1話「双子の姉」
運命というものがなければ、こんなに息苦しい思いはしなかった。
けれど、運命というものがなければ、こんなに愛しい気持ちも生まれなかったのだと思う。
僕達を結ぶのは運命の赤い糸なんてそんな綺麗なものじゃない。
錆びた鎖のように、重く、けれど少しの衝撃で切れてしまいそうな、脆い糸。
朝、僕はいつもと変わらず学校へと向かう準備をしていた。
自室に置いてある全身鏡の前でネクタイを結んでいると、部屋の扉が軽くノックされた。
「お母さんが一希のこと呼んでるよ」
返事もしていないのに勝手に扉が開かれたかと思えば、聞こえてきたのがそんな言葉だった。
「未帆……おはようが先じゃない?」
僕がそう言うと、彼女は「あ……」とばつが悪そうな顔をした。
未帆は僕の双子の姉だ。
雪のような白い肌に、色素の薄い大きな瞳。すっと通った鼻筋に、小さく均整のとれた唇。皆に言わせれば僕と彼女は瓜二つらしい。
鏡に映った自分の顔と彼女の顔を見比べた。確かに顔のパーツは似ているけれど、一卵性の双子とまではいかない。やっぱり何処かが違う。
ふと、彼女の髪の毛が一部はねていることに気づいた。
僕は彼女の長い髪に触れ、その寝癖を直すように撫でた。
「ここ、はねてる」
その言葉に未帆は微かに顔を赤らめ、小さく「ありがとう」と言った。
僕達の仲の良さは近所でも学校でも有名だった。
幼い頃から何をするにも一緒でまさに一心同体というやつだった。
「どっちが姉だか分からないね」
彼女は柔らかい口調でそう言った。しかし、僕は返事をしなかった。違う所に意識が向いていたからだ。
「……スカート短すぎ」
彼女はそれを聞いて自分のスカートに目を向けた。両手でスカートの裾を引っ張り「そうかな」と首を傾げている。
「こっちきて」
僕はベッドに腰掛けそう言った。
彼女はそれに素直に従い、目の前までやってきた。
僕は彼女の腰に両手を回し、折り曲げてあるウエスト部分を元に戻した。
「はい、これでよし」
終わったよ、と手を下ろした瞬間、今度は彼女の首に貼ってある絆創膏に目がいった。
白い肌に似合わない茶色い布。
その下にあるものを僕は知っている。
「どうしたの?」
そう不安げな声が頭上から聞こえてきた。
「ううん、何も」
僕は心配させないように口角を上げて目を細めた。
学校までの道、僕達は並んで歩く。
隣を歩く未帆の無防備な手のひらを当たり前のように握った。その瞬間彼女は、わっと声を上げた。
「ま、まずいよ! もし誰かに見られたら……」
「平気だよ。ここ人通り少ないし」
僕の手から逃れようとする彼女を引き寄せた。肩と肩がぶつかり合う距離に彼女は恥じらいの色を見せた。その際、僕の瞳の端に再び絆創膏が映った。
いつからかなんて分からない。物心がついた時にはそうなっていた。
それが普通じゃないってことも気づいている。
僕と未帆が互いに向ける感情は果たして同じなのだろうか。
絆創膏で隠しきれていない赤い痣。
あれは僕の仕業だ。
「帰り教室行くから」
未帆はそれにこくりと頷き、教室の中へと消えていった。
僕と彼女はクラスが違う。最初は不満を口にしていたが今はこれでよかったと思っている。無論、僕達の関係がばれないためにだ。
「一希、おはよ」
背後から聞こえてきたその声に僕は振り向いた。そこには裏表のなさそうな笑みを浮かべる幼馴染みの新がいた。
小学3年の時、僕と未帆がこっちに越してきて最初に打ち解けたのが彼だった。
長い付き合いだが僕にとって幼馴染みというより腐れ縁に等しかった。
「相変わらず仲良いな」
彼はそう言いながら未帆のいる教室に目を向けた。僕はあっけらかんとした態度で「まあね」と答えた。
新は僕達のことを知らない、何も。
教室に入る直前、一人の女子生徒が僕の名を呼んだ。
何かと問いかけると、彼女の後ろから背の低い女子生徒が顔を出した。
直感的に用があるのはその女だと思った。
思った通り、背の低い女子生徒は僕をひと気のない所へ呼び出した。
「もし嫌じゃなかったら、その……付き合ってほしいな」
好きだと言われた後の言葉がそれだった。僕は然程驚かなかった。
小学校の頃からそうだった。
異性から告白というものをされることが頻繁にあった。けれど、その大半が全く話したことのない見た目だけで近寄ってきた人物ばかりで、僕が告白を受け入れることは無かった。
断ったにも関わらず家まで押し掛けてくる女も入れば、振られたことを根に持って嫌がらせをしてくる女もいた。
正直、うんざりしている。
「ごめんね、彼女いるんだ」
これが一番都合のいい断り方だった。
午後の授業が終わり、未帆のクラスに行ったはいいが彼女の姿がどこにもなかった。
近くにいた生徒に彼女のことを尋ねると「もう帰ったよ」という言葉が返ってきた。
彼女がどうして先に帰ってしまったのか、僕には心当たりがあった。
多分、昨夜のことを気にしているのだろう。そう思った。
自宅の玄関には未帆のローファーだけがあった。
階段を上って正面から少し右側の位置に未帆の部屋へ通ずる扉がある。その扉を軽く叩くと中から弱々しい返事が返ってきた。
「入るよ」
僕が部屋に足を踏み入れると、彼女はベッドに座り雑誌で顔を隠していた。
「ただいま、未帆」
その呼び掛けに応答は無かった。何度呼んでみても無言を貫き通していたため、僕は彼女の前にしゃがみ込んだ。
「どうして黙って先に帰ったの?」
彼女はようやく雑誌を退けて僕の方を見た。
「だって……昨日……あんなことするから」
「首の痕?」
躊躇いがちな彼女の声と被せるように僕は言った。
その途端、彼女は赤面した。
「な、なんでそうやってはっきり言うの……」
それからまた雑誌で顔を隠そうとしたため、僕は「だめ」と彼女からそれを奪い取った。
逃げ場を失った彼女は顔をそっぽに向けた。その時あの絆創膏がちらりと顔を出し、その存在が僕の欲情を掻き立てた。
「そのまま動かないで」
僕は彼女の顔を覗き込み、キスをしようとした。
だが、互いの唇が重なろうとした瞬間、彼女は大きな声を上げ背中からベッドに倒れ込んだ。
「ちょっと、まっ……」
慌てて起き上がろうとする彼女の両脇に手をつきそれを制した。
「動かないでって言ったじゃん」
僕の下で彼女は最後の抵抗と言わんばかりに両手を振り回す。しかし、その動きは弱々しく彼女の手は簡単に掴めた。
そのまま彼女の手首に唇をつけ、強く吸った。
「痛……!」
そんな小さな叫びが聞こえたけれど気にせず続けた。唇を離すと吸い付いた部分が赤く充血していた。
彼女は自分の手首を見るとわなわなと震え出した。
「まっ、またつけた……」
そう言ってこちらを睨んできた。頬は紅潮し瞳には涙が浮かんでいる。
「悔しい?」
態と顔を近づけて挑発するように言った。
「でも悪いのは未帆だよ。約束を破ったんだから」
彼女は面食らったような顔をした。
僕は再びキスをしようと試みたが、さっきまで大人しかった彼女がまた暴れ出した。
薄暗い部屋で衣擦れの音だけが鳴り響く。
僕は大きく息を吐き、彼女の両手首をベッドに押し付けて組み敷いた。
「これ以上痕つけられたくなかったらいい子にしてて」
僕の言葉に反論しようとしていたが、彼女から声が発せられることは無かった。僕の唇で彼女のそれを塞いでしまったから。
少ししてから唇を離し、一呼吸置いてまた同じように唇を塞いだ。
そんなふうに触れるだけの啄ばむようなキスを何度か繰り返していると、彼女は次第に大人しくなり抵抗することを止めた。
ぎゅっと目を瞑り、この状況を受け入れたようだった。
そんな姿を少しの間見つめてから、今度は角度をつけて深く唇を重ねた。その瞬間、彼女の唇から切なげな吐息が漏れる。
もう、戻れない。
一線なんて、とうに越えてしまったのだから。
唇を重ねたまま彼女の首筋を指でなぞり、ワイシャツのボタンに手を掛けた。
僕達を結ぶ鈍色の鎖はいつしか檻となっていた。
狭い檻の中で延々と溢れ続ける感情が、呼吸の邪魔をする。息苦しくて、不自由だ。
僕達はそこから抜け出せない。