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七夕

各話タイトル冒頭に付いている記号について。出てきた順で言うとrmはレッドメインつまりカープなど野球、amはアニメ漫画、swはその他の話題、skは選挙結果、vmはヴァイオレットメインつまりサンフレッチェなどサッカー、caはチャゲ&飛鳥、hgは光GENJI、ngは年中行事として新年の展望とドラフト、fhは古い本、oiはスポーツを中心とする大型イベント、soはその他の音楽について主に語っている事を示しています。また記号が何も付いていない場合は語りなしのドラマパート、「○○記念」と付いている場合は逆に話題のみでバトルなしとなります。

 母に言いつけられた作業をこなすため少年は一人、上腕と大腿の半分を日光に晒す夏仕様の軽装でバス停へと向かった。


 陽炎渦巻くアスファルトの中を南へ三分歩けば錆び付いた標識と屋根のないベンチが姿を現すはずだ。視界を遮るまでに伸びた黒髪へと降り注いだ夏の陽光が熱になっているのも気にせず、少年は持ち前の華奢な両足を精一杯に伸ばして目的地までまっすぐに進んだ。


 そろそろ見えてくるはずと足を急がせて赤レンガと柊に囲まれた一角を抜けた少年の瞳に飛び込んできたのは、標識の前に立つノースリーブの白いワンピースと日に焼けた肩であった。背格好から判断して自分と同い年だろうと判断した少年は、柔らかな曲線を描く背中越しに「こんにちは」と声をかけた。


 その声に振り向いた少女の顔は太陽に似た鮮やかさと熱気を湛えていた。少女は少年の顔を見ると何かに気付いたように目を二三回閉じては開いたが、ここでようやく本来すべき反応を取り戻したようで「こんにちは」と返した。少女はどこか緊張している様子だったが、少年は彼女の顔に見覚えはなかった。


「バスは後十分は来ないわ」


 数秒の沈黙を経て、少女は唐突に口を開いた。ぶっきらぼうな言い方の中に確かな優しさを見た少年は心から「ありがとう。この辺の地理はよく分からないから、助かったよ」と頭を下げた。


「耳も隠れてるし、髪切ったほうがいいんじゃないの」


 少女は木陰にそよぐ風よりも涼し気な目線を少年に向けつつこう言い放った。初めて会ったのに何を言い出すのかと少し困惑する少年を尻目になおも少女は言葉を続けた。


「あなた、山川渡海雄君でしょう。この前転校してきた三年生の」


「えっ、僕を知ってるの?」


「同じ学校だもの。そりゃあクラスは違うからあなたは私を知らなくても仕方ないけど、私からすると貴重な転校生だもの。当然名前ぐらいは覚えているものよ」


 言われてみればそうだと渡海雄は納得した。それまで田舎暮らしだった渡海雄、覚えるべき同級生だけでも八倍に増加した現状にずっと困惑しっぱなしで、まだクラスメイト全員の名前すら覚えきれていなかった。


「ところで、君の名前は何って言うの? 同じ学校なら友達になってほしいな」


「私は明星悠宇。三年一組よ。とみお君は三組でしょう」


「うん。明星悠宇ちゃんか、素敵な名前だね。いや、名前だけじゃなくてそのワンピース姿もとても素敵だと思うな。これからはよろしくね、ゆうちゃん!」


 渡海雄は邪気の一切混じっていない純粋な笑顔を向けた。それまではつっけんどんな態度だった悠宇も思わず差し出してきた右手に応えて握手してしまうほどに心を溶かす微笑であった。


「でもこの服は好きじゃないわ。女の子みたいで、動きにくいし。そう言えばさ、とみお君は今からどこへ行くの?」


「うん、髪を切りに行くの。ゆうちゃんの言う通りやっぱり邪魔だなって思ってたから。近所にある髪切り屋さんは高いからバス代込みでもこっちのほうが安いし質がいいって事だからそこに行ってるの」


「ふうん、それなら良かったわ。梅雨も明けて夏も夏って頃合なのにそんな髪だと鬱陶しいし熱いし大変でしょ」


 かく言う悠宇は真っ直ぐ下ろしても渡海雄以下であろう長さの後ろ髪を左横にまとめてターコイズブルーのビーズがきらめくゴムで結んでいた。両耳やうなじは完全に露出しており腕や肩と同様の健康的な色合いだ。


 前髪も軽く左右に払ってはいるものの、これも普通に真っ直ぐ伸ばしたところでギリギリ眉毛に触れるか触れないかという長さ。一方でもみ上げの部分は三つ編みにして垂らしており、この部分で彼女が彼でなく彼女であるという証明を声高に主張しているようだった。


 その後も何とか色々な会話を試みようとしたがなかなか続かなかった。お互いにたった今出会ったばかりという頃合。どこまで本心を曝け出していいのか計りかねている部分があったからだ。待ち人がいつの間にかもう一人増えていた事に気付いたのは、実際その人がバス停に姿を見せてらしばらくたっての事だった。


 見たところ女だろうか。鮮やかな赤い髪の毛を肩まで伸ばしている。その瞳はサングラスに隠されているがどこか他人を寄せ付けまいとする威圧感がある。


 大きなアタッシェケースのようなものを手にしており身長はそれなりに高く、しかも夏だというのに薄手ではあるものの長袖の黒いコートを着込んでおり見ているだけで暑くなりそうだった。


 だから二人は出来るだけ目をそらしていた。しかし過ぎる十分はあっという間でも待つ十分は長く感じるもので、汗も多く流れた。


「あっ、来たわ」


 西を向いた悠宇が人差し指で示した先には赤信号で一時停止しているバスがあった。悠宇と渡海雄、それにもう一人が列を成して到来を待ちわびる。数秒の後、バスは列を待ち構えていたように停車した。


 中には運転手しかおらず、三人は整理券を取ってからそれぞれバラバラの席に座ったがいずれも後方だった。


「発車します。ご注意ください」


 抑揚のない機械的な運転手の声が響くと同時に扉は閉じられた。この際に行き先が変更された事は、今のところそれを指示した一人を除いて誰も知らなかった。


 バスは静かにアスファルトを進んでいった。五分、十分と時間ばかりが通り過ぎていったがあまりにも静か過ぎてどうにも不自然だと悠宇は気付いた。しかもあろう事か、悠宇が降りるはずだった停留所を何もなかったかのように通り過ぎるに至って違和感は確信に変わった。


「あの、運転手さん。なんで女学院前を通り過ぎたんですか? この時間だと停車するはずですよね?」


 走行中で揺れる中でも悠宇は立ち上がって声を上げた。思えばそれまでも最低四つは停留所があったはずなのにすべて無視している。何かがおかしいと、バスの中にいる人間の中で一番周辺の地理に詳しい悠宇はかねがね感じていたのだ。


 しかし運転手はなおも無言を貫いた。なんて不誠実な運転手だと悠宇の平らな胸の中にイライラが募っていく。その頃、そんな事情に詳しくない渡海雄はのんびりと窓の景色を眺めて楽しんでいた。


「ちょっと、いい加減にしてくださいよ。もう、じゃあ次の停留所で降りますから止まってくださいね絶対」


「ああっ、ゆうちゃん! あれを見て! ほら、向こうのビルの窓ガラス!」


 渡海雄の絶叫に「どうしたの?」と悠宇が振り向いた視線の先にはビルの窓ガラスに反射してこのバスの行き先が映っていた。そこには本来の「八千代高原行き」ではなく「地獄行き」と書かれていたのだ。


「ば、馬鹿にして! 何を考えているんですか運転手さん!」


「お客さま、表示に間違いはありません。あなたがた三人には今から地獄へ行ってもらいます」


「まさか、しまった! 計られたか!」


 ここで新たに声を荒げたのは黒いコートを羽織った女であった。「ふはは、今更気付いても遅いわ逆臣ネイ! 死ねいっ!」と運転手が叫んだ瞬間、それまで冷気を発していた車内のクーラーから紫色に濁った煙が吐き出された。


「まずい! お坊ちゃん、お嬢ちゃん! この煙は神経性の毒ガスで吸い続けると普通の人間だと一分持たず死に至る。そうなりたくなければこれを被れ!」


「えっ、何!?」


「早くしろ!」


「は、はい!!」


 赤い髪の女はケースから取り出した仮面だかヘルメットのようなものを渡海雄と悠宇に向かって投げつけた。色は銀色で、耳の部分に鋭い突起のようなものがついており、目にあたる部分はエメラルド色に輝いていた。


 こんなよく分からない物体を渡された渡海雄と悠宇はどうしたらいいのかと狼狽したが、さすがに死にたくないのでよく分からないながらも素直にそれを被った。


「な、何これは!?」


「うああ、ぜ、全身が締め付けられる!!」


 女に投げつけられた仮面を頭から被った瞬間、丸くて暖かい繭のようなものに囲まれたかと思うと、その繭がいきなり全身にまとわりついて締め付けられる感触に襲われた。しかしそれを感じたのはほんの一瞬の話、すぐにその感覚は失せて楽になった。


 いや、楽になったどころかそれまで身につけていた衣服の感触さえも消え去って、まるで生まれたままの姿でいるかのような軽やかささえ覚えていた。


 一体どういう事なのかと自分の体を見渡した渡海雄と悠宇は自分たちが今までとはまったく異なる、新たな未知の衣服をその身に纏っている事に気付いた。


 まずはベースとして首から手足の指先まで銀色のボディスーツのような華奢な肉体にぴったり沿った薄い素材に覆われており、その上に上半身は金色を基調としてボタンと襟が付いたノースリーブの服を着ていた。


 腕には肘まで覆う赤い手袋が装着されている。腰の青いベルトを経てスカートだか大きすぎるシャツを着た時に出来る丈の余りだかが黄色と灰色の半ズボンをどうにか隠す程度の長さに垂れ下がり、靴は膝まで隠れる赤いブーツであった。


「これはどういう事なんですか、ちょっとあなた!」


「窓を突き破って脱出するんだ! 私も脱出するからなるべく大きな穴を開けてくれよ!」


 小さなカプセルを大量に飲み込みながら女が出した指示はまったく無謀に思えた。バスの窓ガラスは分厚いものだとは渡海雄も悠宇も先刻承知だからだ。しかしとりあえずは言われたようにしようと、渡海雄はドアをノックするような手つきで窓ガラスを軽く叩いたらいとも簡単に風穴が開いた。


「ええっ、何これは!? あんな軽く触れた程度だって言うのに、一体どこにこんな力が……」


「お坊ちゃんその調子だ! さあ、お嬢ちゃんも!」


「は、はい! じゃあ行くわよ! はあっ!!」


 悠宇は最初から本気の右ストレートを窓ガラスに打ち込んだ。バーンという大音量とともにガラスの破片は砕け散って風景の彼方へと消えていった。


「うおう、見事にまあ木っ端微塵」


 本気で殴っておきながらそのあまりに強大なパワーに目を丸くする悠宇であった。その後も二人はまるで理科の実験で使うカバーグラスを砕くかのようにパリパリと窓ガラスを割って大人でも出入りできるような大穴を作ると、三人は毒ガスのこもる車内から飛び降りた。


 スタローンやシュワちゃんレベルの豪快なアクションをまるで階段を一段飛ばして降りる程度の感覚でこなせてしまった渡海雄と悠宇は「自分たちの身体感覚が異常事態に陥っている」と自覚せざるを得なかった。


「まったくどうかしてるよ。自分でやった事なのに信じられないや」


「無茶苦茶ね、本当に何もかも無茶苦茶よ。まるでハリウッドだわ。自分が今さっき当然のようにやってのけた事は普通人間には出来ない事なんだから……」


「よくやった二人とも、くうっ……!」


「ああっ、だ、大丈夫ですか!?」


「こんな事もあろうかと解毒剤を持って来たのは正解だったな。私は大丈夫だ。多少毒を吸い込んでしまっただけで、すぐに治る。それより、さっきのバスがこっちに向かってくるぞ」


 苦しんでいてもなお冷静な女の言葉通り、運転手だけを車内に残したバスが道路をUターンして全速力で三人のいるほうへと突っ込んできた。


「ど、どうするの!?」


「今の君なら何でも出来る。受け止めるなりかわすなり、好きにすればいい」


「そ、そんな事言われたって、ああっ!!」


 時速百キロをゆうに越えたバスの突進に焦って頭が真っ白になった渡海雄は何をする間もなく弾き飛ばされた。しかしバスは勢いもそのままに「次はお前だ」とばかりに悠宇のいるほうへと直進していく。


「今のは中途半端な指示を出した私が悪かった。お嬢ちゃん、バスを受け止めるんだ!」


「はい!」


 悠宇だって本当は逃げ出したいぐらいに怖かった。自分を標的に向かってくるバスを目の当たりにして足がすくんで目の焦点はぼやけかけた。しかし自分がやらなければ誰がやるのかと萎えてしまいそうな勇気を振り絞り、まさに今接触せんとするバスに向かって両手を伸ばした。


「ええい!!」


 両足に力を込めて大地を踏みしめ、両手に力を込めて暴走する悪意を封じ込めた。ワイヤーのように細い肉体によって、巨大なバスは受け止められたのだ。運転手が焦ってアクセルを全開に踏んだところで前進する距離は蟻の一歩にも満たない。


「こんなものっ!!」


 悠宇は突き出した両腕を、ハンドルを右に回す要領でひねった。するとバスはグルグルと二度横転してから完全に止まった。バスまで投げ飛ばすとはもはや常識外れの怪力。「これはかなわん」と運転手はギアをバックに入れて逃げ去った。とりあえず命の危機は去ったようだ。


「よくやったお嬢ちゃん、ありがとう。それとお坊ちゃんも、こっちへ来なさい」


「はーい!」


 先ほどバスと正面衝突して宙を舞いアスファルトに叩き付けられた渡海雄だが怪我はまったくなく、ピンピンしたまま軽やかに女のいるほうへと走った。


「君たちも聞きたい事は色々あるだろうし私も言いたい事は色々あるが、まずは本当にすまなかった。本来なら君たちを巻き込むつもりはなかったのだが、こうなってしまってはもはや仕方あるまい。そこでだ、こうなってしまったついでとして八千代高原にある南郷宇宙研究所に私を連れて行ってはくれないか。そこで全てを話したい」


「分かりました! ところで、それってここからどのくらいかかります?」


「普通なら歩いて一時間以上かかるが、今の君たちならそれほど苦痛を感じないままに行けるだろう」


「それはこの不思議な仮面と服の力ですか?」


「そうだ。その秘密も全ては研究所で話すから、さあ行ってくれ」


「はい! 肩を掴んでてくださいね。ゆうちゃんは左で僕は右」


「分かったわ。さあ、どうぞ」


「まったく、何もかもがかたじけないな」


 毒ガスがまだ脳内を犯しているようで、声は息絶え絶えで足元もふらついていた女を二人は肩に抱えながら高原まで歩いた。

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