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fh21 バレンタイン記念 70年代の読売クラブについて

 二月の終わりにはもうJリーグが開幕する。さすがに今の時期は南国であってもまだまだ寒いし、九州のキャンプ地が白く染まったとかで大変そうだ。今日の朝も鴻毛のような雪がふわふわと空から舞い降りていた。


「新戦力がフィットしそうだったり不安が残ったり、色々な状況のチームはあるけど、中にはちょっと不安だなってところもあるわね」


「チームの顔と言える選手が移籍してしまったりね。それと経営でやらかしたので首脳陣がごっそり辞めたところもあったね」


「あんな五十以上あるとどこかしらそういうクラブも出てくるものよね。というわけで今回は読売クラブ」


「今のヴェルディか。かつては名門だったと言うけど、もはやそんな存在感さえ色褪せているね」


「まあ、色々あったしね。まず創立は日本リーグより新しい一九六九年。というわけで出来た時点でもう日本リーグは権威として存在してて、読売クラブはそれに異議申立てをするような存在として生まれたの」


「ふうん。つまりどういう事?」


「まず当時のサッカー選手は名門高校から名門大学を経て一流企業に就職し、企業が宣伝や福利厚生のために持っているサッカー部に在籍して引退後は社業に専念ってパターンが王道だった。身分としてはまず会社員ありきのアマチュアでね」


「どこもそうだったよね」


「でも読売クラブは最初からそうじゃないもの、つまり選手たちがサッカーをやってるだけで生計を立てていくようなプロサッカーチームを目指したの。そのためにまずは自前のグラウンドをよみうりランドに作り、監督として東京教育大学、今の筑波大学サッカー部で活躍した成田十次郎を招聘、成田の教え子が加わって軸を作ったの。その上で高校生ぐらいの若い選手を集めて、彼らを育成。で、大体十年ほど経った一九七八年に一部昇格を決めたの」


「やっぱり育成ってある程度時間かかるものなんだね」


「ただそこはある程度不運もあったと言うかね、二部では七十四年に早くも優勝したけど入れ替え戦でトヨタに敗れ、その後もずっと出続けながらなかなか突破出来なかったの。三年連続入れ替え戦敗退とか、このルールで一番割りを食ったのは間違いなく読売だったわ」


「ううん、それはまたきつい結果だねえ」


「じゃあ実力が足りなかったのかと言うとさにあらずで、昇格一年目からいきなり四位と実力を見せつけたの。特に攻撃力は抜群でいきなり得点数リーグトップと、まさに新風として存在感を発揮したわ。そして名鑑のある七十九年なんだけどね、まずエンブレムが今と違うわね」


「鳥の奴じゃないんだね。あれも読売クラブ時代から使われてたって聞いたけど」


「この翌年辺りからだってね。Yの字が音叉みたいに描かれてて、その叉の間にサッカーボールが置かれているデザインはそこまで洗練されていなくて、やっぱり今のもののほうが出来が良いわ。またこの時点ですでに1969と書かれてるのは永大とも共通する『これだけの短い歴史でここまで上がってきたぞ』という自負心の現れかなと見るわ」


 思えばヴェルディが本拠地を東京に移した際に1969と付けた事について「これだけの短い歴史の中で」みたいな説明があったのには違和感があったのを覚えている。一九六九年って大昔じゃないか、むしろ長い歴史を誇示してるんじゃないのって。今だとヴェルディは日本リーグ開幕の六十五年や丸の内御三家など当時の強豪が創立された時代を踏まえていたのかと何となく理解しているが、私を含めた世間は概ね九十三年が起点になっているわけで、感覚の乖離があったんだなと思う。


「あれ、背番号8にラモス・ソブリーニョっているけどまさかこれがあのラモス? まるで別人みたい」


「髪の毛が長くなくてヒゲも薄くて痩せこけた輪郭の中に野心を秘めた目を備えているだけで全然別人じゃないでしょ。ただルックスだけで言うと隣の背番号7ジャイロ・マトスのほうがヒゲが長くてラモス感あるかも。そしてこのジャイロ、聞いた事もあろうかと思うけど元々は永大にいた選手よ」


「ああ、いたねえ。背番号1の高田喜義もそうだよね」


「ええ。当時の新聞において『読売クラブは今までのチームとここが違う』と説明する際によくこの高田が使われてたわ。つまり今までは例えば三菱なら三菱、日立なら日立の企業に所属する人間だけが集まっているけど、読売クラブは永大の関連企業に勤めている高田など所属はバラバラだ、みたいなね。ちょうど当時永大は経営危機で世間を賑わせてたし。この名鑑にもいちいち所属が書かれているでしょう」


「高田は(株)日本モニエルってあるね」


「これは永大がオーストラリアのメーカーと提携して設立した屋根材のメーカーで、モニエルってのはセメントで作られた洋風の瓦らしいわ。他には日立にいた福本豊明もこの年から読売に移籍してて、所属は(株)日立エレベーターとなっているわ。日立本社じゃなくてね」


「GKなのに背番号5ってのも珍しいね」


「ここはたまにそういう事するの。選手の所属に関して、一番多いのが(株)よみうりランド所属だけど、まあこれは事実上プロよ。ジャイロや二部リーグで三年連続得点王のストライカー背番号11岡島俊樹、ヴェルディ公式サイトの『クラブのあゆみ』で福本と一緒に移籍してきた事が記載されている元フジタの背番号18田中稔ら」


「大学生やそれに準じる聴講生も多いね。うわあ、背番号3松木安太郎だって。肌がツルツルでゆで卵みたいだ。若い!」


「そりゃあ若いわよ。四十年近く前なんだもの。そんな松木は日体大だしチームの中心だったブラジル人背番号9ジョージ与那城は明治大、ロックスターみたいな長髪が印象的な男前の背番号26鈴木武一は慶応大通教部。それとラモスも日本語学校学生って事になってる」


「しかしこう見ると髪型自由な選手が多いね。鈴木の他にもなぜか所属のところに何も書かれてない背番号12大渕龍介やホセ・デ・サンマルティン商高出身の背番号29和後昭司も長い。そもそも相川亮一監督からしてかなりの長髪だし」


「違うわ。よく見て、相川は監督じゃなくてコーチよ」


「あれ、本当だ。監督みたいに顔写真載ってるのにチーフコーチって、どうなってるの?」


「この頃は西邑昌一って、当時すでに六十を超えてた戦前からの大物が監督やってたけど彼は関西在住で、それでも結構頻繁に上京して指導してたらしいけど実質相川コーチがチームを率いていたと言うわ。でもこの年だけは事情が違ったみたいで、まあ相川が指導の中心だったのは間違いないわ」


「ふうん、ややこしいものだね。選手の職業だけど自営なんてのも何人かいるんだね。背番号6小見幸隆は家政婦紹介所、背番号20奥田卓良は奥田輪店って」


「背番号4佐伯憲二の道合美容室なんてのも。この佐伯、いかにもディフェンダーらしいゴツゴツした顔で美容師って雰囲気ではないわね。それと当時現役高校生だった背番号14戸塚哲也も登録されているわ」


「へえ、そういうのもいたのか」


「所属は世田谷工高って事になってて実際高校に通いながらトップチームにも登録という、ユースチームを持って若手を育成していた読売クラブならではの選手よね。そしてこの年の四月には早速デビューしたの。それだけ素質を買われていたって事よ」


「現在でも有望な若手は高校卒業前から試合出るもんね」


「そういう若手のあり方もまさに現代の先取りよね。なお戸塚は後に得点王二度の点取り屋に成長して、Jリーグ開幕時にもテクニック抜群なベテランとして名を連ねていたわ。と言うわけで七十九年当時一部リーグ所属でJリーグ開幕に間に合ったのは三菱の尾崎加寿夫、古河の菅野将晃、読売のラモスと戸塚哲也の四人となるわ。しかも菅野以外の三人はヴェルディ所属だったと言う」


「この頃は若いチームだったけど、そうやって歴史を纏うようになったんだね」


「そうね。読売クラブは今までの企業チームとは異なるあり方からアウトロー、異端と呼ばれながらも実力で日本のサッカーを変えていったわ。そしてプロリーグたるJリーグが開幕していよいよ読売の時代かと思いきや、むしろ次第に没落していった」


「悲しい話だね。どうしてそうなっちゃったの?」


「一番は金の問題なんだけど、読売クラブが強くなって、Jリーグも話題になって注目を集めて、それで当初の志や情熱を持たない人間に壟断されたのは良くなかったんじゃないかなとは思うわ。ヴェルディになった頃とかマスコミらしく自分たちが世界の中心であるかのようにうぬぼれて嫌われて、思うままにならないと分かると逃げ出して。五十年に迫るクラブの歴史でそういうのがでかい顔をしてたのはほんの数年だけど、それが全てみたいに見られるんだから本当に致命傷だったなって」


「評価が下がるのは一瞬だもんね。芸能人なんかも一度やらかしたらもうそのイメージばかりになる」


「やらかさないのがそりゃあ一番なんだけどね。それと情熱と言えばこの名鑑の広告なんて、いいじゃない。他と違ってページを上下に分割して下半分はよみうりランドの広告だけど、上半分は読売クラブそのものの広告なんだから。『君が、日本リーグにデビューする日は、いつか?』なんてね、サッカーマガジンの熱心な読者に向かって語りかけてるし」


「『12才から20才までの人、さあ! 一緒にボールを蹴ろう!!』だって」


「広告としてはスペーススカスカだし、決して洗練されたデザインではないけど、その分手作り感溢れててそこがかっちりした形に収まりきらない情熱を感じさせる気がする。だから好き」


「それと『詳しくは下記まで』として掲載されてる読売サッカークラブ事務局の住所は東京都稲城市なんだね」


「そこね。ヴェルディ没落の原因の一つとしてよく挙げられる本拠地移転問題だけど、これに関してはクラブの意識と世間のそれの乖離が一番まずかったかなと思うわ。ここって元々よみうりランドのグラウンドで育ったクラブじゃない。読売クラブ時代から川崎と名乗った時代を経て今は東京ヴェルディだけど、それはずっと変わっていない。今も金銭的な負担になりながらもこだわってる部分なわけだし」


「よみうりランドって言うと東京と川崎の狭間にあるね。一応敷地の大部分は川崎だけど」


「そういう中で東京と川崎を分けてどちらかにしろってのは、難しいものでしょう。でもJリーグの理念としては、自治体ごとにクラブを持つようにしたかった。ヴェルディは東京を軸に全国区になりたいと狙っていた」


「視点がよみうりランドだと川崎から東京って南に向いてた視線を北に向けた程度って発想もあったのかな。どうせ近いし川崎でも東京みたいなもんじゃん、みたいな」


「川崎と名乗るよりは日本の首都たる東京でありたいと願ったのはそうでしょうね。でもそれは叶わなかった。当時のJリーグは割と厳密にスタジアムのある自治体の名前を名乗らせていたから。だからジェフは市原とかどこにあるのかもよく分からない地名名乗ってたし、本当は最初から湘南と名乗りたかったベルマーレも平塚を強要された。まあその割に吹田市にあるガンバは当初から大阪で認められてたんだけど」


「原則論で言うと確かにおかしいね。でもガンバ吹田ってなるとちょっと弱そうだね」


「吹田市にあると知らなかったみたいに川淵はしらばっくれてるけど大阪府出身のくせにその辺の地理感覚を掴めないわけがなく、まあ見事な政治家よね。で、ヴェルディの件に関して世間はJリーグの理念のほうがが正しいと思った。だからヴェルディはJリーグの理念に反する悪いクラブだってなった。傲慢な読売の体質に対する反発もあったし」


「野球のほうでも大概だし、そう考えるとやっぱり自業自得とも言えるものか」


「川崎市との別れ方とか酷かったみたいだし、自らの行いが招いた結果と言えばその通りではあるわ。川崎時代も途中からは観客激減してたけど、ヴェルディはその原因について川崎市に人が少ないから人の多い東京に行けばどうにかなる、みたいな分析してたわ」


「さすがにその分析は正気じゃないでしょ。川崎だって政令指定都市なのに」


「その辺はヴェルディの悪いところよね。帰るべき場所へ帰還したと思ってたのはヴェルディだけで、川崎からは反発されるし東京からしても今更って話で中途半端な根無し草に。それにつけても創設時から同じ本拠地でやってるクラブが本拠地移転で叩かれるなんて皮肉な話よ」


「やっぱりブレると駄目なんだね」


「うん。マスコットのヴェルディくんとかね、あれとか象徴的かもね。エンブレムに鳥がいるじゃない。Jリーグ開幕の頃にじゃああの鳥は何なんだろうってなった時、とりあえずコンドルじゃないのって事になってヴェルディくんはコンドルをモチーフにしたけど、本当は始祖鳥だったのよ。企業の持ち物から脱却して日本におけるプロフェッショナルなサッカークラブの魁たらんとする志をその胸に抱いてデザインされたものなんだから。あの時『いや、あれはコンドルじゃなくて始祖鳥ですよ』って強く発信出来るような人間がクラブからいなくなってて、視野の狭い傲慢な老人に振り回されたのは誰にとっても良くなかったわ。まあ怪しい人間に翻弄されてるのは今も同じで、今年なんか教祖様が胸スポンサーになる始末だし」


「まさに神頼みか。そこまで堕ちるとは」


「このクラブに関して一般より好意的に見ていると自負する私でも正直うわあって思ったもの。でも、まあ、今度招聘したロティーナ監督は結構優秀って話だし、とにかく頑張ってくれるといいわ、うん。どれだけ傷ついて失うものばかりでも、まだ生きている、それが大事なんだから」


 このような事を話しているといつの間にか時間が随分過ぎ去っていた。放課後で日はまだ高々と上がっていたはずなのに、気付いたら黄昏を通り越して青黒い空が広がっていた。風も冷たく、別れの時を告げているようだった。


「それじゃあ今日はこの辺でっと……。あっ、そう言えば今日が何の日だか分かる?」


「んっ? あれ、何だっけ?」


 もう終わりかという時間にいきなり出された質問に「ああ、お菓子屋さんが儲かる日ね」と察しはついたものの、あっさり言うのも図々しい感じがしたので白々しく口笛を吹いた。悠宇としても自分がこう言えば向こうはこう来るだろうってのはおおよそ見えていたので、ここは「まったくもう。決まってるじゃない。バレンタインデーよ、バレンタインデー」と率直に切り出した。


「でね、年に一度の機会だからこっちとしても渡すものがあってね。とみお君、手を出して」


「うん」


 悠宇はポケットの中から袋を取り出した。中にぎっしり詰まった麦チョコの一粒を差し出された手のひらにポトンと落とした。


「はい、私の気持ち」


「はっ、うん、これはまた……。ありがたく、受け取るよ」


 渡海雄はさすがに少なすぎるのではとがっかりしつつも、でももらえないよりましかと自分で自分を慰めた。でもこの量じゃあ後生大事に取っておく事もなかろうとすぐに飲み込んだ。その一瞬、悠宇は猫の素早さで渡海雄の懐に潜り込み胸を引き寄せると、思いがけない事をした。電光石火の早業に射抜かれた頬は、動いてくれない体と心を追い越して瞬く間に赤く染まっていった。


「えへへっ、これも私の気持ち。じゃ、またね!」


「……! うん! また明日!!」


 悠宇はさっと踵を返すと、走りながら手を振って去っていった。渡海雄も走って家まで帰った。上気した顔は冬の寒さをものともせず、眠るまで冷える事はなかった。

今回のまとめ

・既存勢力へのカウンターが権威に上り詰めた次の動きはいつでも難しい

・ラモスや松木ら今の顔を知ってる人ほど若いなって印象になる

・多くの間違いを犯したけどまだ生きているから歩いていける

・本当に神様がいるならナベツネはとっくにくたばってるだろう

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