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sw07 金峯山寺秘仏ご開帳記念 吉野について

 思い立ったが吉日という言葉があるが、何かを始める時というものは得てして唐突なものである。渡海雄と悠宇は吉野へ行く事になった。二人は今、京都駅にいる。


「いやあ、やっとついたねえ京都駅。でもこれがらが本番だ。吉野は奈良県の真ん中あたりだからね」


「それにここまでは新幹線だったけどここからは近鉄電車に乗り込む事になるし。私近鉄は初めてよ」


「まあどうにかなるでしょ。ちゃんと行き方も教わったし。京都駅の一番南側に近鉄の乗り場があるから、まずはここへ行こうか」


「うん」


 二人は近鉄の特急に乗り込んだ。走り出した特急電車は川を超えて第一の停車駅である丹波橋に停車した。周辺に何かあるというわけでもないが京阪と連結している。そして電車は川を超え、東に住宅地西に田んぼが広がっている一帯に突入した。


「ゆうちゃん、ほら、これこれ。ここの田んぼが広がってるところが昔巨椋池だったんだ」


「巨椋池? 水が溜まっていたものを埋め立てたの?」


「埋め立てと言うか、干拓だよね。水を抜くイメージ。巨椋池って歴史的にも有名な景勝地で、特に小舟に乗って蓮の花を見るのが名物だったらしいけど色々あって戦前に干拓したんだ。鉄道が敷かれたのはそれより前で、ちょうど池の堤を利用して敷かれたみたいだね。この不自然に広がる空間だけどね、秋になると伸びた稲が黄金色に輝くんだよ。今度はその頃に見てみたいよね」


「そうね」


 電車はなおも南下を続ける。特急なので国立国会図書館関西館に近い新祝園駅も通過する。次の高の原駅はすでに奈良県だ。


「あら、もう奈良県? 意外とあっという間だったわね」


「じっと待つだけだと長くてもお話していればこんなもの。ほら、もう次の大和西大寺だよ。ここは大阪と奈良市を結ぶ近鉄奈良線とクロスしているんだ。ここで乗り換えて大阪へ行くとね、生駒山のトンネルを抜けて石切駅から少し進んだところの景色がねえ、凄いんだよ! 眼下には大阪がバーンと広がってるんだ! これは見ておくべきだね!! まあ今回は関係ないけどさ」


 奈良県をなおも電車は南下していく。途中、コンクリートで小さく仕切られた溜池がやたらとたくさんある場所を通り過ぎた。


「とみお君あれは何? 小さな池みたいなのがいっぱいあるけど」


「ああ、これが大和郡山市辺りだね。金魚の養殖が盛んだから、こういう小さな池で育ててるんだよ。この一帯をグーグルマップで見ると面白いよ。モザイクみたいに水色が群れててさ」


「金魚ねえ。車窓からじゃ見えないけど、寄って見ればさぞかし華やかでしょうね」


「だろうねえ」


 そうこうしている内に池はなくなっていった。やはり大和郡山市一帯特有の光景であったようだ。そして電車は橿原市の大和八木駅に到着した。


「橿原市って言えばあの大和三山もあるはず。東に耳成山が見えてないとおかしいんだけど……」


「ああ、でも背景に広がってる山より近くに何かあるような気もするし、それが耳成山じゃない?」


「ううん、確証ないなあ。一番高い畝傍山でも二百メートルないぐらいだからねえ、知らないと分からないもんだね」


「この場所になかったらそれこそ一山いくらの存在よね。天香久山とか白い衣を干してるのを持統天皇が見なかったら単なる丘だったんじゃないの?」


「またそんなクレオパトラの鼻が低かったら歴史が変わってたみたいな事を。千年以上も昔から多くの天皇や貴族に愛された場所なんだよ。クレオパトラも実際はルックスはそうでもなかった説とかあるし、どっちにせよ変わってはなかったでしょ。持統天皇どころか神武天皇がここで建国したという由緒ある土地なんだから」


「そんな歴史を感じさせない量産型郊外って感じの景色が何だか侘しいけどね」


 間もなく特急は終点の橿原神宮前駅に停車した。ここまで大体一時間。そしてここからは各駅停車でやはり一時間ほどかかる。まさしく道半ばだ。


「駅構内に結構色々なお店があるのね。コンビニにドラッグストア、パン屋さんも」


「リトルマーメイドかあ。でも今は時間ないから、寄るとしたら帰りかな」


「そうね」


 近鉄吉野線は一時間に二本ぐらいしか電車が来ておらず普段は単なるローカル線のようだが、さすがに今の時期は観光客が多い。座席は埋まっていたので二人は立ったままでいた。ここから増える事はあっても減る可能性は極めて低いだろう。目的地は同じなのだから。


「電車が進めば進むだけ猛烈な勢いで風景が自然で埋まっていくわね」


「確かに。今まではアスファルトとコンクリートにまみれていたけど田畑が増えて、家の群集度合いも減っていって」


「それと停車駅で時々待機するのがまた時間のロスになってるみたい」


「単線だからね。向こうから電車が来る場合は待たなきゃならない。まあ、いいじゃない。四分停車しますってなったら外に出てちょっとぶらぶらしたりとか。ずっと電車で固まってると体が鈍るよ」


「余裕ねえ」


「吉野って山なんだから。体力ないときつかろうね」


 吉野口駅とあったので次の駅で椅子から立ち上がった乗客がいたが、実際はまだ半分ぐらいと気付いてすぐ座り直していた。


 丘の斜面にKUZUと書かれている葛駅周辺や好評分譲中の割に建物の影も形も見当たらない一角などを通り過ぎ、大阿太駅を超えるとついにトンネルまで出てきた。今までトンネルはなかったのに。逆に言うと京都から奈良は高低差があんまりなくて移動も容易いのかなと思った。


 終点が近づくと線路の横を結構太い川が流れていた。これは吉野川。紀の川と言ったほうが分かりやすいか。吉野から和歌山に流れるあの川だ。そして終点の吉野駅はなかなか大きい構内だったがさすがに人の波は強烈で、二人はバラバラに引き裂かれた。それぞれ個別に改札を出てから改めて合流した。


「ふう、ようやく到着したわね。これが吉野かあ」


「本当に自然でいっぱいだね。山には杉の木かな、針葉樹林がいっぱい植えられてて格好良い」


「桜はあんまり見えなかったけど」


「桜情報によると下千本なんかすでに散ってるみたいだから仕方ないね。吉野の桜は下千本、中千本、上千本、そして奥千本と場所によってそういう四つの区別があるみたい。一番麓にあるのが下千本で奥千本は山頂とか。開花時期も違ってて、それで長く楽しめるんだって。ところでまずロープウェイあるけど、どうする?」


「ううん、かなり並んでるわね。歩きで」


「よし来た!」


 二人は行列の脇を通り抜けてあまり舗装されていない細い登り坂を歩いた。坂道より階段のほうが大きさバラバラだったりしてきついかもしれない。三十分程歩くとロープウェイの駅と合流した。


「ふう、着いた着いた。いやあ、賑わってるわねえ。とみお君スタミナは大丈夫?」


「平気。それにしても観光客多いねえ。それと食べ物屋さんとか民芸品のお店とかもいっぱいだ」


「そうね。かなり観光地としてきっちりしてるみたい。早速何か買おうかしら」


「降りる時でいいんじゃない? 荷物は軽いほうがいいでしょ。今は見るだけで」


「ああ、それもそうね。むっ、あれは何?」


「胸にボンボンの付いた服……、山伏だ!」


 毎年この時期には花供懺法会という行事が行われている。二人は少し歩いたところにある金峯山寺へと赴いた。門は修復中なので黒いネットで覆われている。「瓦が落ちてくる危険があるのでご注意ください」とかいう洒落にならない警告を横目に石段を上った。


 境内には黒山の人だかりが出来ていたのでそこに加わってみた。観光客の波をかき分けるとそこには山伏が草だか葉っぱで全体を覆われた箱のようなものを囲んでいた。


 そして鳴り響く法螺貝の音色。渡海雄も悠宇も法螺貝を生で聴くのは初めてだったので目を見合わせて笑った。法螺貝のシンフォニーの後は、先端に火がついた竹が持ちだされた。


「ああ、そうか。これは護摩行みたいなものね。新井が毎年やってるあれの仲間」


「じゃああれを燃やすのか。キャンプファイヤーみたいに」


「多分ね」


 太鼓が打ち鳴らされ、錫杖がシャンシャンシャンと鳴り響き、そしてお経か何か呪文のようなものが歌われる中、点火された。でも一気に炎上などはせず、白い煙がバクバクと立ち上がった。山伏は大きな扇でその煙を煽る。煙を四方八方へと広げようとしているみたいだ。あまりにも煙たかったので二人は涙目になりながら退散した。


「この後お餅がまかれるらしいけど、それを回収するガッツはないわ」


「じゃあどうしようか。そうだ、本堂、行かない? ちょうどご本尊の蔵王権現が四月から五月八日までご開帳されてるらしいから」


「へえ、いいわね。ちょっと高いけど」


「でもミニ木札と特製エコバッグも付いてくるみたいだし、まあ物は試しってもので」


 ということで脇にあるテントで子供料金六百円を二人分、計千二百円を払って本堂たる蔵王堂へと足を進めた。大人料金は千円。勧進中だからかな。


「なるほどね。土足厳禁だから靴を入れる袋がエコバッグになるんだね。そしてあれがご本尊の金剛蔵王権現か。大きいや」


「これはまた、凄まじい迫力ね。青い顔をした権現様が三人、じゃなくて三柱? いやあ、本当に大きくて真っ青な顔ね」


「それでいてちょっと目がかわいかったりするんだよね。金峯山寺。役行者って山伏の親玉の超人が開いた、まさしく修験道の聖地。そもそも修験道って山岳信仰に仏教とかが絡んで生まれたものらしくて、特に熊野からこの吉野辺りは彼らの修行場だったらしいんだ」


「みたいね。パンフレットによるとご本尊のご神木が山桜で、その満開を報告するのが今行われている花供懺法会だそうで」


「そもそも吉野の桜が有名になったのも役行者のお陰らしいし、吉野を形作った人物の一人なんだね」


 何だかんだで見てよかったと思える蔵王権現を堪能した二人はまた坂道を歩き始めた。下千本から中千本はまあ余裕。人や店も多いし、坂道もそんなに急ではない。今度は吉水神社なる場所へ行ってみた。左側に看板があったので脇道を下って上って、そこへと辿り着いた。


「この吉水神社には一目千本というビューポイントがあるみたい」


「おお、これはまさに一目瞭然。ああ、やっと吉野みたいな光景を拝めたわ! ずっと歩いてきただけの事はあって、とても綺麗」


「力強い深緑、爽やかな黄緑色、そして華やかな桜色が一つの調和となっていて、心が安らぐね。この吉水神社は南北朝時代に後醍醐天皇が住んでたって話だよ。吉野と言えば命の危機が迫った皇族なんかが身を隠す場所としても長らく使用されてきたからこういう由緒もあるんだよね」


「まあこんな山奥だもんね。今は電車でも車でも行けるようになってるけど、それがなかった時代は行くのも大変なら追いかけるのはもっと大変だったでしょうし」


「大海人皇子も都を脱出して吉野で力を蓄えてた時期あったよね。そこから三重県や岐阜県をうろつきながら戦力補強して大友皇子率いるいわゆる近江朝廷にアタックしたのが壬申の乱。この手の一転攻勢って大抵鎮圧されるものだけどここでは成功して、大海人皇子は天武天皇となったという」


「なかなかやるじゃない」


「だから天武天皇にとって吉野は大事な場所だったんだね。息子を引き連れて『皆仲良くしてね。後継者争いとかしないようにね』と誓いを交わした『吉野の盟約』なんて事もやったし。まあ天武天皇の死後間もなく息子の一人大津皇子が謀反のかどで死ぬ事となったんだけど」


「あらまあ大津皇子何やってんの」


「と言うかね、これは大津皇子は無実だったものをはめられたんだよ。ここで策謀を巡らせたのが天武天皇の皇后だった鸕野讚良皇女で、どうも直接の息子だった皇太子の草壁皇子はあんまり才能なかったみたいだから腹違いだけど優秀な大津皇子を速攻で排除しておいたというものだったみたい。でも草壁皇子も早世したから、じゃあ草壁皇子の子供の軽皇子を皇太子にして大きくなるまでは自分が天皇になろうという事で即位して持統天皇となったんだ」


「ううむ、かなり無茶してるわね」


「そもそも大海人皇子が吉野にいた時代からともに策を巡らせる仲だったらしくて政治能力は高かったんだろうね。律令国家を目指したり藤原京という都を造ったりとかなり精力的に動いてる。もちろん持統天皇にとっても吉野は大事な場所で、三十二回も訪れたんだって。それで軽皇子がいい年になったら実際に天皇を辞めて史上初の上皇となったり、結構やりたい放題だなあって印象。日本屈指、あるいは一番の女傑かも。未確認少年ゲドーのヒロインにも名前引用されてるし」


「それはともかく、次は上千本まで行きましょうか」


「そうだね」


 上千本へ向かおうとすると坂が急になってきたような気がする。ただ普通に人が住んでるような家が建っていたので、それはある種の勇気となった。「ここで暮らしている人は毎日この坂を利用しているんだ。だから僕も頑張れる」と。


 二人が訪れた時、ちょうど上千本の桜は満開だったので美しい景色を堪能した。山桜の花を近くで見るとソメイヨシノよりもどこか温かみのある白さを持った花びらと萼なんかの黄緑色が素朴な調和を見せていて心が安らぐ。


 この時点で足へのダメージはかなりのものだったが、もののついでに奥千本まで行こうと決めたのが運の尽き。ここは本当にきつかった。


 まず観光客向けのお店がなくなる。普通の民家もない。立ち並ぶのは杉の木ばかり。坂はますます急になる。それでいて桜の木があんまり多くなくて見どころは少ない。吉野水分神社とかもはや通った記憶がない。


 生意気なのは時々車が坂道を下りてくる事だ。いい加減疲れが溜まってきているのにいちいち避ける必要があり、これがまたダメージを蓄積させる。渡海雄も悠宇も露骨に口数が減ってきた。


「……?」


「……!」


 渡海雄がアイコンタクトで高城山展望台なる場所があるらしいので行くかと問いかけたところ悠宇は肯定したのでそのように決めたが、これがまたきつい階段を登る必要があったので時々立ち止まりながらの進行となった。


 しかしここの展望台はなかなか良かった。目の前には山桜が風に吹かれて揺れていた。そして目の前に広がる緑の山々。持ってきておいたペットボトルの紅茶が甘い。


「吉野って、大変ね」


「うん。でも、よくここまで辿り着いたよね」


「そうね。桜の花びらもハラハラとこぼれていくわ」


 二人はもう少し、金峯神社まで辿り着いたところで山を下った。下り坂もやっぱりきつい。油断すると背中を押されたように走らされるし。渡海雄は「これから精神的ワープを行う」などと言っておもむろにヘッドホンを耳に装着した。感情を音楽に任せて坂道に立ち向かっていく策だ。


 悠宇とヘッドホンを分け合いながら急な坂道を一歩一歩歩いて行った。行きでも大概邪魔だった車がさらに邪魔に感じる。わざと道の真ん中をとろとろ進んでやろうかという気持ちにさえなるけどさすがに自重した。鮎を売ってる小さな出店を見ると顔がとろけそうになった。


 帰りはくず餅を味わった。そして電車に乗り込む。立ち止まっていると膝ががくがくと震える。膝が笑うとはこの事だなと納得するほどに震えていた。その膝と股関節がとても痛む。吉野線ではグロッキー状態になっていたが、橿原神宮前駅で乗り換える時にはまた元気が戻った。でも肉体のダメージはどうにもならず、足を引きずりながら進んだ。


「ともかく、吉野は、終わってみると良かったよね」


「そうね。一番良かったのは金峯山寺だったかも。修験道って不思議なものだけど、それゆえの迫力があって」


「うん。それと桜で言うと一目千本で良かったね。まあ登るなら中千本までで良かったかもね。上千本までの坂道は結構きつかったし、ましてや奥千本。もう単なる登山だよ」


「奥千本はまあボーナスステージと言うか、体力に余裕あれば試しにチャレンジしてみようってスポットでしょ。まあ車使えばいいんでしょうけど」


「そうだね。しかしこの吉野も奈良県で言うと真ん中辺り。それより南になると一体何が広がっているのか。日本はまだまだ広いものだね」


 夕日が電車をオレンジ色に染めて、それは次第に青黒く塗り替えられた。終点で降りると街の灯りがきらめく夜の中を二人は手をつないで歩いた。肉体はズタボロだ。しかし今は傷さえも愛しいと思える二人であった。

今回のまとめ

・本当に疲れたけど道すがらも大いに楽しめた

・スケールの大きな金峯山寺と吉水神社の一目千本が特に良かった

・あんな坂道でもちゃんと人間が暮らしているのが凄い

・未だに体の節々が痛むもっと鍛えなければ

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