fh23 旅行記念 神戸賀川サッカー文庫について
墓標の如き白いマンションの群れが山肌を抉り取っている。時は九時前。電車は今、芦屋駅を出てなおも西へ西へと進んでいる。
先週の土曜日、渡海雄と悠宇は秋の旅行で神戸を訪れた。阪神間には同じようなルートの電車が何本も立ち並んでいるが、とりあえずJRで行くことにした。目的地は三宮を通り過ぎて、神戸駅となっている。しかし三ノ宮駅から神戸駅までは相当近いようで、電車が動き出してから本気で加速するまでもなく到着を告げるアナウンスが車内に鳴り響いていた。
「いやあ、着いた着いた。ここが神戸駅か。意外と普通だね。地方都市のターミナル駅って感じで」
「上はそうでも地下街は割と発達しているから、やっぱり単なる地方とは違うわ。神戸で一番盛り上がってるのは今さっき通った三ノ宮駅の周辺らしいけど、この辺りだって十分なものじゃない。さて、北上しましょう」
「カラオケ屋に居酒屋のチェーン店、吉野家とかもある。港町で観光ってイメージとは違う神戸が広がっているみたい」
「人間が暮らすには程よく便利そうでいいじゃない」
そんな事を喋りながら、かつては市電が通っていたというやたらと太い道路を横断した。向こう側にある木造の巨大な門は非常に存在感があったので、明かりに釣られる夏の虫のように二人はその門をくぐった。
「湊川神社だって」
「湊川といえば楠木正成。今で言うゲリラ戦法を繰り広げて、鎌倉幕府と戦う後醍醐天皇を助けたんだ。戦前は大楠公なんて呼ばれて忠臣の鑑みたいに持ち上げられていた。今の歴史教育ではその反動もあって無視されがちだけど、じゃあ実際どうだったかと言うとかなりの名将かつ残ってるエピソードも尊敬されるにふさわしいものが多く、確かに英雄だよ。そんな人が祀られているのがこの湊川神社、って事らしいね」
「そうなんだ。しかし中は結構綺麗ね。ここ数年で整備されたみたいな。あっ、ここの看板に生涯がイラスト付きでまとめられてる。浅はかな公家とか、よくもまあ書けるものね」
「まずこの湊川ってね、正成が亡くなった場所なんだよ。後醍醐天皇は政治が下手で混乱を巻き起こしたんだけど、それで離反した足利尊氏らと争う中で、正成本人は尊氏と和睦したらいいと思ってたけど戦えと命じられた。じゃあ戦って勝つためにはどうすればいいか考えたけど、そこで捻り出したアイデアが一旦京都から離れるというもので、でも公家の人はそんなの嫌だ天皇は京都からそうポンポンと動くものじゃないとか面子にこだわったんだ。そして後醍醐天皇は公家の意見を採用した」
「ううむ、確かに公家は浅はかだったかもしれないけどそれ以上に天皇がちょっとミス多いような」
「まあ、そこはね。とにかくそれでこの湊川で戦う事になったけど多数に無勢。でも負けると分かっていた戦いにも悲痛な覚悟で赴いて、奮戦の末に自害した」
「そう考えると凄く悲惨と言うか、報われない人生みたいね」
「一種特攻隊にも似た悲壮感があるよね。正成や特攻隊の人たちの心意気は尊いものだけど、その能力や崇高さをそういう形で浪費するしかなかったのはあまりにも悲しいじゃない。そして昭和時代の軍部は湊川の戦いの敗因を軍人以外が口を出したのが悪かったと考えて、だから軍隊は他人の意見を聞かずに自分たちのやりたい放題やればいいとなって暴走を続けたんだ。で、負けた」
「それもまた残念な話よね。全然学んでないみたいで。とか言ってるうちに本殿だわ。賽銭箱の前に荷物を置くための棚もあるし、礼拝の作法が書かれた紙もある。懇切丁寧、サービスいいわね」
二人は五円玉を投げ入れてから太い縄を振り回して鈴を打ち鳴らすと、手順書に書かれていた通りに二度頭を下げてからパンパンと手を叩き、祈りを込めて目を閉じた。そしてもう一度お辞儀をしてから立ち去った。
「いやあ、なかなか面白いものだね。それにしてもとにかく綺麗だったね、湊川神社」
「出来たばっかりみたいだったもんね。でも当然ここ数年でいきなり建てられたわけでもないし、それだけ大事にされてるって事なんじゃないの?」
「そうだね。無念の最期を遂げた英雄も、こうして今でも慕われているなら幸いなのかな」
ちょっとした上り坂を歩いていると、部活中の高校生がランニングをしていた。六甲アイランド高校だそうだ。ここに体育館があるので、彼らはそれを利用しているのだろう。そこも過ぎてもう一本太い道を横断すると、大倉山公園に辿り着く。正面を進むと野球場があるが、目的地はその前に右折する。
「ここかあ……」
「ええ、ここが目的地の神戸市立中央図書館よ。ここの二階に目当ての場所があるらしいわ。さあ、行きましょう」
「うん」
二人は階段を登って二階に進んだ。地元神戸ゆかりの図書が並ぶ一帯を過ぎて吹き抜けの周囲をぐるりと回り、その行き止まりに目当ての場所があった。それこそが、この旅の目当ての一つである神戸賀川サッカー文庫である。
九十歳を超えてなお現役のジャーナリストとして活躍されている賀川浩がその人生において収集されたサッカー関連の蔵書がこの図書館に寄託されて、二〇一四年に開設された。
「それにしても意外と、狭そうだね」
「ちょうど一部屋で、確かにこじんまりとした雰囲気。でも中身はぎっしりよ。ほら、ここの動く棚には雑誌が詰まっているわ。国立国会図書館関西館にはないイレブンとか」
「創刊号から大体全部揃ってるのかな?」
「ざっと見たところ、多分」
まずはイレブンをいくつか読んでみた。このイレブンは日本スポーツ出版社から刊行されていた雑誌で、一九七一年に創刊されて一九八八年まで続いた。現在は出版社もなくなっている。
「どっちかというと海外サッカーの記事が多いね。写真も大概がそれだし」
「国内サッカーが厳しい時代だし、よりレベルの高い世界に魅せられるのも致し方ないでしょう。先行するマガジンとの差別化も考えたでしょうし。でも国内についても情報量の多い記事が豊富だし、選手名鑑もしっかり作り込まれている」
「名相銀の杉山選手の出身地が旧北支だって。ああ、でもそういう時代に生まれた人なんだなあ」
「昭和十六年だからね」
なるほどこれはなかなか良いと思いきや、順調だったのは七十年代の途中まで。いつしか名鑑は集合写真と名前にプロフィール、といった簡潔な記述になって個別寸評はなくなった。監督については結構長文の寸評が書かれていたので、その勢いで選手一人ひとりにもあれこれ言ってくれればと思った。
「他の棚も見てみようか。あれ、プレイボーイとかあるじゃない。しかも結構新しい奴」
「このどこかに賀川さん関連の記事でもあるんでしょ。ふっ、真中監督がまだ新監督で『優勝を目指します』とか言ってるけど、実際に成し遂げたんだから大したものよね。例え今は悲惨な退場を余儀なくされているとしても」
「人生色々だね。それとここにはヤンマーと田辺製薬サッカー部の部史が並んでるね」
「これも狙ってた本よ。いい機会だから読み比べてみましょう」
しばらくは椅子に腰を下ろして読書した。部屋の真ん中に大きな机があって、他に端っこに壁に向かった机がある。賀川さんが実際に執筆に用いる机らしく、その時のための「現在執筆中です」という注意書きもあった。
「まずヤンマーの方は、綺麗なカラーの写真がいっぱいあるし、記事もオリジナルの文章で、特に日本リーグ開幕後は一年ごとに丁寧にレビューされているわね。戦力不足を承知で、背伸びして日本リーグ入りを果たしたものの案の定下位常連だった弱小が釜本など優秀な選手を次々と獲得し強くなり、しかし釜本引退後は得点力不足に悩むシーズンなどを経てJリーグにも漏れて降格、そしてセレッソ大阪に生まれ変わるまでの軌跡が余すところなく描かれているわ」
「歴代監督インタビューとか、もう亡くなられている方もいらっしゃるよね」
「ネルソンこと吉村大志郎なんかはね、早かったわ。そしてこの吉村がヤンマーとしては最後の監督となったけど、カプコンとか日本ハムとか色々な企業が入ってきたセレッソはヤンマー単独じゃないのでちょっと違うって感覚のコメントが印象的ね」
「へえ、ヤンマーディーゼルサッカー部の歌なんかもあったのか。楽譜なんて付いてる」
「その名も『ヤンマーイレブン』。作詞能勢英男、作曲米山正夫。これは例の『ヤン坊マー坊の歌』と同じ布陣ね。そして歌唱は藤山一郎という国民的流行歌手」
「調べるとレコードも出てるんだね。太いラフな線で描かれたヤン坊マー坊はポーズが躍動感ありすぎて素敵じゃない。必殺技放ちそう」
「うん、これは格好良い。やっぱりと言うか、マスコット関係ではトップクラスよね」
「一方で田辺のほうは、何というか、ハンドメイド感漂う作りだね。印刷されてる字がちょっと薄い気がするし」
「それに中身は当時のサッカーマガジンや田辺製薬の社内報なんかからの再掲が多いみたい。唯一日本リーグ一部で戦った一九七三年のところでサッカーマガジン付録の名鑑がコピーされてるけど、これも元の所有者が付けてた書き込みがうっすら残ってるし」
「ああ、本当だ。背番号のところにうっすらと丸とか三角のマークが。これが試合に出た人って感じかな」
「元々は六十年史として作成途中だったけど凍結して、ちょうど田辺製薬が合併して名前が変わる頃に今しかないと動いてどうにかまとめたものであるらしく、バタバタした作りとなっているのもそれ故かしらね」
「ただ貴重なデータである事は間違いないね」
「純粋なアマチュアとしてやっていくと決めて表舞台から姿を消した後はどんな選手たちで戦っていたのかとかも書かれていて、社外からOBの息子などゆかりある人材をかき集めたり四十歳をゆうに越えてなお現役登録されている選手が複数いたり。でもまあ、サッカー選手に年齢制限があるわけでもないし、肉体が動く限りは続けるって素敵じゃない。実際日本リーグでプレーした選手は今でもシニア世代のサッカーで全国大会出場してたりするし、そういうの見てると嬉しくなるでしょう?」
「そうだね。他には、昭和三十四年の実業団選手権のプログラムとかあるね」
「大体田辺製薬の時代が終わった頃ね。部史では主力選手の多くが東京支社へ転勤した事で弱体化したなんて書かれてたけど、このプログラムでいちいち書かれている社内における所属でも確かに複数名が東京支社と書かれているわね。それとメンバー表にわざわざ平均年齢が書かれてあるけどやはり田辺は二十八歳とか高齢化しているのも目につく。横のトヨタなんて平均二十歳ぐらいなのに」
「でもトヨタはトヨタで最終学歴が中学校の選手がずらりと並んでいて、なかなか壮観だね」
「東洋にも控えに三人ほど中卒選手がいるし、でもそういう選手は日本リーグの頃にはほぼ淘汰されている。仕事のついでにサッカーを楽しむだけならいざしらず、日本トップの舞台で戦うとなると当時一流の高校大学で実力を研鑽した選手に敵うものではなかったのでしょうね。そしてこの大会で優勝したのは古河電工だったみたいだけど、確かに知ってる名前が多いのも古河が一番」
「それにしてもこういう大会がいくらサッカーが盛んな静岡とは言え高校のグラウンドで開催ってのも今となってはとんでもない話だよね。スタジアムなかったのかな」
「この大会に限らず結構高校のグラウンドで開催ってケースは多かったみたい。まだオリンピックも来る前だし、サッカーの環境って以前にスポーツする環境自体がきつかったんでしょうね」
「他にも色々な大会とか、今で言う天皇杯のプログラムもあるね。こういうのを相手にすると日本リーグすら新しく思えてしまう。何だたかが六十年代じゃないか、みたいな。僕達どころかお父さんもお母さんも生まれてないくせにさ」
「五十年代の天皇杯参加チームは学生だけでなくOBも参戦している大学チームや地域選抜とも言えるクラブチームがほとんどで実業団単独での出場は東洋のみ、という針のむしろみたいな状況もちょくちょくあって、そんな中をよく戦ったものよね」
実際のところは日鉄二瀬や日本軽金属、そして八幡製鉄なんかも出場しているのだが、東洋は中国地方の盟主として毎回のように出場しているので目につきやすいのだ。それにしても日鉄二瀬とか野球部しか知らなかったがサッカーも強かったのか。
「おっと、これは凄い。日本リーグのプログラムに載ってる広告だけど、やっぱり凄い味がある。ほら見て、この一九六八年の名相銀」
「ひええ、女の子がナコちゃんのお面被って貯金通帳を印籠の如くかざしている! その横の思いっきり笛を吹き鳴らしてるナコちゃんのイラストも素敵だね」
「毎月八日はナコちゃんデーなんてあるけど、こういうお面とかくれたのかしらね。名相銀のユニフォームはナコちゃんと同じピンク色だったらしいけど、実際のところどれぐらいのピンク度だったのかカラー写真とかあれば見てみたいけど、入れ替え戦常連の弱小チームなんぞに貴重なカラーグラビアを割けるものかとばかりに、なかなかいい写真がないのよね」
「どこかにはあるんだろうけどねえ」
「それと八幡製鉄と日本鋼管の『俺達こそが日本という国の中心に立っているんだ』とでも言いたげなまでに自信満々な広告もいいわね。まさに『鉄は国家なり』という言葉の通りで、力強い」
「八幡は紹介されている商品もハニカムビームとかH形鋼とか必殺技みたいで、それと比べるとやっぱり鋼管は広告弱いね」
「まあ八十年代にロゴが変わった後のフジタよりましだけど。Jリーグ開幕後の本もあるけど、例えばこれとかどう? ちょうど一九九三年の後半戦スタートってあたりに出たらしい本。十人の著者によって書かれてるけど賀川さんが担当してるガンバのページ、サッカーをよく知っているメトコフとアレイニコフに注目だって。今となっては渋いところ突くなあってなるわね」
などと言った話を繰り広げていると賀川さん本人がご来館された。間男と致している最中に夫が帰ってきた時の矢口真里みたいな気持ちになりながら「こ、こんにちは」とぎこちなく頭を下げた。時間はそろそろ二時になろうかというところで、それまでは警備員が定期的に巡回する以外に誰も来なかったのだが、賀川さんのスタッフみたいな人とか外国人二人などが続々と部屋を訪れて、一気に賑やかになった。
神戸に着いたのが九時で、図書館到着が九時半。そこから試合もあるしそろそろお開きかなという五時まで食事を摂る暇もないほど、あっという間に時間が経った。でもさすがにお腹が空いてきたので、それはスタジアムで賄おうという事になった。
という事で二人は図書館を立ち去った。まとめるととにかく見どころ満載だが、プログラムや一部雑誌、日本リーグ年鑑なんかも全巻揃っているわけではなく、ところどころ抜けやダブりがあるのもらしさと言えよう。サッカーマガジンあんまりないなあと思ったけど、どうも震災でやられたみたいだし。
それともっとたくさんある本当に貴重な本についてはあんまり言及出来なかったが、それこそ住み着くぐらいしないと難しいだろう。洋書も多いし。
地下鉄を使って到着したノエスタのスタグルで評判が良いのはタンドリーチキンだが、確かに「スタグルとしては」みたいな区分する必要がないくらい美味しかった。他にも色々食べて腹ごしらえをしつつ試合が始まったが、せっかくの川崎戦なのにノーゴールで終わった。まあそれもサッカーさと悠宇は平気な顔を繕ったが、やっぱりゴールは見たかった。
とにかく実りの多い神戸旅行であり、またきっと訪れたいなと強く願う二人であった。
今回のまとめ
・湊川神社は物凄く綺麗で本当に慕われているんだろう
・書ききれないぐらい色々なデータを得たので今後に活かしたい
・しかし読みきれないほどの資料がまだまだあって住みたいぐらい
・試合の詳細やその他観光は別の場所にまとめる予定