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so02 田中陽子について

 怒涛の如き大雨が街の熱気を拭い去る梅雨時。今必要なのは太陽の光なのかも知れないと思い始めた頃合いを見計らって渡海雄が一枚のCDを手に持って悠宇に話しかけた。


「おはようゆうちゃん! 昨日の阪神戦とんでもない終わり方だったねえ」


「あっ、おはようとみお君! 本当よねえ。岩貞キレキレできついかなと思ったけど九回追いついて、ドリス投入で松山打ち取られたかと思ったのに外野手がまさかの激突でサヨナラという」


「変な事も起こるものだね。怪我がないといいけど。それとデラバーという投手を獲得したみたいだね」


「リリーフタイプみたいね。メジャーではオールスター選出経験ありというかなりの実績を持っている選手だし、実力はありそう。現状ヘーゲンズとジャクソンがいるけど結構きつい使い方してるから場合によっては怪我などしてしまう危険性もある。今は予備ってところだけど、これはかなり本気で優勝を狙っていると見てもいいんじゃないかしら」


「頑張ってくれるといいよね。後はJリーグのファーストステージ、やっぱり鹿島だったね」


「あそこで負ける鹿島じゃないわ。最終盤で当たった最下位福岡をどうあしらったかが優勝出来るチームとそうじゃないチームの違いってところかしらね。サンフレッチェは地味に四位。セカンドステージはどうなるか。ところでとみお君、手に持ってるそれは何?」


「ふふふ、ちょっと珍しいCDをようやく手に入れたんだ。これはね、ジェネレーションの狭間に突如現れて間もなく消えていった伝説のアイドル田中陽子が残した唯一のアルバム『Invitation』だよ」


「ふうん、誰? サッカー選手?」


「ああ、いるねえ、同じ名前の選手が。でもそっちの田中陽子から二十年の時をさかのぼって二十年の一九七三年十二月十二日に生まれたアイドルがいて、そっちの田中陽子だよ。歌手デビューが一九九〇年となっているから、十六歳の頃だね」


「まあ、そんなものか。若すぎる事もなくいきすぎてる事もなく」


「それでシングル三枚とアルバム一枚を出したけど、あっさりと活動を停止したんだ。八十年代は色々なのが出たけどいい加減飽きられて、当時はアイドル冬の時代などと言われていたんだ。そういう時代に打って出て、残念ながら討ち死にと相成ったと」


「それはまた」


「でも彼女、ホリプロというこの業界では屈指のプロダクションが主催したスカウトキャラバンでグランプリを獲得した逸材という事で楽曲もなかなか気合が入っているし、売り出し方も相当頑張っていたんだ。アイドル天使ようこそようこってアニメが作られたりね」


「それはどんなものなの?」


「田中陽子という実在のアイドルとタイアップしたアニメとでも言うのかな。アニメの主人公は田中ようこという名前だけど声はプロの声優の人がやってるし、ルックスも全然違う。ほら、これがアニメのほう」


「むう、ピンク髪」


「それでちょっと幼い雰囲気でしょ。でも実際の田中陽子はむしろ年齢以上に大人びた雰囲気を持っているのが特徴。それは声も同じで、アニメのほうは結構高い声だけどリアルの方は、というか歌声でしか知らないけど割と陰りのある声質だからね」


「ふうん。それで実際どんな曲になってるの? まず一曲目は『太陽のバースディ』。作詞森雪之丞、作曲柴矢俊彦、編曲鷺巣詩郎。鷺巣は光GENJIのほうでもいたわね」


「そうだね。それと本作は全曲鷺巣の編曲だから今後は言わなくてもいいよ。作詞の森はこの業界における超大物の一人と言ってもいいような人物。トリッキーな言葉遊びとかインパクトのある単語のチョイスが持ち味の技巧派で、ジャニーズ系だとシブがき隊なんかで大暴れしていたんだ。光GENJIに関わらなかったのはそういう先輩との差別化もあったのかなと思ったり。作曲の柴矢はジューシィ・フルーツというテクノ系バンドのメンバーだった人。作曲家として有名なのは『おさかな天国』という魚売り場で流れる曲とか」


「ああ、その曲は何となく知らないでもないわ」


「で、肝心の楽曲はと言うと、これは小さい子がぴょんぴょん跳ねるように歌ってるような、ちょっとコミカルささえ感じさせる陽気な曲で実際の田中陽子よりもアニメの田中ようこのイメージが強いかな。歌詞も語感重視って感じだし、イントロからバシバシとしたドラムやポピポピした笛の音みたいなのが鳴り響くアレンジも楽しそう。ただ田中の声質とマッチしているわけじゃない。逆に言うとこういう曲にあまり合ってない田中のボーカルを強烈なアレンジで強引に引っ張っていってる感じがあるね」


「次は『陽春のパッセージ』。作詞森雪之丞、作曲岡本朗」


「これはようこそようこのOPとなった曲で、デビュー曲でもあるんだ。陽春で『はる』と読ませているように、鮮烈な春の光を感じさせるイントロのギターが好きだな。間奏もいい。全編サビのようなキャッチーなメロディーが連発する曲も非常にパワフル。歌詞はと言うと、おおまかなテーマとしては初めて感じたときめきとかそういうのだけど小道具として辞書とか使ってて技巧的だね。そして歌詞のシチュエーションにのめり込み過ぎない程度のクールさを保ちつつ伸びやかな田中の歌唱。これはいいよ」


「次は『水たまりの太陽』。作詞森雪之丞、作曲山口美央子」


「季節が変わって六月、ちょうど今頃だね。帰り道に相合い傘したよって曲。しっとりとした曲に森お得意の語感重視の歌詞が合わさっている。全体的にはアルバム曲って事もあって抑えた雰囲気」


「次は『一人にさせない』。作詞許瑛子、作曲山口美央子」


「これがようこそようこのEDで、確かにいかにもエンディングだなあって曲調。はっとさせるようなイントロが印象的だね。比較的静かな歌い出しから、少しスピードアップするBメロがいい感じ」


「五曲目は『夢の中の待ちぼうけ』。作詞田口俊、作曲山口美央子。山口多いわね」


「この頃の女性アイドルには多いよね。ゆらゆら揺れる心をそのまま形にしたような、ちょっと幻想的な曲。下手な笛みたいな音が不規則に響くイントロとかまさに夢の中にいるような雰囲気」


「次は『夕陽のクレッシェンド』。作詞森雪之丞、作曲いしいめぐみ」


「これが二枚目のシングルで、さすがに気合入ってるなって曲。スピード感ではトップじゃないかな。晩夏の夕暮れに爆発させた情熱というイメージで、歌詞もかなり一途さを強調している。田中の低めの声質がまた迫真感を高めていて、アレンジを含めたスピード感と合わさって命をジリジリと削っているような緊張感、ひたむきさがある。作曲のいしいは当時の女性アイドルにそこそこ楽曲提供したりしてるけど、どうも元はシンガーソングライターだったみたいだね」


「そう考えると山口と同じ境遇ね。次は『放課後の冒険者たち』。作詞田口俊、作曲松浦有希」


「タイトルは凄くいいと思うけど曲自体はちょっとぼんやりとしている。ミディアムテンポで、雰囲気はいいんだけどね、雰囲気だけと言うか」


「次は『陽炎のエチュード』。作詞工藤順子、作曲いしいめぐみ」


「これが結果的にラストとなった三枚目のシングル曲だよ。夜を舞台に寄宿舎とか賛美歌とか今までよりちょっとマニアックな世界観が展開しているのが新機軸。虚無的でさえある歌詞に田中のクールな歌唱が程よく調和している。サウンドもそれに合わせてエキゾチックな雰囲気。バシバシと気合入った打ち込みサウンドが格好良くてね。それにしても田中陽子のシングル曲はいずれ劣らぬ名曲ばかりだね、うん。いずれもタイトルに『陽』という字が入った学園ソングだけど鮮烈な『陽春のパッセージ』、疾走感ある『夕陽のクレッシェンド』、そして哀愁ただよう『陽炎のエチュード』と異なる個性が際立っていて、どれか一つ選べと言われると相当苦労するけど無理やり決めるとこれかも」


「個人的には『陽春のパッセージ』かなって思った。そして次は『赤い口紅』。作詞大森祥子、作曲松本俊明」


「男の目線で、幼馴染が最近急に大人びてきた事に伴う戸惑いのようなものを歌った曲。作詞の大森は、割とアニメ系の仕事が多い人みたいだね」


「最後は『陽のあたるステーション』。作詞田口俊、作曲山口美央子」


「これはもう、卒業だね。実際アニメでは最終回のエンディングで使われたらしいし。物語を過度にエモーショナルにしない田中のクールな歌唱はここでも健在で、淡々としているのが逆にリアリティを高めている。笑っていてもそれははにかむような小さな微笑みなんだよ。終わってみるとグランプリとかそういう派手な立ち位置が逆に重荷になったのかなとか思ったり」


「全十曲が彼女の全てとなるのね」


「他に『白のコンチェルト』という当時未発表だった曲もあって、後に出たベストアルバムに収録されているんだ。というかそのベストアルバムにはこのアルバムの全曲も収録されてて、基本そっちを手に入れればってところはあるね。結局どちらもそんなに出回ってないし。ただこの『Invitation』は写真が豊富なのがメリットかな」


「でも顔は特別いいってわけじゃないように思えるわね」


「ふふっ、そこは何とも言えないけど。それとアルバム全体の総評をするとこれ一枚で少女の一年を巡らせている感じだよね。序盤の『太陽のバースディ』『陽春のパッセージ』は春で、そこから梅雨、夏、メランコリックな秋冬を経て『陽のあたるステーション』ではまた春に戻っているという構成だしね」


「この一枚で一つのストーリーになっているのね」


「そういう事。結果的には一枚で終わったけど、それはそれで良かったんじゃないかな。何やら現役時代はあまり態度がよろしくなかったとかでその手の『伝説の素行不良アイドル』みたいなニュアンスで語られるケースが多いけど、後追いの視点で言うと音源にどんな音が残っているかが重要だからね。人間としての評判が悪かろうがお薬で逮捕されようが上等上等」


「いやいやそれは全然上等じゃないでしょ」


「まあ、ね。でも結局会った事さえない人の人格なんて期待するものでもないじゃない。それとアニメとタイアップしていたって話があったけど上記の楽曲のいくつかは作中で声優が歌ってて、それをまとめたアルバムなんかもある。ただこういう仕事にありがちだけどアレンジが弱い。シンセの音とかね。やはり楽曲の良さはあらゆる要素の総合力によるものなんだなって再認識させるよ」


「そこは金のかけ方の違いもありそうね」


「というかそこが全てかなって感じ。特にオリジナルは気合入れて作ったと思われるシングル三曲のアレンジがしおしおでずっこけるからね。そうなると歌唱に関しても達者だけどどこか作ったようにあざとく迫真感に欠けるのではと思えてきたりね、まったく不思議なものだよね。歌いまわしの違いなんかは慣れの問題だと思うけど、アレンジに関してはさすがに品質の差を見出すしかないでしょ」


「そう言えば今の田中さんは何をやってるの?」


「イベントの企画制作みたいな事をやってるみたい。表で歓声を浴びる役から裏方に回ったって事。性格的にも表舞台に立ち続けられるものではなく、結局のところは向いてなかったのかなと思うよ。実際本人もそれを自覚したからこそ今の立場にいるんだろうし、何より本人がそれで納得しているようだからそれは幸いな事だよ」


 このような事を話していると敵襲を告げる警報が響いたので二人はすぐに着替えて敵が出現したポイントへと急いだ。


「ふはははは、私はグラゲ軍攻撃部隊のコモンリスザル女だ。宇宙を征服したグラゲの覇権をさらに広めるのだ」


 その名の通りリスのように小さくて、色なんかも似ているサルを模した女が草原に降り立った。それと実験で地球史上初めて宇宙飛行をした霊長類となったらしい。宇宙飛行では生存していたが地上に戻る際、パラシュートがうまく作動しなかったためリスザルの入ったカプセルは海に叩きつけられ、そのまま沈み行方不明となってしまったという。かくして科学の進歩のための悲しい犠牲となった。


 でも今はそんな事はどうでもよくて、リスザルの怨念が形を変えて地球への復讐に来たとかそういうのでもないんだからさっさと排除する必要があった。間もなく渡海雄と悠宇が到着した。


「また来たのかグラゲ軍。お前達の思い通りにはさせないぞ!」


「まったく懲りない相手ね。あまり暴れてくれても困るわ」


「ふん、私からするとお前達こそ荒野を暴れ回る害獣にしか見えないのだがな。さあ行け、雑兵ども! 奴らを根絶やしにするのだ!」


 やはり聞く耳を持たないコモンリスザル女の指示で襲いかかってきたメカニカルな雑兵を二人は次々と破壊して、ついには全滅させた。


「よし、これで雑兵は片付いたかな。後はお前だけだコモンリスザル女!」


「何か地球に恨みでもあるの? 戦わずにすむのならそれが一番いいんだけど」


「グラゲの真意を理解出来ない奴らに言う事など何もないわ。それは滅ぼすしかないという事だ!」


 そう言うとコモンリスザル女は懐から取り出したスイッチを押して巨大化した。やはり戦いは避けられないのか。渡海雄と悠宇は覚悟を決めて合体した。


「メガロボット!!」

「メガロボット!!」


 さっきまで晴れていたのに急に黒い雲がかかってきた空を突き抜けて二体の格闘戦が繰り広げられた。負けてたまるかという闘志を剥き出しにした悠宇が一瞬のタイミングを見計らってコモンリスザルロボットの懐に入り込んだ。


「よし、今よとみお君!」


「うん。ランサーニードルで決める!」


 その一瞬の隙を見逃さず、渡海雄は黒色のボタンを押した。腹部から放たれた複数のニードルが敵の胴体を貫いた。


「くっ、ここまでか。脱出する」


 機体が爆散する寸前に作動した脱出装置によってコモンリスザル女は宇宙へと帰っていった。そして機体の爆発が雨雲を払い、その日の日中は晴れ間が続いたという。

今回のまとめ

・アニメは見たことない

・シングルはいずれ劣らぬ名曲ばかり

・アルバム曲はその周辺を補完する控えめな曲が多い

・全体の調和がとれていれば歌唱力などさしたる問題ではない

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