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am19 稀勢の里優勝記念 力人伝説について

 先週、日本列島を襲った寒波は強烈だった。特に土曜日から日曜日にかけて夜の間に降り続いた雪は街を白く染めていた。黒い瓦も白く染まっていた。白いルーフも白く染まっていた。


 そして朝、雪解け水がキラキラと反射して、ただでさえ澄んだ空に燦々と輝く太陽の光をより強めて眩しすぎるほどであった。道の端には雪がいっぱい残っていて、渡海雄と悠宇は雪だるまを作ったりして散々楽しんだ。


 本当はそのタイミングでやれると良かったけど色々あってタイミングがずれた。しかしその間に意外な展開があったので、むしろ天佑だったのかも知れなかった。


「稀勢の里が優勝しちゃったねえ!」


「ええ、そうね。まあ実力からすると遅すぎたぐらいなんだけど、驚きの程度で言うと先週の大雪よりもサプライズだったわね」


「思えば一年前の今頃は琴奨菊が優勝してたんだよね。それが今では大関陥落」


「厳しい世界よね。というわけで今回は大相撲をテーマにした漫画。時期で言うと今から四半世紀ほど前の平成の初期、って言い方してみたけど平成もどんなに長くても後二年そこらで終わってしまうのよね」


「今上天皇が辞めるって事だからね、当然そうなると平成時代も終わっちゃうんだよね」


「次の年号どうなるのかしら。話を戻すけど平成初期には大相撲のブームがあって、その中心を担っていたのが若乃花と貴乃花の花田兄弟よ」


「貴乃花は親方だけど、若乃花はまあ何とも言えない立場にいるよね。ええ、花田勝氏がですね」


「まあ、それは後の話だから。一応説明するけど若乃花が兄で本名花田勝、貴乃花が弟で本名花田光司。ただこの四股名も最初は若花田と貴花田だったとか色々あるし、兄弟の親方である父親は力士時代貴ノ花って名前で、その兄も元横綱で若乃花だったという絡みもあってややこしくなるのよね。兄弟の人気はこういう血のドラマもあったから。ともかく今後は兄は勝、弟は光司と呼称していくわ」


「はい、了解」


「で、彼らの人気絶頂だった一九九二年から一九九三年にかけて、その勝と光司の花田兄弟人気に便乗して描かれたノンフィクション風漫画がこの『力人伝説-鬼を継ぐ者-』よ。掲載されていたのは週刊少年ジャンプで、原作は宮崎まさる、漫画は小畑健」


「小畑健はあの、デスノートとかの人だよね」


「そうそう。絵がとても上手い事で知られているけどこの当時からとても上手くて、非常にリアルなタッチで実在の力士達が描かれているわ。いやあ、本当に、絵は圧倒的よ。その上で光司は力士体型に美形主人公の目って感じで、まあ格好良いのは格好良いけど時々不気味かも。勝はちょっとサブキャラっぽいけど、現実の人気もストイックな光司が主人公、勝は主人公を支える人のいいお兄ちゃんって感じだったと言うし、そういう立ち位置を反映したルックスとなっているわ」


「現実でも光司のほうが顔いいみたいだしね」


「力士体型に少年漫画的ルックスをミックスして、しかも実在の人物だから本人に見えるようにしないといけないという制約いっぱいの中でここまで似せつつデフォルメもしてて、まさにプロの技よ。そして原作の宮崎は複数のペンネームを持ち各地で活躍する原作者で、手塚治虫の代表作の一つが作られた当時の舞台裏を当時のアシスタントや編集者、家族などからの丹念な取材を元に描いた『ブラックジャック制作秘話』を手がけているように、この手の実録漫画はお手の物よ。実際本作でも少年時代に対戦した人物と会ってたり、しっかり取材してるみたい」


「現実準拠だから大嘘とかつけなくて大変そうだね」


「ただその中で盛り上がる話を作れるかが大事だから。そしてまず第一話は平成三年五月十二日、夏場所の初日が舞台となっているわ。この日、光司は十八歳にして横綱に初挑戦したの。しかも相手は当時の角界における第一人者である千代の富士」


「この間亡くなられた人だよね」


「そうよ。美しささえ感じさせる鍛え抜かれた筋肉質の肉体からの素早い攻めと必殺の上手投げで通算千勝の大記録を史上初めて達成した、まさに大横綱と呼べる力士だったとされるわ。で、結論から先に言うとその大横綱相手に光司は勝利。そして数日後千代の富士は現役を引退したわ。まさに劇的な世代交代として語り継がれている一番の、知られざる秘話がこの第一話では語られているの。まず対戦の前日、花田兄弟は街で偶然千代の富士と遭遇したの」


「そんなあっさり力士って会えるものなの?」


「国技館のある両国駅前だから、そういう事もあるんでしょ。そこで千代の富士は『お前たち兄弟に渡すものがある』と告げる。それが何かは教えなかったけど、それはかつて兄弟の父親である貴ノ花から渡されたものらしい。光司は夜を徹した猛烈な稽古を行うもそれが何なのか掴めないまま土俵に上がってしまった」


「あれ、駄目じゃない」


「でもそこは兄弟の絆、一足先に何かに気付いた勝による『眼だ!』というアドバイスでウルフと称された千代の富士の鋭い眼光と、そこに秘められた決意に気付く。でも逆に『闘志だけならボクだって負けない!!!』と逆に睨み返す気迫を見せる光司。そしてぶつかり合う中で千代の富士はこの勝負に自らの引退を懸けていると完全に悟ったの。しかし、だからこそ負けられないと更に眼光鋭くなり、猛烈な攻めでついには大横綱を寄り切る」


「十代にしてそれか。まさに天才的だね」


「本当にね。大興奮の場内の片隅、ひっそりと花道を引き上げる千代の富士はしかし自らが渡したものをしっかり受け取ってくれた事に満足していた。その証拠となるのが胸に出来たアザで、これは千代の富士の気迫を前にしても逃げずに当たってきた証。そして勝ち名乗りを受ける光司は心で『力士魂確かに受け取りました! ごっつぁんです!!』とつぶやいた。そして数日後、千代の富士引退発表してからも相変わらず兄弟は猛烈な稽古を積み重ねて『今日からボクたちが新しい力人伝説を造っていきます』と決意して終了」


「へええ、いい話だねえ」


「実話だとしたらね。基本本作は実在の人物をテーマにしているけど、嘘か真か不明なエピソードも続出するの。もちろん明確に表に出た勝敗とか優勝の行方なんかは嘘をつけないけど、それにまつわるドラマはどうなのやらってものも多くてね」


「虚実入り交じる世界か」


「昭和時代なんかそういうのも多かったけどね。特にプロレスとか極真空手といった格闘技は数多くのファンタジーに彩られていたわ。そう思うと平成の世にあえてそれを復活させたのがこの力人伝説だったのかもね。第二話からは花田兄弟の小学生時代で、ちょうど父の貴ノ花の力が落ちて引退する頃の話となっているわ。見どころは貴ノ花が夜な夜な繰り返す一人相撲と美人すぎる憲子夫人。本当、誰って感じだから」


「力人伝説の憲子夫人と藤田紀子さんは別人って事かな」


「実際別人認定でも良さそう。それと小学生時代の光司は美形な目と丸々した体型のギャップが更に激しくなってて、赤ちゃんみたいでちょっときもい。まあそれはとにかく、この小学生編でも初めて廻しを締めたわんぱく相撲大会でいきなり伯父の若乃花を驚嘆させた光司の鋭い突進や、弟絡みの不幸な事故で右腕を捻挫した相手と対戦する際に自分も右腕を傷つけてから勝利した勝の優しさといった感動的エピソードが続々語られるの。この時期のお話で全体の半分ぐらい占めててやや長いかなと思うけど、もっと連載が続いてたら適正な分量となってたはず」


「全部で三巻なのか」


「まあジャンプだしね。小学時代の次は一気に五年ほど経って光司が中学卒業しようかというタイミング。つまり入門よ。光司がまず決意して、勝も高校中退して同時に入門すると決めるの。そして新弟子検査で兄弟ともに合格するけど、二人よりも注目を集めたのは身長二メートル体重百五十二キロという驚異的な肉体を誇るハワイ人だった。それが後の横綱で二人のライバルとなる曙太郎よ」


「ああ、格闘家として一時期は散々ネタにされた曙か」


「引退後の事だから、弱ってても仕方ないじゃない。まあこの曙も本作においては清々しいライバルとして登場しているわ。貴ノ花と曙の親方でハワイ人だった高見山が花道からお互いの弟子が火花を散らす様子を見ながら過去の自分たちを思い出すくだりとか、絵も合わさって非常に感動的。かと思ったら次の話では勝が高校時代にやりあった不良たちとのエピソードが出てきたり。花田の花は喧嘩の華の字なんだって」


「それぞれ全部違う漢字なのがいいね」


「これもかなりのものだけど、その次のエピソードも本作を代表する胡散臭いエピソードで。序二段時代に花田兄弟はヤクザに因縁を付けられたけど、うかつに手を出したら即廃業と煽られる。そこで兄弟は路上に円を描く。それは土俵で、そして『オレたちは土俵の中でなら命をはれるんだ』と啖呵を切ったところ気圧されたヤクザは退散という」


「いや、もし本当だったら凄いじゃない。ひよっことは言え力士に絡むヤクザの胆力が」


「強い相手に挑むヤクザなんていないでしょ。ただこの辺から打ち切りが決まったのか、時系列が飛び飛びになりつつ最後に取っておきの話で締めにかかるの」


「競争社会の厳しさだね。それでラストエピソードはどんなもの?」


「それは第一話の直前、花田兄弟が順調に番付を上げていきそろそろ横綱戦も見えてきた頃の話よ。勝が曙に国技館内の自動販売機の前で『百円貸してくれない?』と言ったので貸した時、偶然千代の富士が通りかかったので兄弟は硬直したように頭を下げたの」


「また千代の富士が偶然通りかかったのか」


「国技館での話だから、むしろいないと不自然でしょ。で、結局勝は飲み物を買わずに百円を曙に返した。曙はその金を自販機に入れようとしたら入らない。千代の富士に興奮した勝が思わず握りしめていたので百円玉が曲がっていたの。それほど強く意識してたんだ! ってお話」


「本当だとしたらギリギリで間に合えた事になるのか」


「そうね。そして最終回は、やっぱり第一話直前の巡業中、花田兄弟と曙は千代の富士に稽古を付けてもらうが容赦なく投げ捨てられまくる。しかしそれを繰り返す内にグングンと実力をつけていったの。そして最後の稽古で光司と千代の富士は土俵際でもつれあいながら両者ほぼ同時に落ちる。『もう一番やるか』との問いに光司は『もう一番は本場所でお願いします』と答えて第一話に続く、というエンディング」


「最後はきっちりまとめたんだね」


「伊達に原作付けてないわ。全体的に言うと、基本的には連載中におけるリアルタイムで、例えば光司大関昇進とか勝幕内優勝といった現実における節目節目で『あの頃を思えば夢のようだ……』みたいな感じで過去編に突入するんだけど、そこで『入門時を思い出す中で小学生時代のエピソードを思い出す』みたいな二重三重の過去回想が入ったりするのはちょっとややこしいかも。いやあ、いい話ばっかりなんだけどね、実話だとしたら」


「まあ、スポーツの世界とか実際分からない事ばかりなんだし多少ファンタジー入ってても別にいいとは思うけどね。娯楽だしその場を楽しめればってものじゃない」


「ただリアルタイムではともかく今となってはって部分もあるからね。本書がネタにされがちなのもまさにそこで、現実を相当美化していたのは確かよ。特に兄弟愛、親子愛のエピソードは。本作において花田家の血の絆が強調されてるけど、そこに関してもとんでもない噂話が出てきたり。まあその後の確執やら何やらに関しては、ゴシップになるから語らなくてもいいか」


「色々大変だったんだろうね。こういう理想の物語を押し付けられるのもまた大変だったんだろうけど」


「そうね。物語においては、少なくとも実在の登場人物全員は肯定的評価だけど、それが嘘くささを助長しているのかも。道徳の教科書みたいなね。一流の勝負師は常人には見当もつかない世界を秘めている事も多いし、そういう部分も見せたほうが物語としては惹かれる力があったかも知れないし、難しいものよね」


「でもそういう話になるともうジャンプの範疇じゃないよね」


「そういう噛み合わせも良くなかったかもね。面白いんだけどね。『今となっては』みたいな皮肉めいた読み方しなくても。なお三巻の後ろには小畑健の読み切りが二作掲載されているわ」


「打ち切り漫画の旨味部分だね」


「こっちのほうが本編よりもずっと秘話って感じだからね。で、一つは『夢幻導士』なる、人の夢の中を自在に行き来する少年の活躍を描いた漫画。日中は眠ってばっかりのスラムダンクの流川っぽい美形主人公が学園の陰謀を暴く。そしてもうひとつは『500光年の神話』というSF世界での恋愛もの。絵のタッチが明らかに古くて八十年代のアニメ雑誌とかに載ってそうな絵柄だけど、実際八十年代に描かれたもので当時高校一年生だったと言うの。すでに連載レベルの絵でまさに栴檀は双葉より芳し」


「でもこれも売れなかったし、ブレイクにはやけに時間がかかったものだね」


「タイミングもあるからね。稀勢の里も十代で幕内まで上がったけどそこから時間かかったし。それで優勝したと思ったら早速横綱昇進なんて話になってるけど、まあ強いのは強いしいいんじゃないの? 日本人横綱となったら若乃花以来となるし、そうなれば若貴時代は完全に過去となるでしょう。流れ行く時の中で、元々の若貴人気に便乗した企画っぽさとか現実とはどう違うみたいなごちゃごちゃした部分も脱色されてそこにノスタルジーとロマンだけが残った時、本作も正当な評価を受ける瞬間が訪れるかもね」


 このような話をしながら二人は千秋楽をテレビ観戦していた。白鵬と稀勢の里の取組では横綱が気迫十分に攻めていたが大関がよく踏ん張り、最後は土俵際で投げて優勝に華を添えた。去年仲良く無冠だった稀勢の里と川崎フロンターレだが、ついに稀勢の里が優勝した。フロンターレはどうだろうか。次回はそういう話をする予定。


 などといった事を書いていた頃には、この年の秋に貴乃花親方と出くわすなどとは露ほども思っていなかった。


 秋祭り、近所の神社で相撲大会が開かれていた。毎年恒例のイベントで、特にお互い技もなく体格も大して違いない中で文字通り力比べとなりがちな低学年の取組が好きなので早々と会場に赴いたところ、ちょうど開会式をやっていた。


 大学生の模範演技も終わってさあいよいよ一年生の取組スタートかと思いきや、司会が突如「本日は貴乃花親方にお越しいただいております」などと言い出したので、最初は気のせいだと思い込もうとした。しかし続いて「貴ノ岩関や貴景勝関を育てて……」云々と述べており、それはもはや聞き間違いで誤魔化すには不可能なまでに明確な響きとなって耳に届いていた。


 そして「一言お願いします」と促されて立ち上がった親方は「皆さん、頑張ってください」と一言だけ告げて、また椅子に座った。本当に一言で終わるお偉いさんがいるものなのか。例えば剣の達人が一振りで挑戦者を切って捨てるかのようなストイックさ。さすが大横綱、ここで饒舌に喋るよりも深いものを残したものだと妙に感動的でさえあった。

今回のまとめ

・雪が積もった朝のテンションの高まり方は異常

・ようやく優勝した稀勢の里だがあまりにも遅すぎた

・小畑健の絵は本当に凄いし話も真偽不明な感動秘話が続出する

・現実の生臭さは時を経て薄れていきその後に残るのが伝説となる

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