■14 大樹の駅ビル■
第14番目の駅、大樹の駅を開発することになった。
その総責任者は、正平の近衛にしてエルフの少女ニエル。
第15番目の駅近くに町を持つ甲虫人族の活動限界が丁度この駅より僅かに大河よりの場所までだった。
彼らを猫獣人達のように第6番目の駅のエリアである第二草原に案内しようとしたら、
大河を渡っている途中で、<アクセス>MP1の有効範囲外になってしまった。
それまで賢明だった彼らはいろいろ無残なことになる。
そのことはもちろん考慮していた。
連れてきたのは<アクセス>MP1の魔法がもっとも不得意な甲虫人を集めたメンバーである。
つまり、自らの脳をもっとも使っていると言えるメンバーだった。
だから、<アクセス>MP1領域外に出てもひょっとしたら多少はなんとかなるかと思ったのだ。
……何とかならなかった。
一応これが上手くいけば、他の例に倣って議員と近衛を選出する予定だったのだ。
議員候補として選ばれたのは、壮齢の男性甲虫人。
普段から自らの脳を使わずに<アクセス>MP1に頼りきりであることに危機感を持っており、できる限り自分の脳を使うようにしているという人物である。
一方、近衛候補として選ばれたのは、緋色から珊瑚の色までのわずかなグラデーションが鮮やかな薄い外骨格を纏った女性甲虫人。
彼女は体内の汚染領域が広すぎて吹き飛ばし、再生治療のサイクルを計5回も行った人物である。
近衛候補に選ばれた甲虫人族の女性は、本当なら正平が訪れた次の日あるいはその日にでも死んでいた可能性があったほどひどい状況だった。
甲虫人に言わせると大抵自害する程だという。
そんな状況でなぜ生かされていたのかというと、その稀に見る美しさの外骨格が惜しかったからだそうだ。
なんでも、魔力がしみついた部位は死後も腐敗し風化することはなく、
まるでホルマリンにつけたかのように状態が保たれるという。
外骨格は鋼のように頑丈で個体によっては宝石の原石の様に美しい。
別に魔力が染みついていなくても甲虫人達は死後その部位を有効活用しているが、
この女性の外骨格は特別高品質だったので、本人の意思とは無関係に無理に生かされていたのである。
一秒でも長く魔力に浸食されている時間が長いほど、取れる外骨格は良質になるから……。
ここら辺は、甲虫人族がこの汚染された魔力を積極的に活用していた稀な事柄だが、汚染を浄化する目途が立った今、無くなっても惜しいとは思わない文化である。
そしてこの甲虫人族の女性、名をコーラルというが、自殺しないように拘束されていた。
又、彼女のような状態に陥った者達は、<アクセス>MP1が封印される。
あまりの苦痛が生み出す死への憧れのような記憶がパブリック領域に追記されると当然良からぬ影響がある。
もっとも封印されたお蔭で自らの脳が他の甲虫人族よりも幾分発達したのだが。
コーラルはそういった状況から救い出されたのだ。
長い苦痛から解放したのは、外骨格を纏わない見慣れない種族。
男性なのに自分より少し背が低く、すごく弱そう。
しかし、そんなことは関係ない。
その恐ろしい程の威力を持った冷気の魔法と、
信じられない治癒力を発揮する回復の魔法。
そして極めつけが穢れた魔力の浄化方法を運んできた。
この世界を作った創造神らしいが、それは今一つピンとこなかった。
でも彼は複数の種族を従えその数、数万だという。
大きな群れのリーダーだということが分かった。
コーラルは正平に強く興味を持ち、治療が済み拘束が解かれると常に正平に纏わりついた。
<アクセス>MP1が封印されたために知能がその種族の本来のレベルにまで落ちている。
封印は掛けなおさなければ自然に解除されるもので、だが逆に時間経過以外に解除する方法が無い。
その為、行動が猫獣人の王女たちよりもさらに幼いのだが、正平は好きにさせていた。
そしていつの間にか近衛候補になっていたのである。
議員候補の男性に近衛候補のコーラルと、その他甲虫人族から選別された何人か列車に乗せて連れてきた。
大樹の駅を超えて少しまでコーラル以外は列車の構造や動力などを自分たちで一から作るならどういった方法を取るべきか、
商業地で自分たちがかかわることでどのような利点あるいは問題点が浮かぶかなど
知的な会話が弾んでいた。
それに比べるとコーラルの幼さはなんだか痛々しい気もする。
が、大樹の駅を超えて少しすると彼らは辛うじてしゃべることは出来るが、
腕が動かなかったり、立てなかったり言葉をほとんど忘れていたりとかなりひどい状況になってしまった。
<アクセス>MP1が届かなくなる範囲にくると、人間的な活動は愚か生物として生存できるかも怪しい状況である。
予想以上に酷かったので、すぐ戻った。
唯一何も変わらなかったのはコーラルだけである。
彼らも<アクセス>MP1を封印ししばらくすればコーラルぐらいになるのだろうが、
とても強制できるものではない。
そして、この時にコーラルは近衛候補から近衛に昇格したのだ。
例によって自分たちの種族からも近衛を付けたい甲虫人族は幾人かの候補を示した。
しかし、正平につくにはどこにでも移動しなければならず、それはつまり
<アクセス>MP1無しでも最低限の活動が出来なければならないことになる。
そこで、コーラル以外でも<アクセス>MP1無しでもなんとかやれそうな人選を行って
連れて行ったのだが、全滅してしまったのだった。
甲虫人族と関わることには一つ問題点がある。それは、第二の脳たる<アクセス>MP1の魔法石。
ゴーレムのヒナそっくり、というか恐らくはヒナがモデルの女神像の後ろに控え、
空中で固定され動かすことはできない巨大な物体。
これは絶対に甲虫人族以外に使わせることは出来ず、またこの町に甲虫人以外を入れることは絶対にやめて欲しいという。
当然正平は特別であり、近衛達はわりとどさくさに紛れて<アクセス>MP1を修得したのである。
縄張りを荒らされたくない度合いは、エルフやドワーフ以上で、
<アクセス>MP1の重要性を考えれば当然といえば当然である。
なので、樹液結晶前と名付けたこの国の最寄り駅は基本的に彼らだけが乗り降り出来、
人間達とは甲虫人族の活動範囲の限界手前である大樹の駅での取引が望ましい。
と言うよりも今はそこしかなさそうである。
そこで、大樹の駅の開発が必要になってきたわけなのだが、
正平は<アクセス>MP1で深層の記憶をいろいろ読み取っていたときに、
気になる情報を見つけてしまい、それを探しにしばらく列車を離れるつもりでいた。
なんでも、イカが墨を吐くように特殊効果を起こして逃げる魔法生物を記憶から読み取ってピンときたのだ。あるいは<アクセス>MP1の魔法石の原料である琥珀が見つかればなんだかすごい魔法が出来そうとも。しかしそのどちらも正平が直接探しに行きたいと言い、戻るまで結構時間がかかりそうだと言った。
結果、誰かが代わりに大樹の駅の開発の責任者となり、
正平の代わりに帝国民と甲虫人族の架け橋とならなければならないのだが、
すでにアクセスを修得し言葉も話せる近衛が最も適任と言えた。
その中でも、この大樹の駅が好きすぎて正平を1日中連れまわしたエルフのニエルが最も適任だろうと選ばれたのだ。
ニエルはこのような大役を任されて光栄に思うとともに嬉しいはずなのだが、
暫く正平達と離れるのがとてもさびいしいような何とも複雑な気持ちになった。
しかし、それでも確かに自分が最も適任だと思ったのでニエルは引き受けた。
この時、甲虫人族と他の帝国民から合計5人の部下と正平による出来立てほやほやの
魔貨を10枚も受け取った。
これで、大樹の駅を整えてほしいということである。
ニエルは絶対に無駄遣いしないと心に誓い大樹の駅を発展させようと心に誓った。
***
ニエルはいろいろ甘かった、反省せざるを得ないと思った。
この深い森はニエルが住んでいた森なんかよりもよほど深く、
そしてなによりも野獣がやたら多くそしてやたら強い。
さらには、ニエル自身初めてみた生物。
凶悪で魔法のようなものを使ってくる恐ろしい生物、魔獣がいた。
魔獣も野獣も大して違いはないのだが、一定量以上のMPを持っており、
何かしらそれを消費して効果を発揮すれば魔獣に分類された。
以前正平が、川を渡ると敵が強くなるのか?とその時はよく意味の分からないことを言っていたが、きっとこのことだろうとニエルは思った。
この近辺を開拓するのはまだ、無理がある。
そう思わずにはいられなかった。
こうなってやっと思い出したのは、何気に凄い正平が唯そこに居るという事。
付近に害意を持った野獣達を寄せ付けないという効果。
線路や列車も常時正平の魔力を纏っている為か安全だった。
しかし、その安全はそこまでなのだ。
一歩、鬱蒼と茂る森へ侵入すれば忽ちその加護の有効範囲外になってしまう。
この森で安全に取引をするためには、ひょっとすれば相当な労力と時間を費やして整備しなければならないかもしれない。
だが唯の取引とこの付近の探索の拠点にするには十分なモノが既に此処にある。
いや、それどころかひょっとすると第二草原に比肩するレベルのポテンシャルを備えているモノ。
この大樹の駅そのものだ。
一度目はカモフラージュしすぎて魅力的ではあるが、
他の駅と変わらない大きさだと思っていた。
しかし、二度目に訪れたときその異常な大きさに気づいたのだ。
正平は消費した魔力はその奇抜なデザインの為だと思っていた。
今回いつもの駅とは比べ物にならないぐらいの魔力を消費していた。
だが、実際に消費した魔力の変換先は単純に規模だった。
さらに、いつもなら0から全てを顕現させていたのだが、
今回もともとある超巨大な大樹を利用することで、
消費した魔力に対して利用できるスペースは信じられないくらいに増えていた。
そして、実はこういった温かみのあるデザインの方が魔法と相性が良く、今回作り出された駅は魔力に依る費用対効果がかなり高いのである。
そんなわけで、あちこちに広がる通路と小部屋がそれこそ数えきれないぐらい備わっており、途方もなく巨大な駅になっていたのだ。
それはさながら迷宮のようでもある。
そして、これを利用しない手はないのである。
駅の周りの土地がダメなら駅に商業スペースを作ればいいじゃない。
ニエルはこれ以上ないくらいの名案だと思った。
しかし、三度目の探索で今度こそ甘かったと反省した。
なんと、今度は駅の中にまで野獣や魔獣達が住み着いていたのだ。
ドアによって区切られた部分までの空間は、問題ない。
だが、その先は空中とは言え外部と出入りできる箇所が多くそこから侵入し住み着いたものと思われる。
大樹とうまく溶け込んでいるその建物は正平の魔力による威圧もうまく紛れてしまっているようだ。
正平が来れば何もしないでもやつらは去っていくだろうが、
正平達は何かを探し求め森の奥へと消えて行ってしまった。
そしていつ帰ってくるのかわからない。
だが、帰ってきたときに全く状況が進んでいなければニエルが無能のように思われてしまうかもしれない。
実際そうは思わないだろうがそこはプライドの問題である。
幸い一定間隔で頑丈なドアが設置されており、ある程度の戦力があれば徐々に制圧できそうである。
そうやって、使用できる空間を増やしていき、商業スペースとすることで目的は達成されるだろう。
最初に預かった部下はどちらかというと頭脳タイプで、戦士は別途で雇う必要がありそうだ。
だが、幸い正平からは10枚も魔貨を託されている。
制圧と並行してさらに商業から収益を得ることが出来れば、
軍資金を減らさずに商業スペースを拡大できるかもしれない。
そう、アドバイスしてくれたのはニエルの部下の一人の老人。
なんでも、この世界に来る前は大きなビルをいくつも所有していたらしい。
そしてこの巨大な駅は駅ビルと呼ぶのだそうだ。
駅というもっとも人の集まりやすい立地にたくさんの商業施設を置いてやることで、
活発に物のやり取りが行われるようになるのだという。
まさに、ここでやるべきことだと思った。
空間を僅かな金額で提供し、必要なもの全て自分で買い揃えてそれから商売してもらうか、
あるいは必要なものを全てこちらで揃えて人を雇い、
雇われた人がある程度資金を得ることができれば店ごと買い取って貰うようにしようか。
前者の場合、初期の投資額が大きいため利益が出始めるまでは時間がかかる。
その為、甲虫人と取引できる物品の価値がどれぐらいか見極められるまでは敬遠されるだろう。
しかし、ニエルとその部下、あるいは雇う予定の戦士達はここを拠点とする為に
出来るだけ早く便利な店や施設を揃えたいところである。
なので、欲しい…もとい必要な店は早めに誘致ないしは作ってしまいたかった。
それにその方が早く人も訪れるようになり、収益が上がるだろうから。
現在の部下5人中2人は甲虫人であり、それなりに戦えそうである。
しかし駅ビルに住み着いた野獣や魔獣はたとえ微量でも正平の魔力が残る駅ビル内をモノともしないで住み着いた強者たちである。2人は役者不足だろう。
もう少し戦える者を雇うか人数そのものを増やす必要があった。
とりあえず甲虫人から4人ほど戦える者を雇うことにした。
同時に、帝国からも4人ほど戦える者を募集した。
とりあえず報酬は1日銀貨5枚(250MP通貨)と三食。
さらに1つフロアを確保するごとにメンバー全員に追加で銀貨1枚である。
こういうのはニエルではなく最初の部下5人の誰かが決めてくれる。
これと同時にやるべきことは、報酬の一部である三食を提供する店。できれば料理店。
さらに報酬の一部である銀貨を使用するための店。
甲虫人達の町ではまだ銀貨を使用することができない。
知識としてはもう銀貨の価値はだいたいわかっているかもしれないが、実際に使えないとやはり意味はない。
この2つの優先順位は高い。
他にも戦士達や商人が寝泊りできるスペースであったり、甲虫人から商品を買うためのスペースだったり、
トイレなどの施設も必要だろう。
水の確保は心当たりがある。
一つ一つは小さい葉っぱでその上に溜まる朝露も微々たるものだが、
それらが無数に流れて合流し、かなりの水量となってずっと流れている箇所があった。
これを利用するといいだろう。ただし、そこへ行くまでの通路はすでに野獣に占拠されているが…。
現状で通路以外に利用可能なスペースは、そこそこの広さを持った個室が2つ。
ここを改造して店や何かの施設にすることができる。
一つはとりあえずみんなの休憩室に、そしてもう一つは料理店にしようとニエルは思う。
ニエルはいろいろ考えた結果、料理店はラーメン屋さんにすることにした。
以前正平たちと食べたとき、塩野菜ラーメンというのがすごくおいしかったのを思い出したのだ。
その店の味に虜になりその店で修業をし、
とうとう暖簾分けまで可能な程に成長したダークエルフの職人がいた。
彼はダークエルフの得意魔法である<冷気>MP4が使えるので、店では重宝されていた。
しかし、大樹の駅で新しく店を始めないか?というニエルの部下が持ってきた話を聞いた店のおやっさんは、これはチャンスだと言いダークエルフの職人に自分の店を持つように促した。
店の設備を最初から整えるという条件はかなり良い。
後から設備を買い取れば店長だけでなくそのまま店のオーナーにもなれるという。
二人は涙をこらえつつ別れを済ましダークエルフの職人は大量の氷のストックを店に残してから出発した。
ニエルの部下たちは、魔貨を両替しに行ったり、予備の<造幣機械>を取り寄せる準備をしたり、料理店の設備を整えたり募集した戦士の手配をしたりと良く働いてくれた。
ニエル自身はさっそく雇った戦士を率いて野獣や魔獣の跋扈しだした通路やフロアの制圧に出かける。
先ず目指すは水が確保できるフロア。ここを目指して最短距離に進む。
大小さまざまな小部屋に行き来できる通路も割と近いところにあったのだが、
それはひとまず後回しだ。
通路は曲がりくねっており、どこからともなく風が入ってくる。
床が見えないほどではないが、
かなり暗くなっている場所が多く油断していると何もないところでこけてしまいそうである。
野獣が湧いているということは、どこか必ず開放的な部分が存在する。
その箇所が僅かな隙間であるなら封鎖して以後安全な通路として利用できるのだが、
壁が無かったりテラス状だったりと解放感のある構造だと警備を付けるなどして対処するしかない。
構造上可能であれば壁で囲ってしまってもいいのだが、見た目が悪くなりそうなのでなるべく避けたい。
出来れば図書館などの施設のように、運営によって得られる利益で警備兵を養えるようにしたい。
その為には、最初は手広く制圧して守りを薄くするより、守りやすいフロアとその通路を厳選し、店の運営によって得られる利益と相談しつつ徐々に利用可能な領域を増やすのが良さそうである。
最初の頃、エルフが始まりの駅で開いていた商いと同じようなスタイルでいいなら、
既に利用可能な通路やそもそも駅のホームでも問題ない。
が、そうであるなら正平から託された魔貨10枚は意味がなくなってしまう。
出来る限り有効活用しなければならないとニエルは考えていた。
サソリを哺乳類にしたような野獣。
目指す水場まで丁度中間地点に蔓延っている生き物。
部下の甲虫人から毒を持っているとの報告を受ける。
ニエルは、解毒魔法は得意なのでその心配はないのだが、
それよりも長い胴体に無数についている足とその先に突き出している鋭い爪が心配だった。
その爪はしっぽの方から頭に掛けて徐々に長く鋭くなっており、
一番前の足についている爪はニエルの腕の長さぐらいある。
ニエルは<治療>MP50と<解毒>MP20を修得している。
多少の傷や毒の治療はなんら問題ないが、あの長い爪から繰り出される威力が気になる。
もし、一撃で死んでしまえば<治療>MP50は効かないし、
又そうでなくてもニエルの魔力はMP220しかない。
MP220は通常かなりの魔力の持ち主と言える。
だからと言って正平のように無尽蔵に使える魔力ではない。
短期的には<治療>MP50をたったの4回しか使えないのである。
<魔法の財布>があれば解決できる問題なのだが、そのようなものは最初から所持していない。
だいたい必要がなかった。正平がいたというのもあるがそうそう限界を超えた魔力を使用することが無い。
そして、もともとたくさんの魔力を持つエルフはこの辺もちょっとしたプライドが作用していたりする。
ニエルは部下の兵士たちに作戦を伝えた。
命を大事に。
兵として雇った部下は、甲虫人4名に犬獣人1名、ダークエルフ1名に猫獣人1名、兎獣人1名である。いろんな種族の部下を率いている。どの種族の命も等しく価値があると正平は言った。
生活圏から外れた遠いこの地の生き物がどれぐらいの戦闘力を持つのかニエルが知る由もない。
<アクセス>MP1で情報を引き出そうにも、正平と比べ物にならないほどうまくいかない。
これは単純にニエルがエルフであり、甲虫人でないからだという。
前回パブリック領域で言語のライブラリを利用できたのは、甲虫人族が生まれた後、
最初に<アクセス>MP1するべき領域である為に非常に工夫されていたから他種族でも利用可能だったとのこと。
しかし、それなら部下の甲虫人に聞けば済むことである。
……。
甲虫人曰くこの野獣は、森であったら避ける類の野獣だという。
最初から危険な野獣が出てきたらしかった。
甲虫人はその持前の外骨格による類稀なる防御力と、昆虫をそのまま人間大にしたような大きな膂力を備えており、
またそうでなくてもこの森で普通に暮らしていける事から十分な強さを持っていることが伺える。
その甲虫人をもってして避ける類であるというのだから、かなり危険なやつであろう。
しかし、避けて進むことはできない。ニエルは細かい作戦を立て行動を開始した。
甲虫人達が持つ槍で注意を惹きつけつつダークエルフが<冷気>MP4で野獣の周囲の空間に氷を作り、徐々に野獣の動けるスペースを減らす。
動きが鈍くなったところでニエルが<植物>MP11で鋭い爪を避けつつ巻きつけていった。
巻きついた蔓は大樹から栄養を少しだけ拝借して自身を太くし、強度を増していった。
野獣は徐々に動きを鈍らせその恐ろしい爪もわずかな角度を前後させる程度になる。
<植物>MP11の効果が切れる前に野獣を倒さなければならない。
甲虫人族達に聞いた急所を伝え、皆でそこに攻撃を集中させるが甲虫人達に勝るとも劣らないその外骨格に歯が立たない。
握り方を変え、剣の柄を腰の位置に据え、骨格の隙間を狙って突き刺したりもしたが通らない。
そこで、甲虫人の一人が鑿と金槌を取り出した。
戦士の顔つきから一変、職人のような険しい顔になり隙間ではなく外骨格そのものに攻撃を開始した。
なんどか打ち付けると亀裂が走り、10回ほど打ち込んだ所でダメージを受けていた1枚のプレートがバラバラに砕け散った。
戦士たちは外気に曝された継ぎ目とは比べ物にならないほど柔らかそうな肉の部分めがけて切りつけた。
その攻撃は今度こそ急所に達し間もなく巨大サソリのような野獣は死んだ。
この戦いの功労者である甲虫人の戦士は、実は野獣の爪を掠っていたらしく、毒が回り始めて唸っていた。
ニエルはすぐさま<解毒>MP20で治療してやった。
この戦いでは幸い負傷者は出なかった為<治療>MP50は使わずに済んだ。
あとは、ほとんど小物ばかりで魔法を使うまでもなく蹴散らすことができた。
途中見晴がとてもいい展望台のような箇所があった。
恐らくはここから侵入してきたのだろう。
遠くの木の枝からこちらへ移れそうである。
その太い枝は一応裁断し、念のために見張りを置いた方がいいだろう。
対処法をその場で決め、先へ急いだ。
そうしてようやく辿りついたのが朝露の滴が集まりできた美しい木の上の小川。
掬って飲むと僅かにハーブの香りが口の中に広がる。
無味であるが、香りのせいかどことなく甘い風味を感じる。
ニエルや部下たちはそこで喉を潤した。
疲れていたせいもあるだろうが、とてもおいしく体力が見る見るうちに回復した。
川や井戸の水とはどこか違う。なんとも味わい深い。
朝露の小川までの制圧が終わり、戻ってみると
休憩室に指定した部屋には所狭しとベッドや調度品が置かれ、
中には着替えや生活用品、雑貨が入れられていた。
さらにもう一つの空き部屋はもう暖簾がかけられ、ラーメン屋として営業を始めていた。
初日から始められるようにスープを凍らせて持ってきたらしい。
既にニエルの部下から話を聞きつけた商人がやってきており、カウンターに腰かけてラーメンのスープを啜っている。
テーブル席では、人間の商人と甲虫人が何か話している。
お互いに言葉を知らないはずなのにどうやって会話しているのかと思って観察してみると、
甲虫人の方がこちらに合わせて会話しているようだった。
そういえば甲虫人達も全員が同時にコミュニケーション能力を上がっている気がする。
<アクセス>MP1で情報を共有し新しい言語のライブラリを複数人が同時に作り上げることで、これまでの種族と比べてもかなり早い速度で意思疎通が可能となっているようだ。
よく見るとひたすらゴーレムと話続ける若い甲虫人がいる。
恐らくはライブラリの構築を担当しているのだろう。
さすが甲虫人は<アクセス>MP1の利用法が上手いとニエルは思った。
ニエルの前に最初の部下5名が並び今回の成果を聞きたがっていた。
成果とは制圧することで利用可能となる駅ビルのスペースの事である。
何故なら、必要な物を用意してもそれを設置できる空間が今のところ無いのだ。
通路には<造幣機械>をはじめいろんなものが置かれている。
今回は給水所をはじめ、そこへ向かう通路と利用可能な個室が3つ。
ただし、これを利用する為には太い枝を切り落としその場所での最低1名の警備が必要だろう。
ニエルと行動をともにした甲虫人の一人がすでに警備にあたっているが、
出来れば代わりの者を寄越して彼女を休ませたい。
ニエルの報告によりすぐさま5名は動き始めた。
ニエルとその部下専用の休憩室で他愛もない会話を楽しむ。
甲虫人の片言から徐々に増える語呂に面白おかしくからかいながら、戦った野獣のことを話題に出す。
確かに強いが甲虫人の強さから見ればその力や守りはそこまで脅威なわけではなく、
その野獣の持つ毒の方が怖かったらしい。
解毒効果のある薬草は発見されているがなかなか珍しく、
効果はあるが効くまで時間がかかり、その間は魔力汚染に対する抵抗力が弱まるのでそういった意味で通常は避けているらしかった。
遭遇する地形や同行する味方の戦力によっては狩ることもあるという。
その理由はやはり、あのかなりの強度を持つ外骨格である。
粘りが少なく一定以上の衝撃を加えれば割れてしまうが、硬度はかなり高い。
透明度も光沢もあまりないが武器としては非常に優れた材料になるために甲虫人の死後にとれる外骨格に近いくらいの価値があるという。
甲虫人族達に対してはもちろんのこと、すでに通貨を利用している帝国民達にとってもかなりの価値がありそうである。
ニエルは、戦士の人件費や取り寄せた設備で減った運営費の足しになればいいと思った。
休憩所で疲れを少しだけ癒したニエルと戦士達。
警備を交代した甲虫人が戻ってきたのでみなでラーメン屋に向かう。
彼らの土地では非常に糖度の高い樹液を採取することができ、それを利用した料理が一般的のようだが、エルフや獣人族、そして人間が食べる食事にも対応していた。
それはニエルが事前に予想した通りで、あるいは予想以上に今回提供した料理を気に入ってくれた。
これなら十分対価として支払う通貨に価値を見いだせる。甲虫人はいずれも頷く。
これだと通貨が単なるラーメンの引換券になっているが、いずれ利用範囲は広がる。
今はこれでいいと思った。
利用可能になった3つのスペースは、それぞれ宿屋、甲虫人族の店舗、人間の店舗となった。<造幣機械>は宿屋のフロント付近にとりあえず設置された。
いずれも個人の所有物ではなく、ニエルがオーナーである。
駅ビルを維持し拡大するためには警備の戦士をはじめいろいろとお金が必要になってくるが、
収入源が無い。大金だが現在の条件下で駅ビルを運営するには心もとなく定期的な収入が必要だった。
いずれ安定してきたら所有権を移転するだろうが、今はその時ではない。
正平が帰ってくるまでにどこまで大樹の駅ビルを賑やかにできるかは、ニエルの手腕にかかっている。
ニエルはみんなを、正平を驚かそうと張り切っていた。
ニエルは正平の喜ぶ顔が見たかった。