fh11 70年代の日立製作所サッカー部について
土日を含めたゴールデンウィークももう終わる。桜の木は力強い緑色の葉を広げている他、爆発的な色彩のツツジが咲き誇ってエネルギッシュな空気が街中にみなぎっている。
「そういうわけで今回は日立よ」
「日立って言うと今の柏レイソルだよね」
「その通り。日立のサッカー部は戦前からタイトル獲得歴がある強豪で、当然日本リーグ発足時も有力チームの一つだったわ」
「戦前かあ。筋金入りだね」
「そもそもこの企業からして日本を代表する大手中の大手だし、サッカーでもそういう長い歴史があるから大学で活躍した有力選手をかなり多く獲得出来るというアドバンテージを有していた割に初年度は四位と、強豪の中では最低レベルの成績に終わってしまったの」
「三菱よりは上か。でもあんまり良くないね」
「しかしそれは序の口で、それ以降ひとつずつ順位を下げていって一九六八年には代表選手を複数揃えながらも七位で入れ替え戦を戦う羽目になったの。他のチームが強化されていく中、それまでとあまり変わらないシステムだった日立が取り残されていったという形だったみたい。練習量とか、設備もね」
「それはまた不甲斐ない」
「このままではいかんと一九六九年に就任したのがあの高橋英辰監督よ。戦前から早稲田や日立で活躍し、戦後には日本代表監督にもなったような当時からしても大物中の大物といった存在で、その年の前半戦は最下位で折り返したけどナイター設備や寮が出来たって事で後半戦は一つ順位を上げたの。そして七十年にはご覧の通り、優勝争いに絡んでの三位と一気に飛躍して強豪として返り咲きを果たしたわ」
「七位から三位かあ。見事なものだね」
「その時のコンセプトがよく走るって事。これが噂の『走る日立』って奴よ。という事で七十一年の名鑑。チーム寸評に『ことしの台風の目か?』と書かれてたりと期待されている様子が窺えるわ」
「チーム名が日立本社ってなってるね」
「ああ、そこも大事ね。本社って呼称があるって事は本社以外もあるって事よ。例えば日立茨城は二部リーグにまで昇格した事があるし、永大の本でも日立笠戸から選手が加入したって記述があったでしょう。そんな感じで各地の事業所にもチームがあったの。その中で東京にある本社のチームだから日立本社」
「さすが日立、大企業だね」
「選手としては新人にあのストライカー松永章がいるけど、寸評見た限り意外と前評判が低い? どうも怪我なんかもあって華やかな経歴の割にはもう一歩ってイメージだったみたい。それと所属選手がやたらと多いのが特徴」
「本当だ。例えば東洋は二十五人、三菱は二十六人だけど日立は三十三人。三ページ目とか詰め込みすぎて窮屈になってて、下の方の選手なんて寸評なし」
「特に若手は高卒選手、独自のコネクションでもあったのか東北出身者が多いのも特徴ね。十代にして守護神に抜擢されて早々と背番号1を獲得した瀬田龍彦は盛岡商業だし、それと当時高校総体に優勝したような東北随一の強豪秋田商業出身者がやはり多い」
「秋田商業って野球でも強いよね」
「そうね。あの赤根谷飛雄太郎とか嵯峨健四郎、そして去年の甲子園で活躍した成田翔とかいるし。カープが指名寸前でロッテに指名されたとかいう噂もあるけど、頑張ってほしいものね。いや、秋田商業はともかくとして日立よ、日立。この年は四位に終わったけど、着実に高橋イズムは浸透していったの。そして七十二年にはついに初優勝。ついでに天皇杯も制して二冠達成となったの。ついでにそれまで青基調だったユニフォームが黄色メインになったのもこの頃だったみたい」
「おお、おめでとう。よくやったものだねえ」
「そしてこの年の最優秀選手は野村六彦という小柄なベテランよ。広島県出身、実はJSL初代得点王という由緒正しきストライカーだったけどそれ以降はちょっと低迷していたみたい。でも高橋監督就任以降は中盤で復活。元々テクニックには定評があったけど運動量も増えて、まさにチームの中心となったの」
「当時でもう三十歳超えてたのに、見事なものだね」
「それでいて代表経験なし。FWとしては世界で戦えるサイズじゃなくて、身長が比較的影響しない中盤でブレイクした時には年を取り過ぎてたとかそういう感じかなとは推察するけど。優勝年に本格化した松永もやっぱり身長から代表ではあまり出番なかったし。日立にありながらそういう巡り合わせだからままならぬものよね。相変わらず三十一人と選手の数が多いわ。でも七十五年には二十六人と普通になったわ」
「方針変わったのかな?」
「野村らベテランは引退して若手も先がなさそうなのは退団となり。これ以降はもう選手数がやけに多いって事もなくなるけど、まあ多すぎても意味は薄いし妥当だと思うわ。そんな栄光時代を築いた高橋監督は七十六年シーズン限りで勇退し、日立のコーチや早稲田大学の監督を務めた胡崇人が監督に就任したのが七十七年」
「身長百五十五センチって!? しかし叩き上げの鬼軍曹って雰囲気の顔だね。それとエンブレムが変わってるね。日立そのまんまだったものからタツノオトシゴが描かれてるものに」
「何でタツノオトシゴなのか分からないけど、ちょっとかわいいわ。選手としては大卒二年目の高林敏夫や碓井博行はすでにレギュラークラスとなっていて、特に碓井はルーキーイヤーからいきなり得点王争いに食い込むというストライカーっぷりを見せたの」
「いきなり十三点か。髪の毛は多いけどちょっと老けた顔だね」
「ふっ。しかしよく見るとおでこが広いでしょう。苗字が碓井だからそう言ってるわけじゃないの。まあ七十年代はまだキープ出来てるけど八十年代は完全に……。寸評でも七十七年には『激しさがもう一つ』七十九年には『激しさがつけば』と書かれているけど、八十年代にはそれを得たようで得点王に二度輝いた、素晴らしい選手よ。それと息子はJリーガー。ポジションはGKだけど」
「息子の育成には成功したんだね」
「まあとにかく七十九年よ。胡は二年で退団して野村が監督就任しているわ。それとチームの寸評が『チームとしてどんなサッカーを目標にしてるのかわからない』などと、前年五位とそこそこの順位ではあるにも関わらずやけに辛口なのがやけに目につくわ。いや、この年の寸評は全体的に厳し目なんだけど特に日立には辛辣」
「優秀な選手を揃えてて優勝出来るはずなのに五位程度に終わってしまった、みたいなニュアンスだね」
「選手の寸評も『期待されながら』『能力がありながら』『今季こそは』みたいなワードが続出してるし、そんなにじれったいサッカーをしていたのかしらね。若手選手としては西野朗が二年目ね。背番号16、なかなかかわいらしい顔をしているわ。うん、格好良いはずなんだけどどこか弱含みで犬のような表情なのよね。その横には久米一全。久米一正という名義で名古屋なんかのGMとして有名な男よ」
「去年までは西野監督名古屋だったよね。そういう関係もあったのか」
「やっぱりつながりって大事なものよ。そんな感じで今のJリーグにも直接的に関わってくる存在もぼちぼち出始めるんだけど、特に西野なんて選手としては華やかなりし高校大学時代から日立では伸び悩んだという評判が定着してるし、そしてそれは日立のチームカラーみたいに言われていたの。選手が揃ってる割に弱い、有力な大卒選手がいまいち成長せずに終わる」
「厳しいものだね」
「西野個人で言うとテクニカルなプレースタイルと走る日立の運動量を重視するスタイルが合わなかったとは言われているけど、そこが違っていると選手としてはどうにもならなかったでしょうね。この辺りも実業団の限界かなって」
「サッカーの場合は実力があってもスタイルと合わなかったら本当に出番なくなるもんね。今なら移籍すればいいけど、当時だとそれも無理だし」
「まあ、色々な手を使えば移籍もあったんだけどね。実際日立から移籍した選手もいるんだけど、それは後で話すわ。さて、成績のほうなんだけど、そもそもJSL発足後日立がタイトルを獲得したのは高橋監督時代のみ。つまり西野入団時には既にピークは過ぎていたわけよ」
「意外と短いピークなんだね」
「そう。結局のところ高橋監督が走る日立って掲げたのも六十年代当時の日立はスタミナや運動量が欠けていたからでしょうし、その問題が解決してからも高橋監督がやってたサッカーで止まって次のプランを打ち出せなかったって事なのかなとか勝手にイメージしているわ。以降は新監督の就任一年目に順位上げるけどそれ以降ズルズル下降してまた監督代わったら順位上げての繰り返しよ」
「ずっと強くある事は難しいものだね」
「本当にね。だから胡監督も一年目は三位で二年目は五位。野村監督も同様で、三年目は七位とついに危険水域に突入。八十四年には最下位まで落ちてついに降格かと思いきやチーム数が増えたお陰で奇跡の残留を果たすも、それで弱体化が止まるわけでもなく二年後にようやく降格」
「それがもう八十年代の事だよね」
「そう。以降は昇格と降格を繰り返してどうにか最後の日本リーグは一部で迎えたもののJリーグ初年度の参加はかなわず、最初の昇格も他に譲る羽目になったの」
「柏レイソルの昇格は一九九五年か。しばらくは苦労したんだね。でもそれからは優勝したり強豪として存在感あるチームだよね」
「二度の降格もあったんだけど、まあ概ね順調よね。レイソルとはすなわち太陽王。この名から日立を想像するのは容易な事でしょう。チームカラーも四十年以上キープしてるし、柏と言うかやっぱり今でも日立レイソルよね、ここは。それは揶揄的な意味ではなく地域があって企業があってスポーツがあるという一つの形式を持ち続けているって事でむしろ評価されて然るべき」
「日立柏サッカー場はチームで所有してるみたいだし、こういうところは磐田と柏ぐらいでJリーグの中では少数派なんだね」
「地域密着と言いつつ負担は大体自治体頼みとかじゃなくてね、やれる金があるのならそれでやるのが特別になってはいけないわ。まあ大体がないから苦労してるんだけど」
「リーグのほうももうちょっと条件緩和すれば楽になるのにね」
「リーグの規約より法律をねじ曲げろって意見が散見するのはいただけない話よね。それと広告だけど、まず七十一年と七十三年は『日立は未来を創くる企業です』って事で子供の笑顔や実験してる大人達のイラストが描かれているもの。七十五年は木が描かれて日立感アップ。七十七年は日立ランプソフトシリカの広告で、障子越しに家族団らんのシルエットが描かれたイラスト。これはなかなかいい雰囲気で一番良好。七十九年はHITACとかいう、企業向けのコンピュータ? Lシリーズってのがオフィス用らしくて、それの広告」
「スーパーコンピュータみたいで大きいねえ」
「まさに技術の日立。それで今年のレイソルは早々と監督交代となったけどそれが災い転じてか、交代後はなかなか好調じゃない。どこまで行けるのか、楽しみね」
このような事を語っていると敵襲を告げるサイレンが響いたので二人はがっかりした。せっかくのお休みがこんな戦いで潰れてしまうのかと。でもここで頑張らないともはや休みすらなくなると思うと頑張る以外にない。さっさと変身して敵のいる地点へと走った。
「ふはははは、俺はグラゲ軍攻撃部隊のコフラミンゴ男だ! 理念を邪魔する者は全て滅ぼしてやろう」
アフリカに住むフラミンゴの中でも一番小さなフラミンゴを模した男が水辺に出現した。さすがにまだ泳ぐには寒いと思うが。関係ないけど当時の新聞見てると高橋英辰ともう一人をジャイアンツのキャンプに招聘する事が決まったみたいな記事があった。
一九七七年冬の記事で実際に呼んだのは一九七八年の事となる。この年巨人は見事に優勝を逃したのだが、さすがにこれのせいとは言えないだろう。所詮は長嶋監督だし。それとこの年を舞台にした新巨人の星ⅡがKBSで放送中だが、この前一番頭おかしいエピソード『恐怖・死神ゴスマン』をやってた。まさに壮絶。
それはともかく、敵に地球を蹂躙される前にそれをさせまいと燃える二人が立ちはだかった。
「出たなグラゲ軍! こんな日にまで現れるなんて許さないぞ!」
「素直にしていればいいものを戦おうなんて。あなた達の思うようにはいかないわ」
「むう、出たな逆臣ネイの部下どもめ。今日でお前達は征伐されるのだ。行け、雑兵ども!」
そうして大量に出現した雑兵を渡海雄と悠宇は次々と撃破していき、ついには全滅させた。
「よし、雑兵は片付いたみたいだな。後はお前だけだコフラミンゴ男!」
「攻めてこなければ戦う必要もないのに。もうこんな事はやめてくれるといいんだけど」
「ふん、我が理念に従わぬ者に説く言葉はない。ただ誅殺するのみ!」
コフラミンゴ男はそう言いつつ懐から取り出したスイッチを押して巨大化した。誰かから「これが正しいんだ」と言われた理念をなぜ正しいのか考えず受け入れた者は、それを疑う者を許さなくなりがちだ。しかし襲ってくるなら戦うしかない。二人は合体して対抗した。
「メガロボット!!」
「メガロボット!!」
ピンク色の翼が鮮やかなコフラミンゴロボットと金色に銀色にその巨躯を太陽に光らせるメガロボット、巨体同士のバトルが繰り広げられたが、悠宇は相手の微妙なバランスを突いて倒した。
「よし、今よとみお君!」
「うん。エンジェルブーメランで行く!」
敵の動きが止まった一瞬を逃さず、渡海雄は桃色のボタンを押した。肩から出てきたブレードを組み合わせて投げつけると、そのブーメランはコフラミンゴロボットを切り刻んで戻ってきた。
「ぬおおっ、ここまでか!? 仕方あるまい。脱出する」
機体が爆散する寸前に作動した脱出装置によってコフラミンゴ男は宇宙へと帰っていった。これにて一件落着と言いたいところだが、まだまだ戦いは続いていく事だろう。平和を手にするとはかくも大変なものだ。しかしその日がきっと来ると信じているからこそ戦い続ける勇気は溢れるのだ。
今回のまとめ
・日立は御三家の中でも三番手と言うか他よりあくが強くない印象
・当時は代表クラスだったけど今となっては誰って選手が多いかな
・碓井にやたらと激しさを求める名鑑に多少の悪意を感じた
・新巨人の星Ⅱは案外面白いけどそれまでのシリーズも知らないと