fh13 70年代の古河電工サッカー部について
これぞ夏という蒸し暑さが街を包み込む。それはもはやじっとしていても汗が噴き出るほどだ。でも店とかの冷房はきつすぎて凍えそうになるのもそれはそれで難しいものがあり、頭を悩ませていた。
「というわけで今回は古河電工よ」
「先月に予告していたようなものだね」
「まずは親会社の古河電気工業について。戦前に古河さんが足尾銅山という栃木県にある山の経営に成功した事で大きくなった古河財閥ってものがあったけど、これは戦後に解体されて古河グループとなったの。そして古河電工はその古河グループの中心で、電線とか光ファイバーなんかを作ってる世界的に大手のメーカーよ。とは言っても業種が業種だし、あまり馴染みはないかもしれないけど」
「確かに。CMとか流さなくていい企業だもんね」
「そしてその社技としてアイスホッケーやサッカーがあったの。サッカー部の強化が始まったのは一九五五年で、日本代表監督にもなった長沼健や平木隆三、八重樫茂生など多くの俊英を揃えて、特に六十年代の前半辺りは日本最強となったの。例えば一九六〇年に制した天皇杯。これは実業団チームとしては初めての快挙だったわ」
「おお、まさに歴史を塗り替えたチームなんだね」
「昭和一桁から二桁の前半辺りに生まれた選手たちによって築かれた栄光よ。一九六五年に始まった日本リーグでも主導的な立場となって優勝候補と目されていたけど、この直前辺りから親会社の業績不振でサッカー部の活動を自粛したり、サッカー部に入る選手をまったく採用しなくなったりで強化が滞っていたの。例えば松本育夫。高校時代から古河へ行くと決めていたのに、大学卒業する頃にはそういう事情で古河は無理になったから緊急で東洋工業へ入社する事となったの」
「それはまたタイミングが悪い」
「やはり新人が来ないのはきついもので初年度は三位。一度は二位にまで上がったものの東洋工業の覇権を止めるには至らず、しかも黄金時代の選手は三十代を迎えて一人ひとりと現役引退していって若手もなしとなれば戦力は低下する一方。一九六八年にはBクラスとなる五位にまで落ちて、翌年は四位も七〇年はまた五位に落ちてこの名鑑を迎えるの」
「永井良和がルーキーでいるね。細めた目がちょっとよゐこの有野っぽい。背番号12」
「いえ、それは別に似てないけど。それと背番号22の奥寺康彦が二年目、背番号23の荒井公三は三年目と高卒の若手がそこそこいる。一方で広がった耳たぶと死んだような無表情が印象的な背番号4鎌田光夫やがっしりした顔付きの背番号8宮本征勝といった東京メキシコのオリンピックを経験したベテランも残っているわ」
「鎌田と永井で十五歳差か。寸評にも書かれている通りまさに過渡期だね。他に顔で言うと背番号5の青木宏至だけど、目をつむっててこれ完全に写真うつり失敗してるね。もうちょっと別の写真使ってあげればいいのに」
「まあこれはこれで業師っぽくて、いいじゃない。浦和市立高から日大って松村と同じ学歴。青木のほうが先輩だからむしろ松村が青木と同じと言ったほうが正確だけど。くっきりした二重まぶたが特徴的な背番号9木村武夫は得点王経験者でもあるわ」
「コーチに川淵三郎とか主務に小倉純二とか、人材豊富だね。監督は知らない人だけど」
「この小川宏邦監督も古河黄金時代の選手よ。ただシーズンの途中にどこやらの工場長に栄転するとかで川淵が監督に昇格するの。ちなみに順位はまたも五位。翌七十二年にはついに七位にまで落ちてしまうの。本来なら入れ替え戦突入だったけど、翌年にチーム数拡大がなされたため何事もなかったかのように残留を決めたわ」
「運がいいものだね」
「チーム寸評でも『豊富なタレントを持ちながらなぜか低迷』などと書かれているけど、チームの組織力や守備に不安があったみたい。当時の雑誌では自称ポール・ニューマンなどと書かれていた背番号13木之本興三や、新人としてひょろっとした輪郭の背番号17清雲栄純や背番号21淀川隆博なんかが加わっているわ。淀川は降博と誤植されてるんだけど」
「それはまた嫌なミスだね。それと清雲の『ラグビーから転向』って珍しい経歴だね」
「転向と言うか、高校ではサッカーとラグビーを掛け持ちしていたみたいね。引退後は指導者となったけど、小野とか稲本、遠藤らがいたいわゆる黄金世代の世代別代表監督となるもまずい采配が多くてトルシエがフル代表と兼任する事になったので更迭されたとか、九十年代にはすでに厳しくなっていたみたい」
「鎌田や宮本、それに百六十センチと小柄な上野佳昭といったベテランの背番号が大きくなってるね」
「永大はこの鎌田を監督として招聘しようとして断られたらしいけど、古河としても幹部候補生として着実に経験を積ませていた最中だったからここでよく分からない無名チームに移るという選択肢はなかったでしょうね。そして鎌田が満を持して監督に就任した七十六年、ついに念願の初優勝を果たしたの」
「それは見事なものだね」
「しかも天皇杯や翌春のリーグカップも獲得した事から三冠王などと讃えられたの。徐々に進めていた若返り策の成果でもあるわ。『技術にスピードを加えた魅力あふれるサッカー』をしてたらしいわ。関係ないけど清雲があごひげを蓄えているけどあまりにも似合ってない。それと新人王受賞した背番号3石井茂巳や長らく日本代表の中心となった人物で新人ながら背番号9を与えられている前田秀樹といった選手も加わっていて、普通に考えると栄光が長く続きそうなんだけどね」
「何かあったの?」
「まずこのシーズンの途中に奥寺が、当時の西ドイツへ移籍したの」
「いい事じゃない」
「個人としてはね。でもチームとしてはようやく育ったエースが消え去る事を意味するからマイナスは大きいわ。そう言えば元得点王の木村も七十三年限りで退社して大学に通い出してるし。奥寺も木村も高卒選手で、古河に限らず日本リーグ全般の傾向として高卒の扱いが悪かったから将来を考えた結果って話もあるけど。それはともかくこの七十七年は六位と急失速。そして翌七十八年には最下位という信じられない転落を見せるの」
「短い天下だったね。と言うかその直滑降っぷりは何が起こったの?」
「数字で見ると、まず優勝した年から七十七年では失点が倍増しているわ。得点力は奥寺離脱にも関わらず微減ですんでいたけど、七十八年には得点わずか九点と絶望的な得点力不足に陥ったの。選手はあんまり変わってないのに前年比で三分の一以下。川本は怪我が多く、永井も何か不調だったのかわずか一得点に終わっている。さすがにこの成績は酷いと鎌田監督は退任して内野正雄という昭和九年生まれ、古河黄金時代のフォワードが久々に現場復帰する事となったの」
「内野監督、口元が麻生太郎みたいに歪んでるね。不敵な感じだ」
「で、選手はと言うとまた一段と若返りを進めている感じ。この年で二年目となる帝京高校出身の金子久、宮内聡、早稲田一男の三人とかね」
「金子凄いねえ。高卒二年目とは思えないどっしりした雰囲気でマイホームパパみたいだ。宮内は槇原敬之を彷彿とさせる見事なへの字眉。早稲田は、普通だね」
「でもこの早稲田、宮崎県出身だけど帝京へ越境入学したという当時あまり多くなかった経歴の持ち主で注目されてたの。引退後は宮崎県に戻って高校サッカーの指導者となっているわ。それと旭高からの新人として背番号28菅野将晃が加わっているけど、七十年代から日本リーグでプレーしててJリーグに現役として間に合った数少ない選手のうちの一人なの」
「かなり長く続けるんだね」
「そうね。日本リーグでも二百試合出場を果たすし、日本代表とかそういう大それた選手ではないけど地味に戦力になり続けて、それを持続出来たのは見事なものよね。指導者としてもJ2中心で頑張っているし」
「古河OBは今もあまねく日本サッカー界に息づいているんだね」
「指導者とかサッカー協会の偉い人には多いわね。さすが御三家ってところ。さて、七十年代の古河についてまとめるけど、正直成績だけ見ると一年だけ確変起こした中堅どころって感じよね。優勝した年以外の最高順位は四位だし、ブービーと最下位それぞれ一回ずつはいかにも苦しい。むしろ制度に助けられたチームよね」
「でも中堅なら中堅で、長らく二部落ちせず来られたのは偉大じゃない。日本リーグで最初から最後までトップリーグを保ち続けた唯一のチームなんでしょ?」
「そこは本当に凄かったところよね。後進のジェフ千葉なんて中堅どころかJ2定着の体たらくだし。今年なんかいきなり選手のほとんどを入れ替えるというとんでもない大手術の結果、順位は大して変わってないとか病巣の摘出には至っていない模様で」
「今九位なのか。順調とは言えない数字だね」
「まだシーズンの半分程度とは言え、二位のセレッソとはすでに勝ち点十以上離されてて六位清水にも一試合では追いつけない数字。はっきり言って芳しくはないわね。まあここに関しては色々あるんだけどね。企業名出すのはNGみたいな雰囲気を出すJリーグでJEFとか名乗ってねえ、しかも公式サイトで『ホームタウンやサポーターとの結びつき、サッカーチームとして不可欠な強調、連帯感など』とか姑息な言い回しをしてさあ。素直に『JR EastとFurukawaの頭文字から取った』と言ってた勇気を取り戻してほしいものね」
「そうは言っても今年ブルー基調の古河ゼブラと呼ばれる日本リーグ時代を思わせるユニフォームで試合やったりしてるし、別に歴史を捨てたわけじゃないんでしょ」
「それはまあそうだけど、例えばサンフレッチェのエンブレムにはSINCE 1992と書かれているけど本当にそれでいいのかって事よ。一時期の西武ライオンズは『うちは一九七八年に新設された球団です』みたいな顔してたけど今はそうじゃないみたいに、リーグ戦優勝回数は三回じゃなくて八回っててらいなく答えられる優しい世界が訪れるといいじゃない。その時はもちろん降格回数は四回に倍増するけど、まあそれはそれで。それと広告なんだけどね……」
「まずは七十一年からって、あれっ、洋書? 古河関係ない?」
「七十一年に限って、Bクラスのチームは基本親会社の広告が入っていないの。これは株式会社アドループ洋書事業部による『国際サッカー戦NO.12』という読み物の広告。原文ママで言うけどマンチェスター・ユナイテッドの総監督サー・マット・バスビー、リーズの監督ドン・レビー、FIFA会長サー・スタンレー、著名な評論家エリック・バッティといった当時のサッカー界における超大物が執筆した『1971年代の新しいサーカー界を展望』してる論説とか、『ゲルト・ミュラーの「得点王への道」、トスタオの語る「わが友、ペレ!」、それに「不朽のスター、ディ・ステファノ物語」』といった読み物、ワールドカップ出場十六ヶ国の成績や出場選手といった資料がまとめられているらしいわ」
「ううむ、それはそれで面白そうだね」
「基本英語とかだけどね、一応日本語による解説も付いていたみたい。七十三年は『環境を大切にした技術開発』というコピーに森や鳥や魚、太陽といったイラストだけど、アルゼンチンの国旗みたいに顔が付いた太陽が何となくきもい。七十五年と七十七年は同じ広告で、七十九年は『パワーを送る電線』ということで、実際の送電線や鉄塔の写真とイラストを組み合わせているわ。全体的には、手がけてる分野が大規模すぎて広告出されてもちょっとピンとこないかなってところ」
「そこは事業内容的に仕方ないね」
「だからJR東日本と組んだってのもあるしね。まあ見慣れない広告を見るのもまた楽しいものだけど」
このような事を話していると敵襲を告げる警報が響いた。またやっかいな相手が出たかと思いつつも、放っておくわけにもいかないので渡海雄と悠宇はすぐに戦闘モードにチェンジして敵が出現したポイントへと走った。
「ふはははは、俺はグラゲ軍攻撃部隊のバーチェルサバンナシマウマ男だ!」
草原に降り立った男が模したこの長い名前を持つ動物は、アフリカ南部に生息していたがお決まりの乱獲コースで一度は絶滅したと思いきや、二十一世紀になって再発見された世にも珍しいシマウマだ。
「またも出たなグラゲ軍。お前達の好き勝手にはさせないぞ!」
「勝手に攻めこまれたら反逆するしかないでしょ。私達だって絶滅させられたくないんだから」
「ふん、愚民が消え失せて誰が悲しむものか。さあ行け、雑兵ども! 奴らを血祭りにあげるのだ!」
西洋人のように聞く耳を持たない敵の指示によって襲いかかってきた雑兵を二人は次々と破壊していった。そして残る敵は一人だけとなった。
「よし、これで雑兵は片付いた。後はお前だけだバーチェルサバンナシマウマ男!」
「私たちの事なんて放っておけばいいものを。何も見なかった事にして帰ってくれてもいいのに」
「ふん、我がグラゲ軍は反逆者を許さぬ。お前達を殺したら次は逆臣ネイを処刑するのだ。死んでもらうぞ!」
懐から取り出したスイッチを押して巨大化した敵に対抗して渡海雄と悠宇も合体した。
「メガロボット!!」
「メガロボット!!」
巨体と巨体の激突。白と黒の縞模様が美しいのだが今となっては威圧感のある敵、地球の存亡をかけた相手だ。手は抜けない。悠宇は一瞬の隙を見て接近に成功した。
「よし、ここよ!」
「うん。灼熱のメルティングフィストで決める!」
悠宇の声に促されて、渡海雄は朱色のボタンを押した。圧倒的にヒートされた右の拳が敵の装甲を溶かし、貫いた。
「むう、ここまでか。俺は撤退するしかないが、貴様らの処刑は決まっている。せいぜいあがくが良いわ」
捨て台詞とともに敵は宇宙へと去っていった。それにしても名前が長すぎる敵も考えものだ。
今回のまとめ
・毎年この時期こんな暑かったっけって感じの暑さだ
・歴史と伝統という点においてはまさしく日本屈指のチーム
・それで知ってる名前が多い割に成績は案外平凡
・ジェフは本当にどうすれば良くなるのか分からない