fh09 70年代の東洋工業サッカー部について
三月の声を聞いた途端急に春めいてきた。このぬるい空気こそまさしく春風。外に出るのも気持ちよくて渡海雄と悠宇も公園に出て遊んだりした。
「ふう、春よねえ。今日は天気良くないけど」
「本当にねえ。これ、黄砂だよね」
「ああ、そう。という訳で今回は東洋工業あたりから行きましょう。言うまでもなく現在のサンフレッチェの前身となったチームだけど、七十年代に関して言えば黄金時代が過ぎ去って落ちて行く過程をたどっているわ」
「東洋工業として最後の優勝が一九七〇年か。それで名鑑は一九七一年からだから、そうなるね」
「つまりこの七十一年のメンバーは黄金時代の残滓を色濃く残したメンバーって言い方も出来るでしょう。『優勝候補の筆頭にあげられている』と書かれているけど、まさかここからずっと優勝出来ずに終わるとは誰一人思っていなかったでしょうね。それまでからの変更点として、まず監督が下村幸男から大橋謙三にチェンジ。しかもこの大橋監督はユース世代における日本代表の監督と兼任で、ちょっと忙しかったみたいね。それまで最低二位だったものがこの年、いきなり六位と順位を大きく下げてしまったの」
「あらまあ」
「で、肝心の選手はと言うと、六十年代の黄金時代から主力は半分ぐらい入れ替わっているわ。で、七十五年にも残っていた小城、船本、二村、大野以外で七十一年当時にも現役だった主力はと言うと、まずは背番号8の桑原楽之。名前の読みはやすゆきで意外性のあるプレーが特徴のフォワード。小城とは誕生日が十二日しか違わず、しかも高校大学も同じという関係の選手で、メキシコ組の一人でもあるわ」
「この当時だと二十八から九ってところか。それにしては貫禄あるね。すでに管理職の雰囲気」
「桑原に限らずこの時期はほとんどの選手が七三とかきっちりとした髪型だから余計に貫禄出てるわね。それと背番号28の松本育夫。様々なドラマのある人で後に指導者としても活躍して二〇一三年まで現場に立ってたような大物だけど彼もまたメキシコ組の一人で、目を包み込むような眉毛など精悍な顔つきをしているわ」
「二〇一三年って、本当についこの間じゃない! 僕らも出会ってるし。でもあの時から年齢は」
「それ以上いけないわ。ともかく、このやたらと大きい背番号からも分かるようにコーチ兼任で選手としては実質引退扱いだったみたい。この頃はそれまで普通に試合出てたのにある年いきなり背番号が大きくなって事実上コーチ専任って選手が東洋に限らず多くいて、松本も前年は背番号11だったの」
「まだ三十歳いってないのに早いものだね」
「当時の東洋は二十八歳定年制ってあったみたい。彼らはサッカー選手である前にサラリーマンであって、二十代も後半になったんだからそろそろサッカーは若手に譲って本業覚えましょうって事なんでしょうね」
「それはそれでもったいなく思えるけど」
「プロじゃないから仕方ないわ。六十年代当時のレギュラーですでにいなくなっているのが総監督として有名な今西和男、JSLすらなかった五十年代から頑張ってきた小沢通宏、小柄な丹羽洋介、楽之の兄桑原弘之、後にフジタを経て日本代表監督にもなった石井義信、初代アシスト王桑田隆幸、大学を経ているとは言え東洋には意外と少ない山陽高校出身で鋭い目つきが印象的なウイング岡光龍三ってところね。まあ小沢なんかは年齢的に仕方ないけど家業を継ぐために退いた桑田とか惜しい話よ。でも意外と多いのよね、家業を継ぐため退団」
「今だとありえない理由だよね。主力中の主力がそれで引退って」
「時代の違いよね。ともかく、松本も七十一年を限りに一旦ユニフォームを脱いだの。しかし七十三年にまさかの現役復帰。『若手陣が伸び悩みが原因』らしく、いかにも苦しそうだけど前年は前期首位で折り返すなど健闘して三位で終えているわ。でもそこからまだ動けるであろう吉田浩、七十一年では背番号10を背負うセンターフォワードが退団していて、戦力厳しい中で入れ替えだけは頻繁に行って結局チーム力、特に選手層をすり減らしていったのかなって思うわ。結局松本もこの年限りで完全引退してるようだし」
「七十三年には桑原もいなくなってるね」
「その代わりに背番号8は期待のルーキー菊地比佐志。写真写りがちょっとワイルドで格好良い。でもやっぱり若手はなかなか伸びなかったみたいね。七十五年は古田篤良ら有力選手獲得に成功したけど順位はあわや入れ替え戦にまで低迷し大橋監督は退任。七十六年には松本育夫が監督就任も一年で退任。大橋に引き続き松本もユース代表監督との二足のわらじで、さすがに両立は厳しいので退任って事情みたい。ここで監督を引き継いだのが現役を終えたばかりの小城得達。七十七年の名鑑だと♯みたいな模様がいっぱい描かれた変なシャツを着ているけど、さすがに顔は若々しいわ」
「三十四歳か。今の基準だとまだまだやれるのにって年齢だけど、当時からすると十分やりきったってところなのかな」
「七十六年はやや出場試合数も減ってたみたいだし、ここらが潮時って気持ちもあったんでしょうね。選手的には小城を始めとして船本、二村、大野といったベテランはほぼ一掃。現役最年長の高田豊治は大卒で入団が七十一年だから優勝には間に合っていない世代で、ただ高卒の小滝強や小原秀男は五回目の優勝時頑張ってたようだけど。その代わりに古田や背番号10を受け継いだ安原真一らに加えて二年目の背番号9山出実や新人の背番号15渡辺由一らがいて、それに小城監督も優秀だったみたいでいきなりリーグ四位に食い込んで久々に存在感を発揮したわ」
「それでも四位とかそこらなのか」
「Bクラスに馴染んだチームの悲哀よね。しかし継続的な強化はならずこの監督一年目をピークに、ちょっと天皇杯決勝進出で気を吐いたりしてたけどまた中位下位に戻ったわ。今見るとこの頃の東洋って本当に知らない名前ばっかり。この傾向は七十九年にも続き、メンバーだけ見るとこの頃が一番きついのではって感じ」
「確かに今の視点で言うと馴染みのある名前はないね」
「黄金時代のメンバーは松本や今西、現在広島県サッカー協会の会長である小城などその後もサッカー界に関わってる人は多くて、成績的にはもっと低迷していた八十年代の選手達はJリーグ開幕に間に合ってたり指導者として今でも活躍する名前が出てきて逆に馴染みがあるんだけど、小林伸二とか松田浩とか織田秀和とかね」
「サンフレッチェで頑張ってる人もいれば広く活躍してる人達もいるんだね」
「それが当然って時代に間に合った人達だからね。移籍もほとんどなくアマチュアとして選手生命を終えるのが当然という風潮の中であっさり引退して社業に専念した選手が多かったんでしょうけど、七十年代の特に後半は本当にさっぱり。それで今名前調べるとマツダの偉い人になってたりしてるのよね」
「サッカーだけでなく会社員としてもしっかりやってきたんだね」
「立派な生き方よね。でもサッカー選手として印象が薄れたのもまたそうであってね。六十年代より成績も低いし。この頃のメンバーのやばさが一番出ているのは通算得点ベスト5ってあるけど、ここに出てる名前が全員引退選手なあたりよ。桑田や岡光なんて五年程度で稼いだ数字なのに、追い抜く選手が出てこないんだから。そんなチームは東洋だけ。でも入れ替え戦には一度も出てないのよね。よく粘ったと言うべきかも」
「確かに。ギリギリとなる八位はあるけど九位十位はなかなかない」
「まあその神通力も八十年代には失せて一九八三年に降格するんだけどね。原因は色々あれど、オイルショックをきっかけにした親会社の業績悪化で弱っていったのがきつかったみたい。東洋のみならず、実業団によるアマチュア体制の限界よね」
「永大はそれで潰れちゃったもんね」
「さすがにあそこまで乱脈経営じゃなかったから良かったものの、優秀な選手を採れなくなったら成績が落ちるのは仕方ないから。後は広島サッカーの地盤沈下もあるかと思うわ。七十一年だと二十五人中十七人、七十九年でも二十一人中十二人が広島の高校を出ているという構成だけに重要な部分よ。単に広島に本拠地を置くチームってだけではなく広島サッカーの集大成でもあるのがこの東洋。逆に言うと広島サッカーが弱体化すると東洋もそれに殉じるしかなかったの」
「そんなに弱ってたの? 東洋と言うより広島サッカー全体が」
「七十三年の時点でサッカーマガジンに『サッカー王国・広島の低迷ぶりがつづいている。御三家とうたわれた藤枝や浦和に一歩水をあけられた』なんて記事が掲載されてるから、結構年季の入った問題だったみたい。それでも選手個人で言うと代表クラスを定期的に輩出しているのよね。しかしそれが東洋に入らなくなった」
「選手が集まらないんじゃどうにもならないね。と言うか御三家は静岡と埼玉じゃなくて藤枝と浦和って限定されてるんだね」
「それはちょっと気になったけどそう書いてあるんだから仕方ないわ。清水が高校サッカーなんかで本格的に出てきたのは八十年代でそれまでは藤枝優勢だったみたい。高校サッカーの藤枝東とか有名だし、県と言うより市単位で言うのが当時は正確だったんでしょう。それと地味に永大産業がなくなったのもダメージよね。北九州の新日鉄も落ち目だったし、近場で競い合える強いところがなくなった」
「そうなると一九八三年はまさに来るべき時が来たってものだったんだろうね」
「代わりに出てきたのは大抵関東だったり、それと静岡県本拠地のチームも八十年代から上に出始めて、中心地がすっかり変わったみたい。そんな中でも東洋、マツダと名前を変えながらもよくやったものよ。広島県出身者が減少した代わりに九州あたりの高校を出た若手育成に注力して、外国人指導者を招聘するなどしてチームの根幹を作り直したんだから。二度降格したけど無事オリジナル10にも入れたし」
「しかもここ四年で三度優勝。ユースとか高校サッカーでもいい成績残したりしてて、広島サッカーの復興もなったし」
「後はスタジアムと行きたいところだけど、ううむ。サンフレッチェの久保会長が三月三日、市民球場跡地に建設したいって案を発表したけど、率直に言って無理でしょ。金の話にしても自前で建てたガンバという前例が出来たからって『じゃあ俺らにだって出来らあ!』と意地になって出した数字にしか見えず、個人寄付十億円想定とか非現実的な数字述べてる時点でねえ。それでいて宇品拒否の姿勢だけははっきりと示したんだから、よくもまあやったものよ」
「でも市や県は跡地に作るつもりはないんでしょ?」
「みたいね。そっちの話し合いでは宇品優勢で今年度、つまり三月末までには結論ってところを全部チャラにされた形だし。サンフレッチェにとっては必要と言うけど、例えば明らかに古かったガンバやJ1昇格不能な北九州と違って喫緊の課題でもないし、棚上げが濃厚でしょうね」
「泰山鳴動して鼠一匹か」
「覚悟は伝わったけど、それだけで勝てるものでもない。そういう機運でもないのに勝手に盛り上がって一方的な宣戦布告を仕掛ける姿は市長選で玉砕した小谷野前社長の二の舞にしか見えないわ。どんなに強がろうが結局自治体の協力なくして成立し得ないものだし、大体向こうだって絶対に建てないとか言ってるわけじゃないんだから、どうにかお互い歩み寄らなきゃ。地域密着が本当にお題目になっちゃう。それは歴史を鑑みてももったいないじゃない」
「本当にね。上手く解決すればいいよね」
「ああ、それと広告に関して。まず七十一年はやたらと若さや男っぽさを強調するファミリアクレストロータリークーペGS。七十三年は『Big Rotary わが地球。ルーチェあり』って事でルーチェ。公害対策車なんて言葉も出てきたわ。七十七年はロゴがm基調のものから今の奴に変更されてて、紹介されているのは新登場ラグジュアリー・サルーンコスモL。『誰よりも華麗であれ』って事で車の横にラグジュアリーな女が佇んでいるわ。七十九年は『国際車宣言、カペラ』との事だけど、やたらと文字が多くて雑誌記事風。それとスペック見た限りロータリーの五文字が消えていて、苦悩が窺えるわ。私カーマニアでもないしいまいち広告の真価が伝わってない部分あるけど、見る人が見たら『うおおおおお!!』ってなるのかしら」
このような事を話していると敵襲を告げるサイレンが響いたので二人は素早く着替えて敵が出現したポイントへと向かった。
「ふはははは、私はグラゲ軍攻撃部隊のイタドリハムシ女! この汚れた星をグラゲに染め尽くすのだ」
三月五日に啓蟄を迎えたのでこのようなものも出てくる。イタドリハムシはその名の通りイタドリを食べたりするテントウムシの偽物みたいな奴だ。黄砂に吹かれて白い空の真下、それまでに浴びた春の息吹で目覚めはじめた草原も心なしか寂しそうに揺れていた。
「そうはさせないぞグラゲ軍!」
「春だからってあんまりはしゃがれても困るんだけどな」
「出たなエメラルド・アイズ。今日がお前達の命日だ。雑兵ども、かかれ!」
ぞろぞろと湧き出てきた雑兵を二人は次々と倒して、残る敵はただ一人だけとなった。
「よし、大分片付いた。後はお前だけだイタドリハムシ女!」
「啓蟄はいいけど素直に故郷の星へ帰りなさい」
「ふん、何の戦果もなく帰れるものか。私が帰る時、お前達の首を共にするのだ!」
そう言うとイタドリハムシ女は懐から取り出したスイッチを押して巨大化した。やはり交渉決裂か。渡海雄と悠宇は覚悟を決めて合体した。
「メガロボット!!」
「メガロボット!!」
砂に塗れるのも気にせず対峙する巨体が二つ。ジリジリとした勝負、だが動き出したらそれは一瞬であった。
「もらった!」
「むうっ!」
悠宇の反射神経が勝ってイタドリハムシロボットの動きを止めた。そしてその瞬間を渡海雄は見逃さなかった。
「よし、ここだ! メルティングフィスト!!」
渡海雄はすかさず朱色のボタンを押した。心に燃える情熱のようにヒートした拳による一撃がイタドリハムシロボットの装甲を貫いた。
「ええい、何も出来ずに帰るしかないのか!? 無念だ」
悔しさを押し殺しながらも、イタドリハムシ女は機体が爆散する寸前に作動した脱出装置によって宇宙へと戻っていった。明日からはまた寒くなるらしいが、気にしない。それとこの期に及んでまた賭博者を出したアホ球団があるがそれも今は気にしない。
と思ったけどやっぱ気になってきたから追記。福田笠原松本の巨人賭博三馬鹿に高木京介が加わった。さらに三人いるという話もある。恥知らずな愚か者。もはや一刻の猶予もない。巨人のイメージがダウンするのはむしろ正常と言えるので特に問題はない。本当に膿を出し切らねば。
今回のまとめ
・時代が下るに連れて知らない人ばかりになっていく
・何だかんだで復権した広島は本当によくやったものだ
・スタジアムは跡地にこだわりすぎるのは違うかもと思う
・自動車の知識はほとんどないけどちょっとだけ覚えた