は呆れたという風に、はあ、と小さな溜め息を吐いた。

 その様子からすると、彼女は“その人”が誰なのか分かっているのだろう。溜め息を吐くぐらいだから、僕も知っている人間なのだろうか。

 少し考えてみたけれど全く見当が付かなかった。

「私の一番近くに居るのは一希でしょ。どうして分からないの」

 未帆はそっぽを向いて言った。

 僕は彼女の言葉にはっとした。

「まさか……」そう呟いて早送りされる景色を眺めた。

「……全然、気づかなかったな」



 車内アナウンスが流れ、電車がゆっくりと駅に止まった。電子音と共に扉が開く。

 ホームに鳩がいた。むっくりとしていて健康的だった。きっと電車を待つ人からたくさん餌を貰っているのだろう。

 扉が閉まると同時に、その鳩はどこかへ飛んでいった。

 狭い世界に閉じこもっていた僕達なんかよりずっと、世の渡り方を熟知していると思った。



 2時間と少し電車に揺られ、僕と未帆は懐かしい場所へ来ていた。

 改札を出ると、強い風に吹かれた。頭上には綺麗な青空が広がっている。

 訪れたのは、まだ家族が4人だった頃に住んでいた町だった。

 幼少時代を過ごした、よく知っている場所のはずなのに何処かよそよそしく感じた。駅前の交差点も、こぢんまりとした商店街も、以前とは少し違うように見える。

「……前と変わったな」

 8年ぐらい経ってるし当然か、そう続けようとした瞬間、隣にいる未帆が首を左右に動かした。

「ううん、変わってない。全部あの頃のままだよ。……私達の方が勝手に変わっただけ」

 僕は遠くに目を向けた。建物が少ないため、青空と山々がよく見える。

 そんな景色を前に、自然と昔のことが脳裏に浮かんだ。


 僕達は町外れにある小さな白壁のアパートに住んでいた。

 両親の怒鳴り声を聞いているのが嫌で、よく近所の公園に逃げ込んだ。夏は虫に刺されるし、冬は凍えそうなくらい寒かった。そんな苦い記憶ばかりが蘇ってくる。

 それでも、あの時はまだ温かさが残っていた。現在(いま)よりずっと家族だった。

 元を辿ると、全部僕が悪いような気がして仕方ない。だって最初に間違いを犯したのは僕なのだから。

 真っ直ぐな道を進んでいくと、以前通っていた小学校が見えた。

「お父さんね」

 唐突に、未帆が言った。

 “お父さん”、その懐かしい響きに少しだけ胸が締め付けられる。

 僕が反応を示すと、彼女は淡々と続けた。

「家を出て行く前の晩にお母さんと喧嘩してたの。一希は寝てたけど、私はたまたま起きてて2人の喧嘩をこっそり見てた」

 本当に最後の最後まで喧嘩をしていたんだと、僕は呆れて何も言えなかった。怒鳴り合う両親の姿を想像するのは簡単だった。

(ののし)り合いがしばらく続いて、激昂したお父さんはお母さんの顔を叩いた。『全部、お前のせいだ』って」

 それを聞いた瞬間に、心臓が波打った。

『あなたまで私が悪いって言うの』そう涙を流す母が脳内に蘇る。

「お母さんが泣いてる姿を見たのはその時が初めてだった。……すごく悲しくて、怖かった。お父さんなんか大嫌い、居なくなれって思った」

 未帆の目に涙が(にじ)んでいた。風に揺れる髪の毛を手で押さえながら彼女は続けた。

「引っ越してからは、もうお母さんが泣かないように精一杯気を遣った。……でも、何でだろうね。いつの間にか自分から関わることを止めてたの」

 先に拒絶したのは自分だった、そう言って彼女は瞳から流れる雫を乱暴に拭った。

 僕は一人、足を止めた。

 未帆の話を聞いて、自分は随分と浅はかな考えを持っていたんだと気づいた。彼女の性格が変わった理由も、彼女に対して母が冷たくなった理由も、僕が思っているものとは違うのかもしれない。

 突然、未帆はくるりと振り向いて力なく笑った。

「自分のせいでこう(・・)なったとか思わないで。一希が居なかったら、私はここまで耐えきれなかった」


 その瞬間、自分の両目から雫が流れ落ちた。

 僕が泣くなんてお門違いも(はなは)だしいと分かっているけれど、未帆の優しさがこれ以上ない程に胸に染みて、涙は止まりそうもなかった。

「この町は、一希を泣き虫にさせちゃうね」

 そう言いながら未帆は近寄ってくると、僕の頬に手のひらを当てた。彼女の透き通った瞳が優しく細められる。


 僕達は互いの存在を確かめるように手を繋ぎ、強い決意を抱いて再び歩き始めた。

 この一歩一歩は無意味なものではない。僕達を囲う檻を壊して、全てを終わりにするための────。




 了

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