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忘却と休息

「私を食べたらいいんですよ」

 何の役にも立たない孤児の存在が聖女様が目覚めるための生け贄になれば上等な結果だろう。

「そんなことはできるはずはないだろう」

 男は愛おしそうに女の形をなぞる。彼女の輪郭をはっきりとさせ、その存在を堪能するために彼女に触る。

「私も食べてもらった方が幸せなのです」

 私は男の顔をすがりつくような瞳で見る。

 もう後がないのだ。聖女様に眠りから覚めてもらうために、彼のような人々の救いになる聖女様とは正反対の性質を持つ者に頼るしかない自分の力の無さが歯がゆい。無意識のうちに噛んだ唇が切れ、口の中に血の味が広がる。男は悪魔だ。聖女様が眠りについてから、なぜか私の周りをうろつくようになった。なかば無意識に血の盟約を結んでしまったのは魔術師としての性か。そのときから、彼は執拗に私の周りに存在しようとし始めた。血の盟約は悪魔との仮契約。死んだあとの肉体を差し出しますよというだけだ。私の肉体がどうなぶられようとも 、そこに魂が宿らなければ、私には少しの不利益もない。普通の人々は、死後に自分の肉体を操られて、最愛のものたちを傷つけらルのを恐れる。だが、私には最愛はただ一人。聖女様だけだ。聖女様がこんな悪魔に騙されるはずはない。だから、私は力を入れるために、躊躇わずに契約を行った。

「俺のそばにいる方が幸せじゃないか」

 男は私の唇にできた新たな傷に気付き、そこに口付ける。

「そんなことはありえません。私を食べる気がなければ、魔界に帰っていただけないでしょうか」

 男の口づけを振り払いなおも抗議の声を上げる。

「血の盟約を結んだのにか」

 男は愚かなことを言い続ける女に対して、呆れたように言う。

「あなたが必要とするのは、私の肉体ですか、魂ですか。血の盟約など仮の契約でしょう。約束は守るためにするのではありません。破るためにするのです」

 事実、私の周りの大人たちがした約束はことごとく破られてきた。あなたをおいていかない、絶対に守ると言った両親はあっけなく私を残し死んだ。孤児院の先生たちは君たちにより良い未来を約束しようと言って、微々たるお金のために私たちを劣悪な環境へと次々に叩き落としていった。だから、彼の狙いが私の肉体だけではないのはお見通しだ。血の盟約は悪魔との肉体移譲の契約。逆を言えば、悪魔の好物である人の魂は手に入らないのだ。だから、契約を破るのが悪魔の常套句である。

「おかしなことを言う。それでは、君は俺との契約が破棄されることを望んでいるようだ」

 悪戯めいた目で男は女に問う。

「えぇ、そうです。役に立たない使い魔など必要ありません。私の望みをかなえてくれないなら、帰ってください」

 語気を強めて拒絶の言葉をっきぱりと言う。

 さして望んでしたわけの契約でもない。もとからなかったものが、なくなっても何も問題はない。

 しかし、彼が離れていくかもしれないと思うと、息がしずらくなる。なぜか胸が締め付けられる。きっと聖女様がお眠りになられて、私は私を受け入れてくれる存在がいないことに耐えられない臆病者だということなのだろう。一人がとても怖い。この根源的な恐怖は私を焦らす。

「だが、君の願いはつまらない。対価は大きいが、面白くなければ、俺の食指は動かなくてね。俺は君の肉体も魂も欲しくてたまらない。しかし、それが易々と手に入るのも面白くない」

 退屈そうに男は女の髪の一筋を指に絡ませて遊ぶ。

「いい加減にしてください。聖女様がお眠りになられて1か月がもうすぐ経ってしまいます。あの方の身にこれ以上の負担がかかってしまうことは許されないのです」

 不可解な感情をもてあそぶよりも、一歩前進しなければならない。聖女様が目を覚まさないなどあってはならないのだ。一刻も早くあの大らかであるが優しい聖女さまを目覚めさせなければならない。でないと、私が正気のままでいられない。

「いいいだろう。魔女の呪いを解いてやろう。ただし、手助けだけだ。一緒に魔女に会いに行ってやるから、自分で解きな」

 男は私の長い髪に三つ編みをいくつか出現させている。

「魔女の居場所が分かりません。悪魔なら呪いをすぐに解けるでしょう」

回りくどい悪魔に憤然とする。

「解こうと思ったら、解けるが、消費する魔力の大きさを考えると、解かないという選択になる。それとも、聖女を堕としていいなら、すぐにでも解いてやれるが」

悪魔は嬉々として馬鹿げた提案をする。

「ふざけないでください。聖女様を堕とすなど、あなたには不可能です」

「それがな。意外に人を堕落させることなど簡単なんだよ。俺を呼び出したことで、聖女に連なるお前も半分堕ちてしまっている」

「私はもとから堕ちかけの者です。聖女様と一緒にしないでください」

魔術を身に付けた私は世間からみれば悪魔と変わりない。処刑されてもおかしくない存在だった。聖女様が憐れんでくれなければ、私は生きる喜びも知らずに死んでいただろう。

「まあ、いいさ。お前が完全に堕ちてくれるなら聖女を眠りから覚ましても」

彼の言葉にうなずくこと頷くことはできない。完全に堕ちてしまえば聖女様のお顔を二度とみることはできないのだ。魂を受け渡してしまえば悪魔のの奴隷だ。聖女様がお眠りになられているなかで、近しい私がそんな不穏分子になるわけにいかない。聖女様が完全に覚醒されたあとならば問題はないのだが、こちらが完全に下手であるなかで、そんな有利な条件で契約してもらえるとは思ってもない。

「ならば、魔女のところに案内してください。話をつけましょう」

「急くな。魔女は引きこもりのくせに、行動的だからな。見つけても追いつくことは難しい。魔女の家で待っておこう」

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