so04 J-WALKについて
日々順調に春の日々を過ごしている渡海雄と悠宇。しかし今日はせっかくの休日なのに雨という事でしんなりしつつも、いつもの場所へと集まっていた。
「という訳で前回、近藤敬三はJ-WALKというバンドに在籍していたって話をしたけど、今回はそのJ-WALKについて出来る範囲内でもうちょっと説明したいなって事で、そうしようと思う」
「どうぞどうぞ」
「まずは来歴についてだけど、結成は一九八〇年で、翌年にはファーストアルバムが発売された。当時のメンバーは六人で、それぞれボーカルでヒゲの中村耕一、ギターでヒゲの知久光康とヒゲの近藤敬三、ベースでヒゲの長島進、ドラムでヒゲの田切純一、キーボードでヒゲの杉田裕という面々。とは言っても知らないと思うけど」
「うん、名前出されてもね。と言うかヒゲ率高くない?」
「時期によっては生やしてないメンバーもいるんだけどね、基本ヒゲないほうがマイノリティなバンドだよ。デビュー当初は髪型も当時のミュージシャンにはありがちだったとは言えカーリーヘアの長髪だったりして男臭い事この上ない。また彼らは出身地も年齢もバラバラで、元々別のバンドにいたりスタジオで活躍していたんだ。それが当時は柳ジョージという歌手のバックバンドを務めていたんだけど、そこに函館のライブハウスで活動していた中村が加わってJ-WALK結成となった。交通規則を無視して歩く事を英語でjaywalkと言って、そこから付けられた名前だよ」
「悪そうでいかにもロックらしいネーミングじゃない」
「それでデビューしたんだけど、ファーストアルバムはまずJ-WALKここにありと知らしめるためか、全曲タイトルがJから始まるというこだわりを披露している。作曲は知久長島田切杉田が各二曲、中村と近藤が一曲ずつとメンバーだけでバランスよく賄ってるけど、作詞はほとんど外部に頼っている。とは言っても水甫杜司とか海里歳ってのは知久の兄で所属事務所の社長、プロデューサーでもある知久悟司のペンネームだから内部みたいなものだけど」
「でも以降のディスコグラフィ見ると松井五郎とか許瑛子みたいな、他でも見た作詞家に依頼してるみたいね」
「宇多田ヒカルのお父さんとかもね。最終的にはギターの知久がほとんどの作詞を手がける事になるんだけどね。また自前のスタジオも持っていて、編曲だけでなくミキシングなんかも自分達でこなしているんだ」
「多くの音楽的知識を持っているのね」
「うん。サウンドの特徴としては、キャリアが長いのでひとくくりにするのはいささか危険かと思うけど、それでもざっくり言うと八十年代と九十年代以降の二つの流れがある。初期は同じ事務所の先輩である柳ジョージがレイニーウッドってバンドと組んでた時の流れを引き継いでいる。作曲はメンバー内部、作詞はプロデューサーらが多くを手がける構造とか、アメリカ志向もかな。なんかいきなりカントリーっぽいのとかブルース系の曲が出てきたり」
「デビュー当時からキャリア積んでるだけあって、渋い作風だったのね」
「とは言ってもそれは一面的な部分であって、むしろ初期は荒削りながらも勢いあるロックのほうが多いよ。またステージではライダーが着るようなレザーパンツを穿いて歌っていたというし、バイクや車が登場する歌詞が多いのは個性の一つかなと思う。いや、ファッションだけじゃなくて自分達でレーシングチーム持っててレースに参戦とか、実際にスポーティーな活動も行っていたみたい。そういう流れからルマンに参戦してた童夢と組んだり鈴鹿8耐とコラボしたアルバム出したりといった活動にも繋がった」
「へえ! それは凄いわね!」
「売上に関してはオリコン何位とか出ない程度だったみたいだけど、後にCD化されたものやこの頃の曲をまとめたベストアルバムは見かけないでもないので根気さえあれば集められるはず。この辺で好きなのは三枚目の『SENTIMENTAL ROAD』。『野良犬』は最高だしギターの濡れた音色が印象的な『ウィークエンドラヴァーズ』、ざっくりした『ウィンズブルース吹く街角』も良い。金貯めて買った格好良いバイクで道路ぶっ飛ばしたらもう最高に気持ちいいぜ! みたいなバイク愛をやたら誇らしげに歌い上げる『俺のV-TWIN』は、らしさが出た世界観が好ましい。ベストアルバム収録率がやたらと高いのもクオリティの証か。それと一九八六年に出した『炎の戦士』という曲はオージーボールの曲に採用というチャゲアスとの微妙な関連性も。全体的には格好良い曲が多くて非常によろしいんだけど、一九八七年に近藤と長島が脱退するんだ」
「それで近藤はチャゲアスのバックバンドに転身するわけね」
「うん。長島も作曲家としてクオリティの高い曲を連発してただけにダメージは大きかったと思う。それでギターは知久一人体制に移行して新メンバーとしてベースの中内雅文、パーカッションでヒゲの清水達也が加入する」
「またヒゲか」
「もはやヒゲはこのバンドのアンデンティティだからね。中内もそのうち生やしだすよ。またサウンドとしてはガツンとしたものだけでなく優しいバラードも増えていく。この時期のアルバムだと『GALE』が好き。カントリーっぽい『BIG MOUTH JOE』とか、歌謡曲の世界に突入してる『許されざる愛』が特に良い。前作の『Pierce』も良いアルバムだし、確実にクオリティは高まっている。相変わらず売上は振るわなかったようだけど、しかし九十年代に入って状況が変わるんだ。きっかけとなったのは九十年十二月発売のアルバム『DOWN TOWN STORIES』収録の曲を翌年の夏にシングルカットした事。原曲は雪やサンタクロースって単語が出てくるけど、夏に出すからそういう冬っぽい部分を波の音など夏らしい単語に入れ替え、どっしりしたアレンジに改変して完成したのがこの『何も言えなくて…夏』」
「あっ、それかあ。J-WALK、どこかで聴いた気がする名前だなってずっと思ってたけど。作詞知久光康、作曲中村耕一、編曲J-WALK」
「インパクトあるフレーズが連発する短編小説のような歌詞を繊細に歌い上げる。曲自体はそこまで盛り上がるわけじゃないけどやっぱし歌詞が強いし、それをきっちり伝える中村のボーカルも良い。今までは男に人気が高かったけどシャイで不器用だが優しい大人の男という路線で女からの人気も高まったと言う。発売されて一年後ぐらいから売上が伸びていって最終的にはオリコン週間七位まで到達、売上もミリオン近くまで伸びて紅白出場も果たしたんだ」
「十年やっててついにここまでという……。見事なものね」
「これで日の目を見たJ-WALKだけど、当然変わらずにはいられないもの。まず中村作曲はね、それまで意外と多くなかったんだ。知久は結構渋くて杉田が一番オーソドックス、田切は跳ねた曲調が多くて個人的には好み。中村は基本『何も言えなくて』の影をどの曲も引きずってると言うか。もちろんそういう曲を作れって要求の中から生まれたんだろうけど。この時期増えてきた『風に向かって、歩きたい』『迷路は続くよ、どこまでも』などのガツンとした応援歌路線は中村のボーカルの説得力もあって結構好きなんだけど、需要としては『君にいて欲しい』『RELAX』の路線だったのかな」
「でも『何も言えなくて…夏』はやっぱり風格があるじゃない」
「だからヒットしたんだろうけどね。ただ後に元の『何も言えなくて』をベースにしたものをウィンターバージョンと称してシングルに切ったのはいささか安直すぎかなとも思ったり。いや、元々セルフカバーがやたらと多いバンドではあるんだけどね。デビュー曲の『JUST BECAUSE』とか『心の鐘を叩いてくれ』とか。八十年代の大魔獣激闘鋼の鬼ってOVAの挿入曲でイントロの音色が特徴的な『BURNING EYES』は『凍てついた街』の歌詞違い、みたいな。メンバー多いけど皆そこまで色の違う楽曲を量産出来るタイプではないらしい。自分達で構築するサウンドもパターンがある程度似通ってるし。そういう部分が食傷気味となったか、売上は元の木阿弥となり基本的には一発屋として認知されているかと思う。それとこの時期、中内が脱退するも一年後に再加入という傍目にはよく分からない展開もあった」
「ええ、なにそれは」
「ざっくり言うと家業を継ぐために離脱したけど『また一緒にやろう』って事になったみたい。それと一九九五年にはバンド名をJ-WALKからJAYWALKに変更。これも必然性が分からないけど、まあいいか。改名後の一九九七年に出た『PENTANGLE』は良いよ。初期路線を思い出したかのような『SINGLE WOMAN』やザックリした『GOODY…冒険の国へ』、突如復活した長島進の曲で懐の深い『時空の彼方へ』など粒揃い。『何も言えなくて』路線の最終進化系と呼べそうな『SHE SAID…』の、もはや主客転倒して小説に曲をつけたかのような詰め込みまくりの歌詞をサラリと歌いこなす中村の技量とか素晴らしいんだけど、この頃には清水が抜けてたり翌年には中川謙太郎という新ボーカルを加入させるというまさかの展開に走る」
「中村は在籍した状態でまたボーカル加えたって事? それってもう全然別物になるんじゃない?」
「実際ほとんど別物になってるし。それまでアルバムで杉田ボーカルが一曲入ってたりとかそういうレベルじゃないからね。そう言えば九十年代前半に杉田がソロ活動して『思い出に手を振って』というアルバムも出してる。杉田のボーカルはサングラスに長髪、ヒゲという怪しげなルックスに似合わず控え目なものだけど、声質に合った男の優しさや気弱さを描いた歌詞が多くてクオリティが高値安定したなかなかの名盤。ただやっぱりソロでやるにはやや力不足かなともなる」
「やっぱりフロントに立つには相応の魅力、華が必要って事なのね」
「中村みたいな圧倒的な歌唱力があるわけでもないしね。で、新加入した中川のボーカルは結構癖があるのが気になってこれ以降はちょっと手が伸びにくいなあってなったり。台湾の曲に日本語詞を付けた『大海』とか個々で好きな曲はあるけどね。結局中川も脱退して浅川昌輝という若いギタリストが加入した頃、九十年代音楽のリバイバルブームが来てJAYWALKも再び注目されるようになった。その流れに乗って大規模なコンサートツアーを敢行、新アルバム発売、三連続シングルで積極的な攻勢をかけようとした矢先に中村が薬で逮捕されて全部パーになった」
「うわあ、それはまた……」
「シングル一枚は出たんだけどね。それが二〇一〇年の三月で、結局翌年には中村が脱退。翌日に例の大地震。まあ悲惨な話だよね。唯一のヒット曲も中村作曲だから対外的には中村あってのバンドだし。とは言えフロントマンを失ったバンドはビートルズのコピーバンドで活躍していたボーカル馬渕英将と女ドラマー青木桃子を加えるというとんでもない手段に打って出た。メンバーの年齢は親子だし楽器構成もカオスだし、ついでに名前もTHE JAYWALKと変えたりしたけど馬渕は病気療養を経て結局浅川、青木とともに脱退。今では四人でやっている」
「さすが規則無視だけあって相当複雑な経歴ね。出たり入ったりで。でもまだ解散はしてないのね」
「うん。そこは何とか粘ってるみたい。Youtubeの公式チャンネルで少し聴けるけど、やっぱりねえ、うん。若い人たちを抜いた事で『真ん中にいるべき誰かがいない』って不完全さが鮮明になってるというか。中村は中村で柳亡き後のレイニーウッドのライブにボーカルとしてゲスト参戦とかしてるし。彼らにしても誰にしても時が積み重ねた色々な感情もあるだろうからさっさと仲直りしろとは軽く言えないけど、結局それが答えでしょう。まあダメダメな生き方ではあるけど、J-WALKの応援歌はそういう人間が歌ったほうがむしろ真実味が出るタイプの歌詞だから全然問題ないよ」
このような事を語っていると敵襲を告げるサイレンが鳴り響いたので、二人はすぐに着替えて雨上がりの街へと繰り出した。
「フハハハハ、俺はグラゲ軍攻撃部隊のリュウグウオキナエビス男だ!」
オキナエビスという深海に住む巻き貝の仲間は、貝としても古いタイプの特徴が残っていて生きた化石とも呼ばれている。その中でもリュウグウオキナエビスの貝殻はマニアの中ではかなり高値で取引されている。そんなレア物を模した男が川辺に出現したが、非常に危険な存在なのですぐに対抗する力は出現した。
「また出たかグラゲ軍。お前達の思い通りにはさせないぞ」
「春になって活動を活性化させたわけでもないでしょうけど、敵対するようなら容赦はしないわ」
「ふふふ、この惑星で真っ先に殺すべき存在がわざわざ出向いてくるとは好都合。行け、雑兵ども! 奴らの首を討ち取れい!」
感情も体温もないメカニカルな雑兵たちを血潮通った渡海雄と悠宇が次々と撃破して、残る敵はただ一人となった。
「これで雑兵は片付いたみたいだな。後はお前だけだリュウグウオキナエビス男!」
「錆びついたナイフで斬りつけ合うような悲しい戦いに今こそ終止符を打つ時よ」
「何を言うか。お前達を殺せばグラゲ皇帝はお喜びになり、俺も出世出来る。ゆえにお前達は俺のために死ぬのだ!」
敵将はそう言うと懐から取り出したスイッチを押して巨大化した。エゴに潰されてなるものかと、二人はこころを一つにして合体した。
「メガロボット!!」
「メガロボット!!」
巨体と巨体の肉弾戦。しかし背負うものの違いか戦いへの慣れか、次第に悠宇の瞬発力が相手を制しつつあった。そして抑えこんで敵を動けなくした。
「よし、今がチャンスよとみお君!」
「うん。フィンガーレーザーカッターで勝負だ!」
一瞬のタイミングを逃さず、渡海雄はすかさず群青色のボタンを押した。指先から放たれるリボンのようなプラズマ超高熱線で敵の装甲を切り刻んだ。
「ぐううう、生意気な。撤退するしかないとは」
機体が爆散する寸前に作動した脱出装置によってリュウグウオキナエビス男は宇宙へと帰っていった。こうして平穏を守りながらそれを知る者は決して多くない。でもそれが幸せって事なんだろうと夕暮れのオレンジを見つめながら、二人も同じ色に染まっていた。
今回のまとめ
・J-WALKであえて一曲だけ選べと言われたら「野良犬」
・基本的には八十年代の曲のほうが好みだけど九十年代以降も良い
・サウンドは割と似通っているのでベストアルバムはどれでも良い
・彼らが再び本来の形に収まる時は果たして訪れるのであろうか