fh17 本番4年前記念 東京オリンピックの顔について
日本シリーズの最中だが、そういう勝負は終わってみないとわからないものだ。初戦で大谷から上手く点を取って勝ったのは良かった。しかしそれが続くとは限らない。渡海雄と悠宇もまたそんな勝負に身を委ねた少年と少女だけに、彼らの心を少しだけは理解しているつもりでいた。
でも今はそんな事とは直接的に関係なく、前々回の続きを話していた。
「さて、これ以降はモノクロのグラビアが続くわ。ここでは陸上競技から始まる東京オリンピックに採用された各種目におけるざっくりとした寸評や世界の有力選手の紹介、そして日本人で出場有力な選手の紹介という順番がなされているの」
「これがまさに世界の一流選手たちって事か」
「つまり本番よね。例えば男子100m走だとキューバのフィゲロラやアメリカのヘイズが大きい写真で出てるわ。実際彼らが金と銀だったわけで、特にヘイズはこの東京オリンピックにて、世界で初めて九秒台の記録を叩き出した事で名高いわ」
「ふうん。じゃあ逆に言うとこの時代って世界最速でも十秒台とかだったんだなあ」
「十秒の壁を破るのは人類の夢だったわけよ。東京でそれが破られたのはまさに人類の進歩と調和みたいな、ってそれだと別物になるけど。それと当時は黒人最強ってほどでもなくて、いえ、当然黒人が圧倒的に優勢ではあったけど前回のローマ大会優勝がハリーというドイツの白人だったりして、まだ選手によっては戦えるレベルだったのも違いよね。今のボルトとかああいうレベルになるともう太刀打ち出来ないけどね。日本人だと後にプロ野球に代走要員として入団した飯島秀雄の写真が掲載されているわ」
「何そのとんでもない経歴は」
「飯島に関しては基本的に『やっぱり足が速いだけじゃ野球の走塁は出来ない』という定説を固めた人として認識されているわ。プロのバッテリーも『素人に好きにされてたまるか』という意地があったみたいで、でもそれだけに飯島登場時の打者は飯島に意識が集まった分かなり打ててたらしいけど。それとヘイズだって大会後アメフトの選手になって、こっちは普通に選手として活躍してるし。そう考えるとむしろまだまだ」
「超人ってのはいるもんだね。それにしてもこの時代のゴールテープって細いなあ」
「そういう現在との違いも色々あるから、それぞれの競技に詳しい人ならもっと見つけられるんでしょうね。分かりやすいところだと走高跳。現在主流の背面跳びはこの次、メキシコでフォスベリーという選手が優勝してから一気に普及したので、つまり東京ではそれ以前のスタイルだったの。その上で女子のヨランダ・バラシュは『技術的にはなんの参考にもならない』と書かれるほど古風な正面跳びで金メダル獲得してたり、そういう過渡期的なうごめきも興味深い部分よね」
「水泳選手とか誰もゴーグルつけてないね。目、痛くならないのかな?」
「競技会でゴーグルの使用が一般的になったのは八十年代以降なんだって。意外と新しいものね。他には日本女子体操選手の既婚率の高さもなかなか面白い。体操も若い選手がアクロバティックな演技でポイントを積み重ねる現在とはそのスタイルが違っていたから、そういう現象も起こり得たのね」
「重量挙げのソ連ユーリ・ウラノフが白黒写真に白っぽいパンツなので履いてないみたいに見えるとか、レスリングのユニフォームが変態そのものとか、そういうどうでもいい部分もちょっと気になるよね。特にレスリング。市口政光に至っては服の下のパンツも見えてるし」
「レスリングのこういうのはローカットシングレットと言って、そもそも古代伝統のレスリングスタイルは全裸だからそれよりはちゃんと隠してるほうでしょ」
「中途半端に隠してるのが逆に妙になってるよね。水泳みたいにはっきりと上半身裸ならそういう感じにはならないのに。それと女子選手に関して、ルックスはやはり時代を感じさせるというか、おばさんみたいな髪型の人が多い中で一番美人に写ってるのはフェンシングの竹内由江選手かな。やけに目が大きくて女優みたいだ。ベールみたいなの巻いてるのもあって年齢不詳のエキゾチックな美女って感じ。フルーレを持ちつつどこか不敵な表情もいい」
「確かに竹内、戦後の美女って雰囲気あるわね。それとちょっと良いなって思うのが射撃の保坂調司。大正生まれ、野口二郎に似た雰囲気の眼鏡を掛けたおじさんだけど、右手をポケットに入れつつ左手で銃を構えている姿は風格が漂っているわ」
「その横の蒲池猛夫もなかなか味がある見た目だね。髪型とか寅さんみたいだし、そういう野暮ったいおじさんでも銃を構えるだけで違ってくる」
「射撃って法律の問題もあるから日本じゃ全然盛んじゃなくて選手も大抵警察か自衛隊かってところだけど、警視庁所属の保坂は一九七二年に起こった浅間山荘事件で犯人の立てこもる山荘に射撃を行うという実戦投入もなされてたりするのがなかなか凄いわ」
「オリンピック選手が実際に治安維持に投入されるって、そうあるものじゃないね」
「とまあ、そんな感じで長々と保坂のお話をしておきながら何だけど、実は彼って東京の選手団には選ばれなかったみたいなの。でも本書には結構そういう選手も紹介されているのよね。例えばサッカーで言うと、紹介文で守備の中心として挙げられている東洋工業の小沢通宏が直前で落選してたり」
「サッカーか。この頃はオリンピックでサッカーが一番不人気とかそういうレベルだったらしいね」
「実績にも乏しかったしね。前回ローマ大会で日本は実力は別にして全部の競技に選手団を送るって方針だったけど、サッカーはアジア予選で敗退して留守となったぐらいだから。これはまずいと招聘されたのがあのデットマール・クラマーで、その指導の成果もあって本戦ではアルゼンチンに勝利。さらに彼の提言から日本リーグ発足に繋がったわけだし、本当に日本サッカーにおいては大きく動いた時期よね」
「選手として写真付きで紹介されてるのは古河の保坂司というGK。飛びついてボールをキャッチしてるけど、グローブしてないとか凄いなあ。でも七十年代にはもう引退してたよね」
「引退はしてないわ。古河を退社してただけでね。保坂の実家は甲府にある積翠寺温泉の古湯坊坐忘庵って温泉旅館なんだけど、この家業を継ぐため故郷に戻ったの。そして甲府には甲府クラブという強豪サッカークラブがあって、保坂はここに加入したの。今のヴァンフォーレ甲府よ」
「へえ。甲府ってそんな歴史あったんだね」
「あんまり誇示しないけど、あるところにはあるものよ。当時のプログラムなんかだと、他は親会社の広告を打ってるスペースに甲府はスポンサー的存在だった人物が経営してた川手工業所や日本化石工業株式会社と並んで保坂の温泉旅館の広告も入っていたわ。『歴史を秘めた静かな山の湯』なんだって」
「ローカル色豊かで、いいものだね」
「結果的にプロ化するまで一部昇格は叶わなかったけど、逆に降格する事もなかった稀なチームよ。それと外国チームの写真に関しては、まずチェコスロバキアとソ連の写真が掲載されているわ。アマチュアリズム全盛の時代、本書では世界選手権と称されるワールドカップで強かったブラジルなんかは選手のほとんどがプロだったから、オリンピックに一流選手は出られなかった。でも共産圏は建前上選手全員アマチュアだったからオリンピックにも実力者が出場していたの。ほら、例えばハンガリーチームとして出てる写真の人とか」
「フロリアン・アルバートって人?」
「彼はね、前回ローマ大会で活躍した後にワールドカップで得点王に輝いたまさにワールドクラスのスターよ。東京は出なかったけどその代わりベネって選手が得点王になって、彼もその後代表として活躍したわ。当時のオリンピックサッカーって東ヨーロッパは一線級を揃えた強豪、西ヨーロッパや南米などプロが盛んな国は二線級、そして日本は普通に全員アマチュアなので国内最高峰の布陣で挑めたけど実力的には二線級と、まあそんなレベルだったの。次回のメキシコでも日本はブラジルとスペインに引き分け、ナイジェリアとフランスとメキシコに勝利を収めながらハンガリーには木っ端微塵にされてるし」
「東京でもアルゼンチンに勝ってガーナには惜敗だけど、チェコスロバキアやユーゴスラビアには惨敗だね」
「しかもユーゴ代表でゴール決めた選手の中にオシムがいるというね。まあ、グラビアに関してはこの辺にしておきましょう。その次には日本候補選手一覧としてズラリと選手の名前が並んでいて、一部選手は顔写真も掲載されているわ。競技中のものではなく、正面を向いている名鑑的な写真がね」
「ざっと見ると、グラビアで取り上げられた選手はこっちの顔写真から漏れてるケース多いね」
「重複を避けたんでしょう。さて、とりあえずサッカーで言うと顔写真掲載されているのは保坂、宮本征勝、小沢、鎌田、日立の鈴木良三、東洋の川西武彦、古河の八重樫茂生、釜本、渡辺、宮本輝紀、杉山、新三菱重工の継谷昌三となっているわ。七十年代までにそこを退団してる選手は所属も付けておいたわ。一番マイナーなのは結局代表落選した上に日本リーグでも若手に押されて出番なかった川西かしらね」
「ゴツゴツした輪郭に、感情を失ってるような目つきだね。それと当時早大所属の釜本の顔が全然違う。目の窪みみたいなのがなくてちょっとかわいらしい。小沢はウェットな顔付きだね。宮本輝紀はちょっと小島よしお入ってる。そして継谷はなかなか男前」
「全体的にはやはり若々しいでしょう。他にロングヘアの女性選手は陸上の岸本幸子ぐらいしかいないとか、柔道の候補として後にプロレスラーに転向し坂口憲二の父親となった坂口征二がいるとか、東京からロンドンにも出場した馬術の法華津寛もいるとか、大学生選抜の様相を呈したボート代表の眼鏡率が高いとか、色々気付きがあるものよ。やはり名鑑ってただそれをめくってるだけで時が過ぎていくものよね」
「そんな名鑑の後は『金メダルはいくつとれるか?』ってコラム。十五個は取れるって読みだったんだね。その内訳は『バレー、重量あげ、水泳で一つずつ、レスリングで三つ、柔道で四つ、体操で五つ』だそうで」
「女子バレー、重量挙げの三宅義信、そして体操五つは本書の予想通りだったわ。水泳はメダルなし、柔道はあの有名な神永がオランダのヘーシンクに敗れた無差別級があったので三つ。一方レスリングでは金五つで、それとボクシングの桜井孝雄も獲得して、実際は十六個だったの」
「ボクシングは、グラビアでは柄沢、浜田、白鳥といった選手が取り上げられてて桜井は後ろの名鑑に載ってる程度か。一番の伏兵がこの人だったのかな?」
「とにかく上手いボクサーだったらしいわね。そして次には世界記録や『1963年度世界陸上10傑』が掲載されているけど、計測方法がアバウトなのが印象的。主にメートル法を頑なに導入しないアメリカが悪いんだけど。例えば200m走の場合220ヤードの記録から0.1秒を引いた換算記録だったり」
「距離が長くなるほどズレも大きくなって、800mは880ヤードから0.7秒、女子は0.8秒引いた数字とか、1500mは1マイルの途中計時とかもはや別物だよね」
「まあ、アメリカらしい話じゃない。で、最後に『各種競技のみどころ』。注目されてた競技だと内容も具体的だけど、そうじゃないものはそうじゃない。例えばサッカーだと『8位くらいにはなるだろうといわれている』などとまるで他人事のような記述で、本当に期待されてなかったんだなと分かるわ」
「同程度の扱いなのは『決勝トーナメントに残れる実力がついたと関係者はいっている』ホッケーとか、『予想以上の好成績を生むのではないかといわれている』近代五種辺り。うん、期待されてないね」
「そう思うと半世紀でよくやったものよ。そして会場案内で終了。後は合間合間に差し込まれている広告だけど、各方面揃ってるわ。まず裏表紙には『走るベストセラー』こと日産ブルーバードの広告で、車が船に載せられている写真。自動車系はその後日産に吸収されるプリンス自動車のスカイラインや、東洋工業のファミリアワゴンが掲載されているわ」
「プリンス自動車の他にも吉永プリンス株式会社ってところのプリンスガスライターの広告もあるけど、これは系列なのかな?」
「ライターもね、今みたいな安いライターが一般化する前だったからいかにも物々しい装備になってるのが面白いところよね。他にマルマンってところもガスライター宣伝してるけど、『ドリーム・ファイブ』なる歌の歌詞が掲載されているのがなかなか凄い」
「他に歌詞掲載ではビクターも。東京オリンピックの歌として『この日のために』だって。国民歌らしいけど知らないなあ」
「これは動画サイトなどで視聴は可能だけど、まあいかにもな曲って感じよ。作詞鈴木義夫、補作が勝承夫、作曲福井文彦、編曲飯田信夫で歌手は三浦洸一、安西愛子、日本ビクター合唱団で演奏がビクター・オーケストラと表記されているわね」
「最後に夫がつく人が多いねえ。でも東京オリンピックの歌としては三波春夫の東京五輪音頭のほうが残ってるよね。そう言えばオリンピックにかこつけた広告も多いね」
「まあせっかくの国民的行事を利用しない手はないでしょう。表彰台の上に鉄腕アトムがいる大和銀行、『二位なし三位ナシ…!』との事でうちの製品は全部一等賞ですよとアピールするサンヨーの缶詰、自社製品がオリンピックで使われてると主張するエクスランや上杉ベッドに岩崎電気、本社ビルに東京オリンピックのエンブレムが掲げられている安田生命、『東京五輪はカラーで』と言う事でカラーテレビを売り込む松下電器、本書の発行元がどこかを思い出させる読売テレビや報知新聞などなど」
「スイスのヘルメスタイプライター代理店って広告自体はオリンピックと全然関係ないのに取ってつけたように陸上選手のイラストを掲載している協和商会の強引さも凄いね。それと女子バレー紹介の直前にニチボーの広告があったり、自転車競技の前にマルキンの自転車なのもその一種と考えていいのかな」
「その辺は狙い通りでしょうね。逆に通常営業っぽい広告でも気になるものはいっぱいあるわ。切手収集を勧める泰星スタンプ、虎のマスコットがかわいい東京相互銀行、タックゾールなる消臭剤スプレー缶に描かれてる蝶々の羽を纏った子がちょっといい感じな東京エアゾル化学、オリンピックと関係ありそうで絶妙にないオートレース、謎の社団法人日本ぶどう糖工業会など」
「他に印象的なのは『天野イズムの新構想』との事で学長天野貞祐の名が大きく載ってる獨協大学。ちょうどこの年に開校したみたい。学校系は他にもブルマ姿の女性数名がポーズを決めてジャンプしている日本女子体育短期大学、四月から岩見沢に分校を開設したという駒澤大学があるね。ついでに駿台予備校も」
「天野貞祐といえば学生野球協会の会長として殿堂入りも果たした人物よね。それと今まで出てきた企業名でも分かると思うけど、今では潰れてたり合併で名前が変わったところもかなり多いわね」
「まあ五十年経てばそうもなるよね。特に金融機関なんか、同じ名前のままのところなんてないんじゃないのってぐらい変化しまくってる」
「さて、次の東京オリンピックまでは四年。例えばこの四年の間にまったく新しい才能が突如生まれるわけでもないわけだし、つまり選手に関しては今第一線級かは別にして出揃ってるわけだからね。誰がどう戦うかは分からないけど、素晴らしいゲームが見られるのは間違いないでしょうね」
「その時まで生きてたらね。頑張ろうね」
「うん。一緒にね、過ごせるといいよね」
生きるという戦いはこれからも続く。四年後の東京の夏に浮かぶ空の色は何色だろうか。それを見られるのはその時だけとなる。そして五十二年前の今日は、オリンピックの閉会式だったらしい。
今回のまとめ
・どんな時代になってもその時々の夢やロマンは存在するはず
・期待されないのは辛いが期待されすぎるのも大変だ
・半世紀経てば競技も社会も大きく変化しているものだ
・そして四年後はどんな世界になっているだろうか