第42話 非現実的《鬼ごっこ》②
走る。
ただひたすら、前を向いて。
この世界に来るまでは病弱なあまり、こんな風に走ることさえ出来なかった私。
だからこそ、私は今ここで叫びたい。
「っ……もう、走りたくない……!!!!」
「もう少しだ、アスカ!!
この先に行けば撒けるはず……そしたら担ぐぜ!!!!」
ナツが私の手を引っ張り、恐らく彼の全力であろう速度で一緒に走る。
息が切れ、全身が焼けるように熱い。
私を必死に引っ張ってくれているナツでさえ、額にうっすらと汗を滲ませている。
開始数分でこんなにバテてしまった。
その原因は全力で走っている私達の後ろにある。
ポン、ポンと可愛らしい音を立ててバウンドながら迫ってくるゴムボールの……いや、《鬼》のせいだ。
それも、常識外れと言えるほどの速さで。
「――――よしっ……しゃがめ、アスカ!!」
「う、うん!!!!」
曲がり角をまがった瞬間、ナツにしゃがめと言われたのでその場にしゃがみ込む。
……どうしてしゃがまなきゃいけないのだろう?
この僅かな時間でも、二頭身の外見だけは可愛らしい鬼が迫ってきているのに。
ポン、ポンと音が近づいてくる。
そして鬼が間近に見えた時、ナツが懐から何かを取り出す。
あれは――――霧吹きスプレーだ。
「くらいやがれ!!!!」
「……っ」
鬼がしゃがんだ私に触れる直前。
ナツは霧吹きスプレーを鬼に向かって噴射する。
すると鬼は地面でのたうち回りながら、必至に顔を擦り始めた。
茫然とその様子を見ていると、ナツが急に私を抱えて走り出す。
「ナ、ナツ、大丈夫? 重くないかな?
それにさっきの液体って……」
「さっきのは園芸用に使っている、酢と水を混ぜた物だ。
……とりあえず、隠れるか」
「酢っ!!?」
「あ? 酢でそんなに驚くのか?」
暫く走り、ナツと彼に抱えられた私は近くにあった部屋へ入る。
――――そこはベッドとクローゼットしか置いていない、とても簡素な部屋だった。
辺りを見渡すとあちこちが埃っぽいので、恐らく暫く使われていない部屋のはず。
そっと扉を閉め、ナツが私を地面に降ろす。
さすがに床に座る気にはなれなかったので、私とナツは立ちながら話をし始める。
まずは、先程の「酢」の話題についてだ。
「だって、酢だよ?
酸性だから、葉とか茎に悪いんじゃ……」
「酢の量が微かなら殺虫剤として活用できるんだぞ、覚えておけ」
「そ、そうなの?
っていうか、攻撃してよかったの?」
「いつもこんな感じだ。
それにジョーカーはルール説明の時に《攻撃するな》とは言っていないしな」
当然のように答えるナツ。
確かに、ジョーカーは鬼へ攻撃してはいけないと言っていない。
けれど、これはルール以前の問題じゃ……
「とにかく、アスカ……他の鬼が来る前に現状をまとめるぞ」
「うん、分かった」
「まず、鬼の数はさっきの奴を入れて四体。
他の三体は他の場所を回っているか……あるいは、馬鹿ハルト達を追っかけてるはずだ」
そう、鬼の数は四体。
鬼ごっこ開始前は、小さな鬼だったので油断していたが……たった一体でこんなにも疲れるのだから、四体まとめて来たら負けてしまうだろう。
……ナツなら大丈夫かもしれないが、私には無理だ。
「んで、ここは一階の空き部屋……近くに厨房があるから、そこで武器調達ができる。
胡椒とか油は使えそうだな、足止めに」
「使えそうだけど……大丈夫なの?
鬼族の方ってお客様じゃ…………」
「おう、大丈夫だ。
アイツ等は賢い性格だから、これはゲームだって弁えているし仲間を殺さない限りは怒らない」
一応、大丈夫のようだ。
とりあえず、私達がやることは《厨房から武器を調達する》こと。
ナツのお酢スプレー攻撃のような使い方をすれば、時間内に逃げ切れる可能性が高くなるのだ。
「でも、屋敷をかなり汚しちゃうよね……」
「修理や掃除はどうせ俺様やメイド達だから、遠慮なく使っていいぞ。
んじゃ、さっさと取ってくる」
「え、私も行くよ?」
「アスカは無理せず休んでろ。
過度な運動は駄目なんだし、ここは俺様に任せろよ」
……そうだ、下手に動いて体調が悪くなってしまったら、ナツに迷惑がかかってしまう。
そう思い、私は頷いた。
それを見たナツはもう一度「任せろ」と言いながら小さく笑みを浮かべ、扉にそっと耳を澄ます。
――――廊下に鬼が居ないか、確かめているようだ。
「…………よし、居ないな。
すぐに戻ってくるから一歩も動くなよ!!!!」
「分かった、気を付けてね?」
「おう!!」
音を立てないようにゆっくりと扉を開け、ナツが部屋から出て行く。
残された私は、ただナツの帰りを待つだけだ。
「……まだ、全然時間が経ってないんだよね」
時計が無いので分からないけれど、一時間は経っていないと思う。
こんな調子で五時まで逃げ切れるのだろうか……
そんな事を考えていると、ふと廊下から音が聞こえた。
一瞬鬼かと思い身構えたが、それにしてはやけに音が大きい。
多分、人の足音だ。
それも、走っている。
「ナツ?」
早すぎる気もするけれど、ナツが急いで来てくれた……のかもしれない。
やがて、足音が扉の前で止まる。
そして誰かが勢いよく部屋に入ってきた。
入ってきたのは―――――
「――――ユキ?」
「…………っはあ……ア、アスカ……?」
そう、ユキだった。
肩を上下に動かして呼吸をし、何より顔色が優れない。
「ユキ、大丈夫……!!?」
「…………運動、苦手……
走るの、嫌い……」
扉にもたれかかり、怠そうな声でユキは言う。
良かった……鬼じゃなかった。
安心したのも束の間、ふとユキの顔色がさらに悪くなる。
「……ユ、ユキ?」
「…………二体、来る」
「二体!!?」
「逃げてた……ずっと」
ユキが扉から離れたので、そっと扉に近づいて耳を傾ける。
…………僅かだけど、鬼が跳ねている音が聴こえた。
まずい、恐らく鬼はこちらへ向かっている。
「ど、どうしよう……逃げなきゃ……!!」
「……アスカ、待って。
廊下、捕まる……だから……」
そこまで言い、ユキが後ろから私の両肩を掴む。
……何故、両肩を掴まれたのだろうか。
「――――隠れる、こっち」
「え、ええっ……!!??」
「小さい……バレない、きっと」
そのままぐいぐいと押され、クローゼットの前まで移動する。
まさか、入れってこと……?
「ユ、ユキ、本当にクローゼットに……」
「……っ……来た」
「へ? わわっ……!!」
ユキが肩を掴むのを止めてクローゼットを開け、強引に自身の身体ごと私を押し込んでクローゼットの扉を閉めた。
ただでさえ狭いクローゼットに、私とユキが入っているのでマトモに身動きができない。
…………まさか鬼が遠くに行くまで、ずっとこの状態……!!?
...to be continued...
一時期、流行っていたみたいですね……お酢で害虫駆除。
あ、人にスプレーをかけてはいけません。
ましてや顔には駄目です。絶対に。
ここまで読んで下さり、ありがとうございますっっ!!!