fh12 熱戦記念 70年代のヤンマーサッカー部について
五月の一時期はやっぱり暑すぎた。しかし六月に入ったら今度は雨が多くなってくるものだ。今日も夕方、突然大雨に見舞われたので緊急避難的に渡海雄は悠宇の家におじゃました。
「いやあ、突然の熱い夕立ね。そろそろ梅雨かしら」
「そうだね。傘持ってなかったから慌てたよ」
「まあこれも何かの縁だし、今までのお話の続きといきましょう。前回まで東洋、三菱、そして日立を見てきたわね」
「そうだね。この流れから言うと次はあの、後継のチームが今J2でもがいている」
「よく分かったわね。そして今回はヤンマーディーゼルよ」
「あれ、御三家の残り一つじゃない?」
「あそこは次。それにセレッソだって今はJ2でもがいているじゃない。讃岐相手に見事な逆転負けを喫したり」
「でも次の試合は逆に終了間際にゴールで勝ったし、まだこれからでしょ」
「現状五位。勝つも負けるも派手な展開で、ただもうちょっと安定しないと大変よね。まあそれはそれとしてヤンマーよ。まずはチームについて説明すると、日本リーグ初年度からの加盟に成功したもののそれまでの全国的な実績はほとんどない弱小だったの」
「それがよく入れたね」
「鍵は熱意とタイミングよね。全国リーグだし、やはり関西から一つは入れたかったという考えがあって、でも日本リーグのような全国リーグは当時のサッカー界だけでなくスポーツ界にとっても初めての試みで、成功するか失敗するかはまるで読めない状況だったの。それに経営状態とか個々の事情なんかもあって実績ある関西のチームは意欲に乏しかった。一方でヤンマーは熱意を見せたから加入出来たと、概ねそういう話みたい」
「なるほど。やはりやる気って大事なんだね」
「ただ初年度が七位、翌年は最下位と当初はやはり弱かったの。しかし日本リーグ三年目となる一九六七年には早稲田大学の釜本邦茂ら有力選手の大量獲得に成功。前年の入れ替え戦で落ちてたらヤンマーに入っていなかったって話だから、紙一重よね。しかも釜本は元々三菱有力でヤンマーがどんなチームかも知らなかったけど、京都出身だったから関西に戻るべきという猛烈な説得が行われて翻意したと言うわ」
「関西唯一の日本リーグってブランドが幸いしたものだね」
「何はともあれ釜本が加入して以降は上昇あるのみよ。六十八年には二位まで行ったり、天皇杯を二度制したり。そして七十一年だけどね、釜本加入以前からヤンマーでプレーしていた選手はこの時点で既に浜頭昌宏ただ一人。しかもその浜頭も高卒で、つまり釜本らの世代がこの時点でチーム最年長となっているの」
「ちょうど釜本達が五年目でその状況なのか。世代交代なんてもんじゃなくてまさに別物だね」
「まあ程よい年齢よね。ちなみに弱い頃のチームで頑張ってたのが監督となっている鬼武健二とかよ。それとコーチに加茂周っているでしょ? 彼もそう」
「加茂周。代表監督になった人だよね?」
「ええ。彼に関してはまたいずれ出てくるからここまでにして、選手のほうに移りましょう。まずは釜本と同世代の選手を見てみると、いかにも厳しそうな顔をした背番号5木村文治は後に複数のJクラブで監督となった人物よ。成績や評判は芳しくないけど、この時代の人がそこまで残った事は珍しいものよ」
「確かに。つまり三十年とサッカーに関わってきたって事だもんね」
「他には上智大出身の背番号3阿部武信、釜本と仲が良かったらしい背番号6水口洋次、釜本と同じ山城高出身で誕生日も三日しか違わない背番号10吉川輝夫など。それと七十五年にも残ってた西片も。翌年に加わったのがメキシコ組最年少となる背番号7湯口栄蔵、後にヤンマーの監督となる背番号11三田僥ら」
「うわあ名前がいっぱいだ。湯口の顔付きは老けてるね」
「それプラス、当時としてはまさしく画期的だった補強としてブラジルから選手を呼び寄せたの。柔和な顔つきのネルソン吉村が第一弾で、二人目は黒人の背番号14カルロス・エステベス。そして第三の男として加えたのが背番号22ジョージ小林よ」
「ジョージは何か輪郭がぷっくりしてるね」
「来日当初はウェイトオーバーで結構絞られたらしいわ。それはともかく、この年にヤンマーはリーグ戦優勝を果たしたの」
「いきなり優勝か。やるものだね。もはや強豪への道一直線だね」
「いかにも適当な賛辞だけど実際その通りよ。そしてこの年のルーキーとして坊ちゃん刈りみたいになってる前髪ときりっとした目つきの噛み合わなさが何とも言えない背番号16松村雄志もいるわ。前半戦は体力不足なんかもあったらしく出番は少なかったけど後半戦から試合に出るようになって、天王山となる試合でゴールを決めるなどの活躍を見せ、優勝を導く最後の鍵となったの」
「へえ、さすがにやるものだね。一年目からやれるって見事じゃない」
「本当にね。松村に加えて高卒の背番号2北村重夫や背番号13今村博治が、って何か村が付く苗字ばっかりだけどこういう若手の成長がチームにとって大きかったって鬼武監督も言ってたわ。他には陰影の関係でもっさりとした眉毛が上手く隠れた結果目元が涼し気なちょっとクールな人っぽくなっている背番号19水口利男など。それと堀井美晴もこの年入団のはずなんだけど名鑑にはいない」
「ふうん、そういう事もあるんだね」
「多分あれかなって推測はあれどもうちょっと調べないとね。さて、七十三年は松村が日本代表に選出されてワールドカップ予選を戦った年よ。それが原因ではないと思うけど名鑑の顔写真は七十一年からの使い回し。これに限らずヤンマーの顔写真は使い回し多いのよね。原因はヤンマーかベースボールマガジン社かは知らないけど」
「ざっと見たところ松村の他に鬼武監督や木村、ネルソンとジョージなどが使い回し。釜本や西片、浜頭に今村や北村などは別の写真ってところかな」
「それと水口利男も。今回は影が眉毛を隠してくれずもっさりした顔つきに。また、いなくなった選手としては湯口やカルロス、水口洋次など。そう言えば当時の雑誌で『水口兄コーチ』って表記を見た時はびっくりしたわ。そうなると弟は当然利男となるけど、言われてみるとどちらも広島の高校を出ているし、タレ目気味な目つきも共通しているように見えてくる。ただ高校も大学も別で、洋次は百六十二センチなのに利男は百七十七センチって離れすぎだし、そういう認識は皆無だったから」
「まだまだ調べる事は多そうだね」
「本当にね。加わったのは堀井やまぶたが厚ぼったくて陰険そうな写真うつりになってしまっている背番号15阿部洋夫など。阿部は七十五年とかなり印象が違ってあれれって思ったわ。また日系二世のネルソン山本とイタリア系のA・ジョージ・トリンカなる外国人も登録されているわ」
「知らない名前だね」
「長くはいなかったみたいだから仕方ないわ。この年は三位に終わるも七十四年と七十五年に連覇し、黄金時代を創出したヤンマーだけど釜本世代は三十歳を突破。同い年は次々と引退して残ったのが釜本一人となった七十七年の開幕当初、鬼武監督は釜本をディフェンダーで起用したの。しかし得点力不足に陥って早々とフォワードに戻したわ」
「えっ、何それは」
「前線の選手がポジションを下げるのは三菱の落合とかもそうだし、ない話ではなかったけどさすがに釜本レベルだとね。また顔写真は堀井以外新たな写真となり、全体的にシャープな写りになっているわ。松村は瞳が澄んでいて涙目っぽく見える。そして背番号2となった水口は前髪でもっさりした眉毛を隠した結果多少田舎っぽさは残るもののすっきりした雰囲気に。やっぱり眉毛って大事なのね。外国人は、まずヘナト・O・ストッキーなる背番号5のブラジル人がいるけど、何故か横目で隣の松村を見ているみたい。それと背番号23ビタヤ・ラオハックルは世にも珍しいタイ人」
「出身校が王立モンクット学院とか強そうだね」
「この後ドイツに行ったり引退後交通事故に遭ったり、結構波瀾万丈なキャリアを送った人よ。他にはガンバ大阪の育成組織で活躍する背番号14上野山信行や永大出身の背番号22曽根政芳といった選手も」
「上野山はワイルドな顔つきだね。いや、髪型かな。何かボサボサで山から出てきたみたい。髪型で言うと今村が後ろ髪切った結果おかっぱみたいになってるのはちょっと」
「ああ、これはあんまり似合ってないわね。さて、この七十七年は序盤の謎フォーメーションがまずかったか五位と低迷。鬼武監督はチームを離れ、釜本が選手兼任監督に就任するの。それと同時に世代交代を推し進めて七十九年は松村や水口がいなくなっているわ。そう考えるとまだ現役で頑張ってる浜頭って凄いわね。それと顔写真はほとんど七十七年の使い回しで見どころに乏しい」
「と言うか堀井は七十五年からずっと同じ写真か。さすがに手抜きじゃない?」
「そうね。いえ、その時その時の苦労もあるでしょうし基本的に批判めいた事は言いたくないけどさすがに五年放ったらかしはね。選手だと七十七年にはいなかったジュリオ上田が復活。相変わらず髪が長いわ。共に大卒一年目の背番号18楚輪博と背番号21坪田和美はこれからのヤンマーを担っていく選手よ。そして山野孝義と山野孝明という双子。兄の孝義は早速レギュラーを確保し、今は解説者としても知られているわ。弟の孝明は交通事故で亡くなったみたい」
「それはまた……」
「チーム寸評では『プレーヤー釜本に頼るようでは優勝はむずかしい』とあるようにこの七十九年は四位だったけど翌八十年には優勝し、そしてそれがヤンマー最後の優勝となるの。七十年代で一番悪かったのが五位とかなり安定して上位をキープしていたけど八十年代は苦戦して、日本リーグ最後の年を前に降格。Jリーグ初年度にも加入出来なかったわ」
「確かに、今は大阪と言えばヤンマー由来のセレッソよりガンバのほうが先に来るよね」
「Jリーグ初期のガンバは監督が釜本邦茂だったり、関西唯一のクラブとしてオール関西的な立ち位置だったのはヤンマーと似ているわね。初期は弱かったとか攻撃はいいけど守備がアレとかも案外ヤンマーのDNAだったりしてね」
「ははっ、でも言われてみると確かにそうだね」
「さて広告だけど、まず七十一年は『あらゆる産業のたくましい原動力』というコピーにトラクターや船舶主機の写真が載せられているもの。広告にヤン坊マー坊のイラストが使われているのもこれだけ。やっぱかわいいわ。七十三年はロータリーエンジンの船外機。『疾風感覚』だの『鮮烈ボーティング』だのフィーリング重視の謎ワードが連発していて印象的。それとこのロータリー船外機のコマーシャルソング『恋人は君ひとり』を歌った山岡英二という若者が後に吉幾三と名前を変えたけど、まあどうでもいい話よね」
「デビュー当時アイドルだったって言うけど、まさにこの頃かな」
「そうね。七十五年が燃料報国で、七十七年は宇宙から見た地球の写真に『たくましい力が世界の明日をひらく』というコピーが添えられたもの。七十九年はトラクターや船やディーゼルエンジンの写真に『大地に海に技術の鼓動』というコピー。それと馬力表記が消えたわね。実際『農業用2.0~30馬力』とか書かれても知らないし」
「でも分かる人には『おおお……!!』って感じなんだろうね」
「これでも一応ロボット使いなのに、何の知識もないのね私達って」
「……そこはね」
「そして最後に松村大特集。まず前述の通り初年度は後半戦中心に八試合一ゴール、二年目は早くも十四試合と全試合出場で一ゴール。三年目は十六試合で二アシスト、四年目は十八試合、五年目は十七試合、六年目は後半戦に怪我などあり十二試合二アシスト、そして七年目は十八試合に出場したわ」
「一年目が七十一年だから七年目が七十七年か。分かりやすくていいね。と言うかそれ以降は?」
「どうもこれで引退みたい」
「嘘でしょ! 全試合出場したのに引退するの?」
「この頃はよくあった話よ。年齢で言うと二十九歳。そろそろ三十路を見据えて本業を覚えましょうって頃合でしょう。チームとしても若返りを進めたかったし、ちょうど百試合出場したしそれを花道にって感じで」
「もったいないものだね」
「そして選手としてのタイプは、本当はスタジアムで見られたら一番なんだけどそれは無理なので当時見ていた人によって書かれたであろう名鑑の寸評から拾ってみると、七十一年『正確なプレーと走力』七十三年『テクニック、センスは抜群』七十五年『正確な個人技』七十七年『ハデさはないが堅実なプレー』。大体共通してるでしょう」
「とりあえずテクニックがあったみたいだね。それでミスが少ない感じかな」
「身長175cmも当時ではなかなかだし。ポジションとしてはジョージとニコイチと言うか、守備を固める場合はジョージをディフェンスに入れて松村は中盤、オフェンス重視だとジョージが中盤で松村が最後尾に入る感じ」
「あくまでジョージのほうが上なんだね」
「まあそこはね。それでジョージがいなくなった七十七年は釜本を最後尾で使うというとんでもない作戦に走ったわけだし、それだけ重要だったって事でしょう。だからと言って松村が重要じゃなかったわけではないんだけどね。七十年代において非常に安定して上位の成績を残してきた強豪チームでずっとポジションを掴んできたんだから」
「一番悪いのが七十七年の五位か」
「東の三菱、西のヤンマーで黄金カードになったのも成績見ると当然よね。先日物故された漫画家の望月三起也さんがサッカーマガジンに連載持ってたけど、彼は三菱ファンだったからヤンマーに対しては結構アンチ的な接し方だったり。感情剥き出しの客観性皆無で特定チームはガッツリ贔屓という今では普通のあり方なんだけどね、実業団の時代にもそういう人がいたんだなって」
「今だとブログとかで生息してるタイプかな」
「まあ贔屓してるだけじゃなくて明石家さんまやビートたけしとザ・ミイラという芸能人のサッカーチーム作って日本リーグの前座試合やったり。これなんかサッカー人気が低かった時代に芸能人目当てで集まった中から『あれ、意外とサッカーって面白いかも』って思ってくれる人が一人でもいればという願いから生まれたと言うし」
「ミイラ取りがミイラになるって奴か」
「本当にそれが由来だからね。それと女子サッカーの黎明期にも結構重要な働きを見せたり、日本サッカー界においてはかなりの貢献者よね。漫画はあんまりピンとこないけど」
このような事を語っているといい時間になったので帰った。少し分量が多くなってしまったが、なぜかヤンマーだけはこうなってしまう。ここ三日ぐらいどうにか減らせないかとあがいたがそれは虚しい努力に終わりそうだったので観念した。一体何が悪いのか。松村か? 松村なのか!? それと水口とか。結構印象的な顔の持ち主が多いのはその通りだと思う。
他にもヤンマークラブのお陰で選手が出入りしたとかそういう話もしたかったが、八十年代編が出来たらその時に改めてってなるだろう。そのためにはもうちょっと頑張らないと。今後はイレブンにも手を伸ばすとか。
今回のまとめ
・釜本とゆかいな仲間たち的なチームという印象
・70年代前半のユニフォームにはヤン坊マー坊がいて可愛い
・広告は基本堅実なのに七十三年だけやけに浮ついている
・セレッソは波の大きさをどうにか出来ればいいのに