同志
普段より少し早い時間に二人は研究所へと到着した。日々のトレーニングの必要もあるからだが、今日に関しては「とても大事な話がある」とあらかじめ伝えられていたので、いつもみたいに図書室で本を読んだり同級生たちとグラウンドの端っこを駆け回ったりせず真っ直ぐに向かったからだ。
「でね、ここからが本番なんだけどね、前回もそうだったけど今回も結構濃厚なネタ入ってたよね。ただそこを支持する人がどれだけいるかっていうと、ほとんどの人にとってはトゥーマッチでしょ」
「うん、あっ!」
自動で開く扉を通り抜けたところで悠宇の目線は右にいる渡海雄以外の方向へと向かった。その一瞬で、そこにいるはずのない人物が確かにそこに立っているのを発見してしまったのだ。
「やあ、来たねとみお君とゆうちゃん」
「あ、あなたはまさか虎田豪一郎!?」
悠宇の意識は南郷所長の声を無視してその奥にいる冷たい目付きの男ににも注がれた。虎田は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐ元に戻って「ほう、お嬢ちゃん。私の名前を知っているのかい?」と尋ねた。その声の穏やかさたるや、多胡と柴原は顔を見合わせるほどであった。
「は、はい! 父が集めている雑誌に載っていたので分かります。188cm79kg。癖のないフォームから最速149キロのストレートにスライダー、チェンジアップ、シュートを投げ分ける鹿児島県屈指の右腕! プロからも注目されていたのにその道を拒否して自衛隊に入隊したというあの」
「はっはっは、昔の話なのに詳しいなあ」
「私にとっては紙の向こう側にいる憧れの存在だったんです。あっ、あなたはバイアスロンの多胡忍さん!? ああっ! あああっ!! それに重量挙げの柴原大輝も!? そんな、何で! 何でこんなところに!?」
「ゆうちゃん大丈夫?」
「大丈夫? って! とみお君! この状況で冷静でいられるはずがないじゃない! 日本を代表するアスリートが集結! しかも生!!」
悠宇のテンションに驚く渡海雄だが、とりあえず挨拶はしておこうという事で目の前の巨躯にペコリと頭を下げた。
「はじめまして。僕の名前は」
「山川渡海雄君だろう? 当然承知している」
「ええっ、何で!?」
「そして君が明星悠宇ちゃんかい?」
「そうですけど、そ、そんな!?」
日本が誇る優秀なアスリートが自分の名前を知っている。認識してくれている。その事実だけで悠宇にとってはめまいがしそうなほど嬉しく涙が溢れ出しそうだった。しかし涙をこらえていたのは悠宇だけではなかった。
「そうか、やはり君達がそうなのか。何と嘆かわしい」
そして虎田の瞳から一筋の光るものが零れ落ちた。虎田の瞳は澄み切っている。日々の訓練があらゆる感情を虎田から奪い去ったからだ。しかしそれは全てを失ったわけではなかった。心の奥底に残る人間としての良心、慈しみの心が虎田の涙腺を緩めたのだ。しかしそんな事情を知るはずもない渡海雄と悠宇は大いに戸惑った。
「えっ、あの、すみません。僕達何か悪い事でもしましたか?」
「いや、悪いのは私達だ。君達のようなうら若き少年少女を長きに渡る戦いに使役し続けてきた愚かな大人たちを、君達は命尽きるまで嘲笑ってくれても構わない。それだけの権利をもはや君達は有しているのだから」
「な、何を言ってるんですか虎田さん」
「君達はあまりにも若い。戦場にいてはいけない人間だ」
この言葉で渡海雄と悠宇の混乱はピークに達した。戦いが始まったあの日以来、こんな事を言われるのは久しぶりだったからだ。
「そんな……。今更そんな事を言われても、困ります。ワタリー・ギラさんじゃないんだから」
「それは、私だって出来る事なら、それは戦いなんてなければいいのになって思う事はあります。でもその力があってしないわけには」
「君達の決意は崇高だ。それゆえに私は自らの無力を嘆く。私は自衛官として日本と世界貢献のために日々粉骨努力してきたつもりだった。しかしグラゲ星人襲来という地球未曾有の危機において何も出来ずにいるのだ。今日私達がここに来たのも君達に『もう戦わなくていいんだ』と告げるためではない」
「は、はあ、そうなんですか」
「じゃあ何のために?」
「それは私が説明しよう」
ここで割り込んできたネイによって大体の経緯が説明された。自衛隊の精鋭を集めても支援がせいぜいという現状は二人の心を少し曇らせたが、ともかく頼りになる仲間が増えたという事実だけでそれを吹き飛ばすぐらい嬉しかった。
「と言うことだ。とみお君とゆうちゃん、よろしく頼む」
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします」
「ああ、まるで夢の様な気持ちだわ! 本当にこんな日が訪れていいのかしら」
はしゃぐ悠宇を観て虎田はまだ涙を流しそうになったがどうにかこらえて、ただ空虚な微笑みを浮かべて握手をした。
その日から渡海雄と悠宇は毎日のように虎田らアステロイダーズの面々とトレーニングを続けた。内容はかなりきつかったが心の充足は肉体の疲労を吹き飛ばした。だから何のためらいもなくこの日々を「楽しい」と言えた。
ひとりとひとり、ふたりぼっち。渡海雄には悠宇が、悠宇には渡海雄がいる。戦いによって荒みゆく魂はそれで救いを得ていた。でも、出来るなら傷ついた痛みを分け合う仲間は多いに越したことはない。それに虎田らは大人だから、普段はあまり言えないことも色々相談したりした。
「多胡さんは、いいですね。うらやましいです」
「何がよ、ゆうちゃん」
トレーニング後、汗を洗い流す浴場での事だった。最初は突然だったので何事かと思った多胡は悠宇が自分の胸部にある膨らみへと向ける強烈な視線に気付くと、カラカラと声を上げて笑った。
「大丈夫よゆうちゃん! 女の子ってそのうち成長していくものなんだから」
「そうなんでしょうか。いえ、もしかしたらですけど、私が普段野球とかサッカーとか男みたいな趣味だからなかなか女の子みたいになれないのかなって思ったりとか」
「ないない! そんな事で発育が決まるならあたしの胸が膨らむはずないもの。あたしがあんたぐらいの頃はね、男子と一緒に野山を駆け回り冒険したものよ。ここみたいな都会じゃなくて自然ばっかりの田舎だったからね。全校生徒三十人でね、知らない子は誰もいなかったよ」
「さ、三十人!? そんなので学校が成り立つんですか?」
「あたしが卒業した、確か次の年ぐらいに隣の小学校と合併したっけねえ。あれはちょっとだけ寂しかったな」
自分とはまったく違う世代の女性であり日本屈指のアスリート。小柄ながら膨らむところはしっかりと膨らんでいる颯爽たる多胡の四肢は小枝のように細くて何もない悠宇にとって太陽にように眩しい憧れそのものとなった。そして多胡にとっても悠宇は何においても興味津々で色々話しかけてくる悠宇をまるで自分の妹のように慈しみ、心からかわいがっていた。
それは男性陣も同様であった。
「はっはっは、見よこの鍛え抜かれた肉体を!」
「凄い凄い! 本当に硬いや! 叩いてもびくともしない!」
柴原が右腕に力こぶを作ってそこに渡海雄をぶら下げている。渡海雄ぐらいの体重だと持ち上げるなどわけのない事であった。渡海雄の身近にこんなパワフルな体型の男はおらず、心の底から感動していた。
「それにしても柴原さんって筋肉だけじゃなくて髭も凄いですよね。こういうのって何歳ぐらいから生えるようになったんですか?」
「うーん、どうだっけな。まあ個人によって違うとも思うが俺は中学の頃から髭剃りは欠かせなかったな」
「中学生なら当分は大丈夫か」
「光陰矢の如し。今はこんなにお肌ツルツルで可愛らしいとみお君もあっという間にもさもさな大人になってしまうのだ。そうしたらまずここに毛が生えてくる」
柴原は足と足の間付近をサムダウンして指さした。渡海雄は渋い顔をした。本当に嫌がっているみたいだった。
「それが嫌なんですよね。もし生えきたら絶対毎日剃りますよ、あんな気持ち悪いだけのもの」
「どうせ続かんぞ。諦めろ、人間の宿命だ」
同じ男であっても年齢によってその見た目はまるで別の種族であるかのように異なる。特に男全開な柴原と華奢で笑顔がかわいく初見では女の子と間違われる被害多数な渡海雄となるとひとしおで、あの部分を観察しない限り共通性は見いだせないだろう。
しかし今は地球を護るための同志。文字通り隠し事のない付き合いを六月の上旬あたりから続けてきたのでとても仲良くなっていた。
「虎田さん、背中流しましょうか?」
「そうだな、頼む」
「はい! 熱かったら言ってくださいね」
「大丈夫だ」
渡海雄が流そうとしている虎田の背中には縦に流れる深い傷の跡がくっきりと浮かんでいた。いや、背中だけではない。彼の肉体は全身傷にまみれている。寡黙な虎田はあえて口にするものではないが、そのような生き方を目指した結果なので後悔はないどころか勲章のように思っている。
渡海雄も最初に見た時はびっくりしたが冷静に考えて背中にお絵かきしているあの人達と比べると怖くも何ともないぞと思い直して、今は何もないかのように接している。それにこの姿は近い将来の自分にも似ていると、どこかで感じていた。
「嫌か?」
「えっ、何がです?」
「いや、この傷が」
「今は別に。戦ってきたんだなって思います」
「そうか」
日本古来の奥ゆかしさを秘めた男である虎田は柴原のように饒舌ではないが、しかし確かにその誠実な心は渡海雄にも静かに開きかけていた。渡海雄としても、虎田の心は本当は誰よりも温かいと分かっているからこそ、そのように接している。そのいたわり合う姿はまるで本当の親子のようだった。
しかしそれは永遠に続くものではなかった。七月の声を聞いた頃、それは現れた。
「レーダーに反応! データ照合、確認! 間違いあいりません、グラゲ襲来です!」
「むうっ、ついに来たか。エメラルド・アイズとアステロイダーズは至急出動せよ!」
オペレータールームに走った緊張感は次の瞬間、けたたましい警報音に乗せて研究所全体に鳴り響いた。
「あっ、緊急警報だ!」
「こんなタイミングで来るなんて」
「よし、ゆうちゃん変身だ!」
「ええ!」
その時ちょうど研究所内のプールで水泳のトレーニング中だった渡海雄と悠宇は、プールサイドに置いてあった変身装置を鷲掴みにすると学校指定の水着の上から素早く変身した。
「よし、私達も二人に続こう!」
「はい!」
「了解です!」
同じくトレーニング中だった虎田ら三人は一度更衣室に戻って専用のミリタリーファッションに身を包み、その上でアステロイダーズとしての装備を重ねた。この時点で早くも差が付いているのだが、渡海雄と悠宇にはあらかじめ「アステロイダーズの実力を見極めるためにも、彼らが到着するまで雑兵を全滅させないように」と指示が出ていた。それを頭のなかで反芻しつつ、二人は敵が出現したポイントへと走った。




