sw08 感銘記念 京博の国宝展について
芸術の秋という事で、二人は京都に向かった。目的地は京都国立博物館。最寄り駅は京阪だが、京都駅からの連絡はあまり良くない。無理に電車を乗り継いだりろくに進まないバスを使うよりも京都駅から歩いたほうが確実だろう。まず北側、京都タワーやヨドバシカメラのある道を行って太い道路、七条通りを右に。後は延々とまっすぐ行けば、二十分程度だろうか。迷う事はほぼないだろう。
「しかしまあ、駅からして大混雑だったわね。さすがに都会は違う」
「京都だもん。観光客は星の数だよ。黒人白人インド人、なんでもいるよ中国人も」
「それと学生服のお兄さんお姉さん達ね。しかしこの辺になるとまた客層が違うと言うか、おじさまおばさまが多くなってきたわね。その行き先は私達と同じと見ても良さそうかしら?」
「うん。今回の京博の特別展覧会のテーマは国宝。京博誕生百二十周年記念であり、ちょうど国宝って言い方がなされたのも百二十年前という事で、それこそ教科書に載ってるような大物が一同に介しているんだ」
「とは言え、時期によって見られるものと見られないものもあるみたいね」
「全国の博物館や寺社などから借りてきたものも多いからね。今の季節、京博のみならず色々なところで博覧会が行われているからそう独占とはいかないもの。という訳で、この展覧会は四期に分かれているんだ。スタートは十月三日で、今はちょうど第三期だね」
「しかも見ると次の日曜日でそれも終わりで、月曜日の休館を経て火曜日からはもうラストとなる第四期なのね」
「もう半分を超えて、タイムリミットは近づいている。当然『今のうちに見に行かないと』となるわけで、これ以降は来館者も鬼のように多くなるんじゃないかな」
「現時点でも既に鬼にしか見えないけど」
京博の公式Twitterで混雑状況が適宜ツイートされているので、それで傾向を掴んで行くのも知恵かも知れない。ただどの時間であれ混雑は避けられないので、多少は覚悟して臨む必要があるだろう。
渡海雄と悠宇は並んでチケットを購入し、博物館の敷地内に入った。本館は現在閉館中なので平成知新館という新しい建物でイベントは開催されている。
「これで何分待ちかしら」
「三十分ぐらいかな。まあ前進してるって実感がある程度には列が動いてるし、主催している毎日新聞の特別号外でも読んで期待に胸を膨らませようじゃない」
「こう見るとまさに日本全国から宝が集まってるのね。ちょっと東北が弱い気もするけど。北海道はゼロみたいだし」
「一方で京都や奈良を中心とした近畿がやはり多い。金峯山寺は行ったよね。あそこは良かったなあ。大変だったけど」
「また行けってなると、ちょっと泣くかもね。おっと、もうそろそろ入れるわね」
「十数分か。あっという間だったね」
そしていよいよフロアに入ろうかというところで最前列の老人がもたついていた。それを見た別の老人が露骨に舌打ちしつつぶつくさ愚痴って空気を悪くしていた。彼は今までそういう生き方をしてきたのだから今更変わらないだろうが、自分はそうならないように気を付けねばと心に刻む二人であった。
「さて、一応順路は自由らしいけど、基本的にはエレベーターで三階まで登って、上から下へと回るのが推奨されているみたいだね」
「じゃあ早速乗りましょうか」
「さすがにエレベーターも広いね。で、三階でまず最初に広がるのは書跡のコーナー。昔の偉い人が書いた文章とか、あるいは有名な歴史書なんかだね。例えばこれは後漢書とか漢書って、中国のオフィシャルな歴史書だよ。昔の中国で書かれたものが日本に入って、実際に平安時代の貴族なんかが使ってたって説明に書かれてる」
「赤ペンでごちゃごちゃ書き込まれてるわね」
「ペンじゃないと思うけど。でもこれも貴族の手によるものだよ。他にも中国の歴史書は当然中国語で書かれてるわけで、それを日本語として読むための送り仮名なんかも書かれてるでしょ。いわゆる訓読ってやつだけど、貴族の人は必要に応じて付けてただけでそれが価値のある行為だと思ってたわけじゃないだろうけど、今となっては平安時代当時の貴族が漢文をどうやって読んでいたかの貴重な資料だとしてこっちの書き込みにも価値が出てるんだよ」
「ふうん、それじゃあ今私達が教科書に何か書き込んでたりするのも将来は価値が出たりするわけ?」
「内容によってはね。それとどれだけ残ってるかってのもあるし。数百年後にこの世界から教科書が消え去って、唯一ゆうちゃんのだけが残ってたらそりゃあ価値にもなろうよ。昔の人もこんなしょうもない事やってたってね。さて、次は考古。地面を掘って実際に出てきたものが展示されているんだ。それこそ文章が残る前の時代がどのようなものだったかを知るにはこういう物証を探るしか道はないわけで、それで縄文時代とか弥生時代とか言えるんだよ」
「土偶とか銅鐸とか、そしてやけに多い馬具。緑色の錆が時の重さを感じさせるわね。坂上田村麻呂のお墓と言われる古墳から出土した剣は、何かこう見るとベルトみたい」
「確かに。金のパーツがまたバックルっぽいしね。そして今の時期の目玉である金印もここ。ほら、ここに柵があって、この内側から見たい人は二階から改めて並ばなきゃいけないという貴重さ」
「でもちっちゃいわね。これなら遠くから見る程度でもいいか」
「まあ確かにサイズはね。でもレア度はかなりのものだよ。まずこれは倭、当時の日本は中国からこう呼ばれてたんだけど、その倭の奴国ってところの王様が後漢の名君として知られる光武帝に朝貢したんだ」
「朝貢って?」
「まず中国の世界観で言うとね、自分たちが世界で一番偉くて周辺の奴らは下っ端って考えなんだよ。で、その子分どもが自分を慕って貢物をくれるから親分としてはそのお返しとしてお宝を大盤振る舞いするぜってスタイルで貿易とかしてたんだけど、奴国の使者に『よくぞ来てくれた。褒美にお前を俺の部下として認めてやるぞ』って事で金印をあげたと後漢書には書かれてたんだ。それから千六百年ほど時は下って江戸時代、福岡県の志賀島ってところで農民が偶然この金印を見つけたんだ。歴史書に記述された印とはまさにこれであるらしいと判明するのは稀な事で、まさにお宝中のお宝だよ」
「ほええ、そう言われると凄く価値があるみたいね」
「でもちっちゃいのはちっちゃいからね。近くで見ようが遠くで見ようがあんまり変わらない気がするよ。まあ、時間があれば並んでみるのもいいんじゃない?」
という訳で二人は二階に降りた。ここは五つのセクションに分かれているが、まずは仏画の部屋に足を運んだ。
「いきなり曼荼羅がドーンと炸裂!」
「でも曼荼羅って凄いよね。細かく色々な仏が描かれていて、正直どれがどれだか分からないけどこの密度だけで圧倒される。これが両界曼荼羅ってジャンルで、金剛界と胎蔵界ってのがあるみたいだけど、田辺製薬は金剛界のほうだね」
「全部密教的には意味があるんだろうけど、とにかく神がかった迫力だけは明確に感じ取る事が出来るわね」
「教義がどうとか脳で理解するよりもこうやって心で惹きつける力。見事だよね。他の黄不動なんかもそうだけど。次は肖像画。ここにはかの有名な神護寺三像がある」
「ああ、あの源頼朝の。意外とでかい!」
「やっぱりサイズがあるとそれだけで凄みが三割増しだね。ところでこの三人、定説では『神護寺には後白河法皇とその他四人を描いた絵があるよ』みたいな記述に基いて源頼朝、平重盛、藤原光能とされていたんだ。それだとハブられたもう一人が不憫だけど、実は別人説なんてのも出てるんだよ。作者も元々は藤原隆信と言われてたけどそれも怪しいらしくて、だから伝源頼朝像ってなってるでしょ。つまり昔からこいつは頼朝だと言われてきたけど本当は違うかも知れないやつ、みたいなニュアンスだね。ただこのシャープな線は格好良いよね」
「でもタッチが強烈すぎるからか、みんな顔似てるように見えるわね。あだち充の主人公みたいな」
「顔そのものよりもあの角ばって様式的な服の描き方じゃない? さて次は中世絵画。大体水墨画とか。前半期には雪舟の絵があって目玉だったみたいだけど今はなくて比較的地味スポットかも」
「上の漢字で色々書かれてるのがメインで水墨画自体はおまけみたいな分量ね」
「瓢鮎図とかいわゆる禅問答だし、単に美しい絵として鑑賞するようなものでもないからね。次は近世絵画。もうちょっと待てば燕子花図屏風なんか展示されるみたいだけど、今の目玉は桜図壁貼付かな」
「桜の花の部分が立体的になってて、迫力のある絵ね」
「そして二階の最後が中国絵画。大体南宋時代に直輸入した、あっちで描かれた絵が飾られている。水墨画とも共通する世界観だよね。現実が辛いから山の中にこもって自然と戯れて暮られせばなあって空想を絵にしたのとか」
「何この意味不明なクリーチャーと思ったら観音猿鶴図って名前からすると猿らしくて、言われると確かに猿に見えてくるから不思議な力よね。それとこのリンゴの花の絵、フレームの形はリンゴの事をモチーフにしたのかな」
「まんまるじゃなくてちょっとへこんでる形は確かにそれっぽいけど、隣のウズラの絵でも同じような形のが使われてるしどうなんだろうね。それにしてもこれらの中国の絵、大体作者が伝ってなってるのがまたミステリアスだね。一応本国でも有名な作者のものって事になってるけど、実際のところは分からない。しかしまるで無名の達人がこれほど素晴らしい絵を残して遥か日本まで伝わっているんだから」
「これこそまさにロマンね」
これで二階は終了。他に銅鐸とか当時の顔料を再現してみたコーナーなんかもあった。
「さて一階だけど、まずは彫刻かな。大阪の金剛寺から来た仏像がドドーンと鎮座してて、ここまで持ってくるのも大変だったろうね。それと宇治平等院鳳凰堂の壁の上のほうに飾られてる雲中供養菩薩像から三つほど参加してるよ」
「彫刻になると小さいのでも逆によくこんな細かく加工してて凄いなってのが伝わるわね」
「次は陶磁器。まずいきなり油滴天目ってのが独立して飾られてるけど、これは実際に見て初めて魅力が伝わるタイプの素敵なお宝だ。毎日新聞号外の写真だと黒いところしか見えてないけど、見せ場は内側の青い部分だね。宝石を散りばめたみたいにとっても綺麗で、素晴らしく素敵な色合いだな」
「他にも青磁下蕪花入なんてのもあるわね。アルカンシエール美術財団ってのも凄い名前。でも国宝になったらおいそれと花を入れたり出来ないわね」
「出来が良すぎるのも大変だね。次は絵巻物と装飾経。源氏物語絵巻や信貴山縁起絵巻、そして厳島神社にある平家納経など」
「そういうのもいいけど、この目無経ってのが面白いわね。未完成の絵が描かれてる上にお経という無理矢理な構成とか。まだ線入れした程度の絵がほとんどだけど最後の方とか、ちゃんと顔まで描かれてる人もいたりして」
「元々は何かの絵巻物になる予定だったとあるけど、これはこれでひとつの完成形なのかもね。次は染織。服とかだね。そもそも昔の人が着ていた服なんかは実物は全然残ってないけど古神宝類って、神様のためにしつらえた服や小物が残ってて、それが当時の服装なんかの実像を探る貴重な資料ともなっているんだ」
「かまぼこ型の木片みたいなのは何だろうって思ったら、よく見たら櫛なのね。櫛の歯が緻密だからなにもないように見えたわ。服も黄色がなかなかに鮮やかで、でも神様専用って事は人間はもうちょっと謙虚な服だったんでしょうね」
「そうやって推測出来るのはまさにこれがあるからだからね。次は金工。刀剣とか仏具とかの金属系だね。密教のあのダンベルみたいなやつもあるよ」
「それと鎧も飾られているわね。仏舎利の容器はデザイン性豊かだし、錫杖も格好良い」
「そしてこれが最後になるね、漆工。徳川三代将軍家光の娘である千代姫が三歳ぐらいで早くも嫁いでいったんだけど、その時に将軍家が威信をかけてこしらえた調度品の数々などが展示されているんだ。モチーフは源氏物語らしい」
「それとこのポルトガル国印度副王信書も綺麗」
「今までは外国と言っても中国とかだし、渋い色使いの絵画が連発してただけあって文明の異なる西洋の精密な挿絵が一層色鮮やかに見えるね。さて、こんなもんかな」
ようやく終わりも見えてきたし十分に楽しめたと思ったその時、渡海雄はある展示品の前で思わず足を止めてしまった。職員の人が「最前列の人は歩きながらの観覧にご協力ください」と叫ぶにもかかわらずである。
「どうしたの、とみお君?」
「ああ、ごめん。心惹き込まれてた。これ、凄いや!」
「へえ、はるばる沖縄から海を越えて今回のため京都までやってきたのね。ええと、琉球国王尚家関係資料なんて色気もへったくれもない呼び方がなされてるけど、この黒い箱は確かにいい色合いね」
「螺鈿だよ、螺鈿。僕は昔からこの貝殻の光沢を切り出して形にした螺鈿という技法がとっても好きでね、しかしこれは特級品だよ。ほら見てこの色合い。赤か紫か、いやピンクが一番近いかな。その赤系の色とグリーンの鮮やかなる光が織り成すハーモニーを。しかも螺鈿だから見る角度で色が変わるじゃない。だから何度見ても飽きる事はないし、それにこのまさしく漆黒、黒の中の黒だからこそ龍のような文様の螺鈿がまた映えるわけだし、金の細やかな細工も素晴らしい。ああ、うわあ、これこそまさに宝物。宇宙に燦然と輝く心の友達が今この瞬間、生まれたんだよ!」
正式には黒漆雲龍螺鈿東道盆と言い、宮廷料理を盛り付けるための容器で中国皇帝にも献上されたようだ。これを見られただけでも金を払った以上の価値があった。本当に良かった。
「見られて良かったね」
「そうね。すさみがちな心が普段とは違う、清新な空気に触れたみたいで気分がいいわ」
「気付いたらもう太陽は随分と斜めになってる。時計を見ると、三時間ぐらいずっと見とれてたわけなんだな。室内にいた時は人の多さも相まってコートを脱ぎたい部屋もあるぐらいだったけど、さすがに外は寒い。もうそろそろ暗くもなるし、早く帰らなきゃね」
「そうね」
二人は来た道を引き返して駅まで消えていった。まさに見るべきものは見たという満足感を胸いっぱいに抱きかかえながら。
個人的には最後の最後に待ちかまえていた黒漆雲龍螺鈿東道盆が最高だった。光り物は図録より現物を見るに限る。もちろん他のものも素晴らしいものばかりで、何かしら引っかかるものがあるだろう。これが千五百円は安い。それだけははっきりとしている。敵は混雑のみ。
今回のまとめ
・黒漆雲龍螺鈿東道盆
・両界曼荼羅図に神護寺三像にポルトガル国印度副王信書
・他にも全部が見どころで非常に満足度の高い展覧会であった
・ただ人は本当に多いので見るだけでも結構頑張らないといけない