fh19 70年代の田辺製薬サッカー部について
導入されたと思ったら二年で廃止となったチャンピオンシップだが、最後に無事爪痕を残してくれた。これで今年も年間最多勝ち点の浦和が優勝するだけだったら、ただ単に首位チームの気を揉ませるだけの嫌がらせで終わっていた。それと昇格争いにも決着が着いた。そういうサッカーの話題で二人はもちきりとなっていた。
「まあ、浦和が泣く事で鹿島は笑ったんだし、そういう制度だから仕方ないわ。救われないのはこの制度は今年限りって事だけど。しかしつくづく、去年のサンフレッチェはよく勝ってくれたものよね」
「しかし一戦目勝利で、この間の二戦目も先制点を早々と決めた時は順当に決まるかと思ったけど。勝負強さって恐ろしいものだね」
「しかしそれだけで片付けていいものなのか。逆転されてからの浦和は酷かったわ。槙野をパワープレーで前線に上げたけど、あれも監督は上げろと指示を出したけどコーチ陣はまだ早いと反対してたとか」
「結局パワープレーは全然機能してなかったもんね」
「アディショナルタイムにフリーキックを得た時、GKの西川に対して監督は『上がれ』と指示出したけど他のベンチの人達からは『戻れ』って指示が出てたらしくて西川はどうすればいいのかとばかりにピッチ上をうろうろしてたり、テンパってるのが素人目にも明らかだったわ。ペトロヴィッチ監督って、大一番では覿面にテンパるから、そこをどうにかしないと。そしてJ2の昇格プレーオフを勝ち抜いたのはセレッソ」
「セレッソ復帰おめでとうございます。終わってみるとこっちは順当というか、そもそもあんな代表選手も揃ってて何で自動昇格じゃなかったのって話だけど」
「選手は揃ってるし監督も今年限りで退任するから、どれだけやれるかに注目ね。で、そんなセレッソは元々ヤンマーディーゼルサッカー部だったのは今更言うまでもないでしょう。ヤンマーと言えば日本リーグ時代は関西の盟主だったけど、Jリーグ以降はその枠をガンバに取られている」
「ガンバが関西における一番手でセレッソは弟分というか、二番手なイメージあるよね。歴史はヤンマーのほうが長いのに」
「そういうわけで今回は田辺製薬サッカー部よ」
「はあ。えっ、何その唐突な流れ」
「関西繋がりって事でここは一つ。まず田辺製薬という会社について。薬の町として知られる大阪の道修町に本社がある医薬品メーカーで、創業は江戸時代という長い歴史を誇っているの。かつては創業者の田辺一族が代々トップを務めていて、しかもトップになったら田辺五兵衛という名前を受け継ぐ決まりとなっていたの」
「名前をねえ。そんな会社もあるもんなんだね」
「まあ昔の話よ。密教の曼荼羅図を図案化したというマルゴのマークも印象的だったけど、合併で今は田辺三菱製薬なんて名前になってるし。で、サッカーと関係するのは十四代目田辺五兵衛こと田辺治太郎の時代で、彼は学生時代、サッカーに熱中していたの。一九四一年に先代が亡くなったので社長となり、戦争からの復興が一段落してからサッカー部強化を始めたの。それとサッカー協会の中枢としても活躍したわ」
「日本リーグ発足より更に大昔の話か」
「歴史って積み重ねだからね。日本サッカーがJリーグから突然始まったわけじゃないように、日本リーグから突然始まったわけでもないって事よ。有力選手を多く集めた田辺製薬は全日本実業団サッカー選手権というトーナメント方式の大会では一九五〇年から六連覇、一度東洋工業に屈するも翌年にも覇権を奪還するなど間違いなく当時の日本で最強のチームだったわ。でも本業の経営で躓いて、もはや一族経営など時代遅れとばかりに治太郎は実権のない会長に退けられたの。それとともに選手補強も滞り、力は失われていったわ」
「それはまた残念だね」
「前に東京オリンピックのサッカー代表候補を見たけど、田辺所属はいなかったでしょう。衰えるのなんて一瞬よね。日本リーグ発足時もやる気があればヤンマーなんか問題にせず余裕で加入出来る程度のブランドがあったのに参加せず。でもその後またある程度の強化を始めたようで日本リーグ二部設立メンバーとなり、そこでは二位だったけど翌年一部リーグのチーム数が拡大したので入れ替え戦なしで昇格を果たしたの」
「おお、タイミングいいね」
「入れ替え戦はやっかいだし、田辺はこれ以前にもチャレンジしたけど駄目だった事もあるしね。さて、そんな田辺を率いるのは大正十二年生まれの宮田孝治監督。彼もそうだし、ここには掲載されてないけどコーチ陣の賀川太郎、鴇田正憲、和田津苗も全員が田辺黄金時代を支えたメンバーよ。生まれは軒並み大正時代だから当時四十代後半から五十代で、よそと比べても年齢層は高め」
「よそは監督でも三十代とかザラだもんね。高橋英辰は除いて」
「ただ選手は若手が多く、黄金時代の面影は皆無と言っていいわ。永大の本で日本代表級と称されていた背番号7の宇陀洋も大卒ルーキーだし」
「でも守陀って誤植されてるね」
「チーム寸評のほうではちゃんと宇陀って書かれてるからセーフ、かな。チームの特徴に関しては、永大の本だと『洗練されたチーム』『選手一人一人が抜け目のない闘い方を熟知している』とあるけど、こっちの寸評だと『ど根性のチーム』『全員まじめなサッカーをする』と結構印象が違ってて、実際のところはよく分からないわ」
「洗練されてるけど根性があって、真面目に抜け目ない戦いをするチームだったとか?」
「それが出来るんなら相当強そうだけどね。基本、永大の本は『山口の田舎から来た武骨者集団が都会のエリートチームをなぎ倒す』って体裁が前提だし、でもリーグ全体で見ると泥臭い新参者って立ち位置は永大だけでなく田辺もそうだったって事でしょ」
「やっぱり実際見た事ないと限界あるね」
「本当にね。さて、田辺は若手が多いけどその中でもベテランは存在するもので、昭和十年代生まれの背番号6荻野佳之、背番号9井手新一、背番号10山本勝幸は揃って兵庫工高出身なのが印象的。特に最年長の井手は昭和十五年の二月生まれで、五十年代から田辺に所属してた計算となるわ」
「広めのおでこが経験豊富さを物語っているみたいだね。頬骨も発達していていかにも古参兵って雰囲気だ。しかしさすがは大阪の企業。出身高校見ても周辺が多いね。御影、泉尾、西宮、尼崎と。明星高校なんてのもある」
「ふふっ。それと報徳学園とか日新高校とか、野球のイメージが強い高校出身選手がちらほらいるのも印象的よね。大部分は大阪と兵庫だけど、そこに広島県出身選手も複数名食い込んでる辺りはさすが。そして広告だけど、『健康には常日頃の心がけが大事です』というコピーに錠剤のアスパラL、ドリンクのアスパラC、アスパラ目薬とアスパラ三昧な商品の精巧なイラストが掲載されているけど、正直他社と比較しても古いなって思うわ。写真使えばいいのにあえてイラストなのは何かのこだわりか」
「文字のフォントとかも六十年代っぽい感じはあるよね」
「胸に大きくV字が描かれたユニフォームのデザインも全盛期を彷彿とさせるもので、当時からしてもオールドスタイルだったんじゃないかなって思うわ。結局一部にいたのはこの一年だけで、しかも最終節に一勝しただけで永大との入れ替え戦に敗れて降格してしまうの」
「あらまあ」
「残念ながら力が足りなかったのもあるし、相手も悪かったわね。それと当時のサッカーマガジンによると釜本選手が入れ替え戦を見に行ってたらしいけど、『ヤンマーの弟分である田辺製薬』みたいなキャプションには何とも言えない気分になったわ」
「歴史で言うと長い田辺がヤンマーの弟分。そして今ではヤンマーが母体のセレッソがより歴史の短いガンバの弟分か。繰り返すものなんだね」
「その後の田辺は、まず七十五年に二部で優勝したかと思えば七十七年には最下位に沈んで地域リーグ降格寸前に陥るなど、結構出入りの激しい戦いを繰り広げていたわ。まあ実際この時期はスモンという薬害にまつわる訴訟問題を抱えてて、これ本当はサッカーやってる場合じゃないぐらいのかなりやばい問題だったわけだけど。キノホルムって薬のせいで体に障害が出たと知っていたのに、そのデータを握りつぶしていたのが田辺治太郎を押し込めた後の田辺製薬よ」
「えっ、それって大問題じゃない?」
「それはもう、社会的な大問題よ。田辺製薬の社史として『田辺製薬三百五年史』ってのが一九八三年に刊行されたけど、こういうのって普通切りが良い三百年史とかにするでしょう。でも出来なかったのは、三百年の頃はスモン訴訟でそれどころじゃなかったからよ」
「それで五年ずれたのか」
「でもその五年のうちにサッカー部は天皇杯で二部リーグ所属ながら初の決勝進出を果たし、最後は三菱に敗れたものの準優勝という快挙を成し遂げたの。社史では明るいニュースとしてその事について記述があって、大きめなカラー写真も掲載されているわ。ユニフォームは緑基調で赤が差し色になってて、結構格好良い色合い。ああ、それと当時の読売新聞見ると結構面白い論調でね、田辺はアマチュアとして頑張ってるけど三菱はそうでもないとでも言いたげだったわ」
「へえ、つまりどういう事?」
「形骸化したアマチュアリズム、いわゆる企業アマという体制に対する疑念よね。『社業をしっかりこなしながらサッカーでも結果を残す田辺はアマチュアの鑑で素晴らしい。ところで会社ではほとんどサッカーしかしてないのにプロとは違うと言い張るあなた達は何ですか?』と言わんばかりの挑発的言辞」
「読売新聞もなかなかやるものだねえ」
「でも同時期のドラフトの記事とか見てると『逆指名を導入しろ』みたいな臭い記事連発してて辟易するんだけどね。当時は猫も杓子も第一希望は巨人とか言ってた時代だし、『選手の意思を尊重すべき』とかもっともらしい事を言ってね、『選手の希望と異なるチームに指名されるとドラフト拒否されて、プロ野球に魅力的な選手が入らなくなって衰退する。だから逆指名制度を導入すべき』とかね。それで導入したら裏金全盛期の幕が開くわけで、まあ今後金輪際あんな馬鹿な制度が復活する事はないだろうと思うと必要経費だったと言えそうね」
「でもそのお陰でカープは多大な犠牲を被ったんでしょ」
「まあ、もう過去の話よ。それと田辺だけどね、スモンも一段落した八十年代の中頃には昇格候補として名乗りを上げたけど結局最高三位止まりで昇格は果たせず、Jリーグに直接繋がるような新興チームに追い抜かれていく存在となったの。そして本格的なプロリーグであるJリーグが発足しますよという時代が来るに至って全国での戦いはギブアップしたみたい。広島ではおなじみの吉田安孝や二十一世紀まで現役を続けた白井淳みたいなプロでやりたい気持ちがある選手は移籍して、最後の日本リーグは一気に成績を落としたの」
「そう考えると純粋なアマチュアってのはあながち間違いじゃなかったんだね。単なる三菱へのあてつけとかじゃなくて、本当にアマチュアとして全うした」
「吉田なんか『サッカー部は活動を休止した』みたいな言い方してたし、実際は存続してるけど選手としてはそれが実感だったんでしょうね。アマチュアを維持しながら上を目指せる時代じゃなくなったからどっちかを捨てる必要に迫られて、結果上を目指す事を捨てたのが田辺と。その後はズルズルとカテゴリーを下げていって、今では大阪府リーグの三部と四部を行ったり来たり。J1が一部、J2が二部みたいな言い方で換算すると、計算方法によって少しズレが出るけど概ね八部から十部リーグってところよ」
「むう、そこまで落ちるものなのか」
「日本リーグ一部所属経験がある現存のチームとしては一番下よね。まあ逆に言うとJ3落ちを恐れるヴェルディなんてまだまだ上を保ててるって事よ。新監督の額だけじゃなくて未来は十分に明るいわ」
このような事を語っていると敵襲を告げる警告の光が輝いたので、二人はそこそこに話を切り上げて変身した。そう言えば田辺製薬の部史も刊行されていると最近知ったが、これを読んだら内容がまったく変わっている可能性もありそうだ。
「ふはははは、俺はグラゲ軍攻撃部隊のペルシャヒョウ男だ! この星をグラゲで染めてやるぜ」
高貴なる国の象徴とも言える猛獣の姿を模した男が街の外れに出現した。ペルシャは今のイラン。かつて上記の広告にあったアスパラCが発展したアスパラドリンクのCMに出演していたイラン人が実は不法滞在だったので逮捕されたという事件があったが、それは関係のない話である。
件のイラン人は真面目な働きぶりは評価されていると判決で認定されて今でも日本滞在を続けているようだが、こっちは地球に不法滞在して破壊行為を行うので早急に強制送還させる必要がある。それが出来るのは渡海雄と悠宇だけだ。
「またも出たなグラゲ軍。お前達の思い通りにはさせないぞ」
「そうよそうよ。あんまり暴れるようだと私達だって抵抗するしかないんだから」
「むう、出たか反逆者ども。お前達を殺すために俺はわざわざこんな辺境まで来てあげたんだ。さあ、死ね!」
ペルシャヒョウ男が繰り出してきた雑兵どもを二人は次々と破壊していった。そして全滅させる事に成功した。
「よし、雑兵はこれで片付いたな。後はお前だけだペルシャヒョウ男!」
「共存する気があるんならあえて戦う事もないんだし、もっと考えなおしてほしいんだけどな」
「共存? 馬鹿め。人間と蛆虫で話が通じるものではなかろう。お前達は殲滅される運命にあるのだ!」
戦う気満々のペルシャヒョウ男は懐から取り出したスイッチを押して巨大化した。こうなったら強制執行しかない。渡海雄と悠宇は合体してそれに対抗した。
「メガロボット!!」
「メガロボット!!」
今日から一気に寒くなった冬の空に広がる大熱戦。ペルシャヒョウのしなやかな動きに対抗する悠宇の鋭い反射神経は、まさしく美しき激闘となった。そして決着は一瞬。噛み付き攻撃を寸前で回避した悠宇がその勢いで顔面に裏拳を直撃させた。
「よし、今よとみお君!」
「うん。ドリルキックで勝負だ!」
相手が一瞬怯んだ隙を見逃さず、渡海雄は青色のボタンを押した。ドリルと化した両足で突撃し、ペルシャヒョウ男の胴体に大穴を開けた。
「ぐおおっ、これまでか! 覚えてろよ!」
機体が爆散する寸前に作動した脱出装置によってペルシャヒョウ男は強制的に宇宙へと退去した。今年が終わるという開放感と来年が始まるという期待感に心ざわめく師走。渡海雄も悠宇も、そんな世界を素敵だと思っている。愛ゆえに、二人はまた傷つく事を厭わずに戦い続けるのだ。
今回のまとめ
・終わってみれば残るのは鹿島優勝
・時代によって立ち位置が変わってくるのは自然な流れ
・田辺はチームの雰囲気は古いが選手は若いのが特徴的
・会社自体は結構やばめの不祥事多くて何だかなあってなる