■13 甲虫人と穢れた怪物■
流れる水に身を任せ、花弁のように漂う。
腐臭のするその水は飲めば喉を焦がし胃に溜まらずに穴を開けそのまま溶かしながら足元まで流れ落ちる。
しかし、この辺りで飲める水はこの川でしか確保できない。
少女が川へ入ると濁った水は徐々に浄化され、いつしか水の底まで太陽の光は届くようになっていた。
代わりに少女からは腐臭が漂い始め変色し形すら変えていく。
まるでヘドロを捏ねて藻を頭に貼り付けた化け物の様な姿になっていた。
少女は特異体質のゴーレムで、体の表面から魔力を吸い取ることができる。
この近辺では生命と相性の悪い天然の魔力が漂っている。
少女は吸い取った魔力の性質に応じてその姿を変える。
すっかり奇麗になった水面に映る自分の姿は川の輝きと対照的に邪悪で醜かった。
せっかく吸い取った汚染魔力をまた川へ戻すわけにはいかない。
ゆっくりと岸へ歩みを進めると近くに住む甲虫人がこちらに気づいた。
気づいた甲虫人は仲間を集めた。
皆それぞれ武器を持っており、醜く変化したソレに対して激しい敵意をぶつける。
甲虫人達は生息域に漂う天然の魔力によって大きな被害を被っていた。
とりわけ子供達に対する被害は甚大である。
抵抗力が弱く、ほんの少しの接触も気を許す事はできない。
汚染された食糧を口にすれば細胞が変質し、忽ち弱って命を落としてしまう。
甲虫人達はこの原因をあの醜い小さな人の形をした怪物だと推測していた。
汚染が最もひどい場所では必ずと言っていいほどその怪物が出現する。
あの怪物を退治しないかぎり甲虫人は安寧の日々を手に入れる事はできない。
甲虫人達はそう信じていた。
***
正平と近衛たちは今、第13駅の三毛猫王国に来ている。
周りは大勢の猫獣人が囲い、これから始まる一大イベントを待ちわびている。
路線の延長の告知がなされていたために、その大魔法を一目見ようと集まってきたのだ。
告知は猫獣人の王女から行われた。
正平が列車から降りてミケと二人で散歩していたときにいつの間にか延長する約束を取り付けさせられていたのだ。
そのミケから王女へ情報が渡り、王女はそれを大々的に祝おうということになったのだという。
確かに帝国にとってその活動領域が拡張される重要なイベントである。
それぐらいしてもいい事だったのかもしれないが、
魔法使用者の正平本人があんまり重大に捉えていなかったので、帝国民から見ればいつの間にか延長されていたということになっている。
しかし、世界創造よりも遥か前から離島に閉じ込められている三毛猫王国の猫獣人たちにとっては、線路が島にやってきたことは国のターニングポイントと呼ぶべき歴史的イベントである。
これにより外へ自由に出ていくことができ、商業という新しい概念を手に入れその恩恵に与れた。
種族的な特徴による繁殖の不具合も解決した。
そして今また反対側に橋が架かる。
きっとまた新しい何かを得ることができる。
そんな期待が集まっているのである。
その期待は猫獣人達だけの思いではない。
告知期間中に偶然三毛猫王国にバカンスへ来ていた人間やその他の種族の人々、
あるいは商売で仕入れに、又は売りに来た商人が偶然知り、そこから情報が広がり、猫獣人以外にもかなりの人間も集まっている。
普段はダンス会場として利用されるだけの円形の広場には多くの出店が立ち並んでいた。
いつものようにフラリと路線を延長する予定だった正平は、
島についてから次第に目に入ってくる大勢の人々を見て何事かと思った。
だが正平たちの乗る専用列車に見物客が気づき歓声が上がったのだ。
駅を降りて最初に駆け付けた猫獣人の王女二人から事情を聞き、みな正平が目当てであることを知った。
大したことじゃないのにと謙遜したが、近衛の女性たちを含む近くにいた大勢の人に丁寧に否定された。
件の情報は正平から直接でなくミケから間接的に齎されたものである。
王女二人は正平に会うのは結構久しぶりだった。
二人はもっと頻繁に逢いに来るようにと嬉しそうにしながらも怒った顔を何とか作りながら抗議した。
正平は現場がお祭り状態になっているし折角だから罪滅ぼしも兼ねて2人と楽しんだ後に魔法を始めようと思った。
屋台を開いているのは猫獣人とその他の人々が半々ぐらいだろうか。
猫獣人たちはこの島でとれる果物を絞ったジュースや、野獣リフの丸焼き、川魚の串焼きなどを売っていた。
リフは普段から食べられているわけではなく、こういった祝い事のある日だけ特別にふるまわれる物だそうだ。
珍しい料理なので王女2人分だけでなく近衛の分も買ってみんなで味わった。
中には香草を詰めてここでとれる果物を粉上にして塗し、魚の皮から抽出した油で揚げている。
香草の匂いが少しきついがかなり美味である。
骨の部分が細長い葉っぱでぐるぐる巻かれ、そこを掴んでいたのだが、滴る肉汁でべとべとになってしまった。
一行が食べ終わると正平はさり気なく全員に<ろ過>MP15を使って手についた肉汁から有機物等を取り除き、唯の水滴にしてしまった。
屋台には、目敏い人間の出す露店もあり、くじ引きや金魚すくいのようなものがあった。
どちらもまだまだ貴重な紙は使われておらず、くじ引きはしるしをつけた小石で代用されており、
金魚すくいの方は、剛性のある草の茎をフレームに細かい網目状の葉っぱをくっつけた作りの網が使われている。
葉っぱは虫食いではなく、もともとこういう形状だという。
こんな役に立ちそうにない草をよくも見つけて役立たせるものだと感心した。
網目上の葉はかなり脆い。
金魚すくいで実際に使われているのはもちろん金魚ではない。
この三毛猫王国の水路でよく罠にかかっている魚だ。
小さくて基本的に食べないタイプである。
ちょっとだけ金魚に似ている。
一行は代金を支払い代わる代わる金魚すくいに挑戦した。
それまでこの出店の催しがどういうものか今一つ理解されていなかったようで、
正平が小魚をすくう様を珍しそうに眺めていたのは正平の一向だけではなかった。
正平たちが楽しんだ後はたくさんの猫獣人の挑戦者が現れた。
その屋台を開いていた人物は正平のことを世界中で知られるよりも前から知っていた。
正平と同じ地域に住んでいた人の生き残りであるという。
かつては町内会のイベントや地元の神社で彼が夜店を取り仕切っていたらしい。
定期的に開かれる武道大会では欠かさず店を開いているそうだ。
そういうお祭りイベントを作った正平を密かに心の友としているという。
正平を祭る神社を作ってそこで定期的に祭りを開きたいと願ったが、正平はやんわりと断った。
移動中は常に正平の左右の手を一本ずつ猫獣人の王女が占有し、
ドワーフのケットとゴーレムのマルチ、それに近衛になった猫獣人のミケが代わる代わる背中に上ってきていた。
その為、屋台やダンスの催しなどを一通り見終わると心地よい疲労が襲ってきた。
正平は祭りに満足したからもう帰ろうかと皆を促した。
一行はツッコミ待ちなのか素なのか判断がつかなかったが、人間のジェシーがこれは素だと見破った。
しかし、やることはどちらにしてもツッコミである。
いよいよ、路線が延長される。
最後の駅からわずかに北へ進んだところで線路は終わっており、延長線上にある建物はあらかじめ別の場所に立て直してある。
すでに建っている建物は利用されなくなっているので遠慮しなくていい。
王女や近衛たちは正平から少し離れ、ギャラリーはそれよりも少し外側に広がった。
大勢の観衆が見守る中、<レール・顕現>MP25が発動する。
不意に突風が襲ったように感じられた。
濃厚な魔力が広がり、密度の濃い空気の塊がぶつかったような錯覚を誰もが覚えた。
普段は魔力に鈍感な猫獣人もはっきりと理解した。
この世界に来て日常的に魔法が使えるようになった人々も最初の頃よりも強く理解できる。
正平の使う魔法、いや正平そのものが並大抵の存在ではないということを。
島を囲う河の流れが90度ずれたのではないかと思われた。
指向性を持った雄大な魔力の大河がまっすぐ北へ流れて行った。
進路上に存在したすべての生物は驚いて道を開けた。
建物や自然物までそれに倣ったかのように消滅し、出現した道に砂利が敷かれ、
枕木が出現し左右それぞれに二本の光の筋が通ったかと思ったら次の瞬間にはレールになっていた。
今回わざわざこれを目当てに祭りまで開かれたということで、正平は少しだけ無理をしてみた。
すなわち、上下2線分のレールを左右の手で分担し同時に発動してみたのだ。
魔力の高い者ほどその力を正確に感じとった。
何人かは、絶対に彼に逆らうなとの魂の警告が聞こえた。
見物にきたエルフやダークエルフの何人かは、恍惚とした表情で魔法を、あるいは正平を見ていた。
遥か先まで視界をふさぐモノは無くなり、大河を越えて向こう岸の更に先までレールが敷かれた。
蒸発するように魔力の威圧感が消え、一瞬静寂に包まれたがすぐに大歓声が起こった。
猫獣人の王女3人が、近衛達がそしてそれを見守っていた観衆が順次正平に寄ってきては彼を称えた。
みんなの喜ぶ様を見て正平も嬉しくなった。
近衛たちはその様子を見てなんだか誇らしそうにしている。
しばらく観衆の興奮が収まらず主に猫獣人の女性たちにモフくちゃにされた後、
大魔法使用後の精神疲労も収まり、いよいよ出来立てほやほやのレールの先に待つ世界へ向けて専用列車を走らせることに。
大勢の観衆と歓声に見送られて三毛猫王国を出発した。
正平と近衛だけの予定がさも当たり前のように猫獣人王女2名もちゃっかりついてきていた。
普段正平の膝の上を指定席と決めているミケは退かされて、王女二人は無理やり同時に乗っかっていた。
ミケはケットとひそひそ何かを話始めた。
この件に関して普段敵対関係にあった二人であったが、今回は同盟を組んだらしい。
鉄橋を渡るときは、基本的に窓を開け放している。
下は変わらず激しく流れ続けているがその上空の空気は河の流れなどに関わりなく緩やかに風が吹いている。
前方に広がるのはまだ誰も知らない世界で、逸る気持ちは確かにあったが、心地の良さを優先しゆったり速度を維持している。
列車が作る影を追いかける大きな魚影が見える。
この河の流れに逆らうとは、いったいどれほど強い生物なのだろう。
ひょっとすると河の底は意外とゆっくり流れているのだろうか。
一見代わり映えのしない車窓の景色もよく見るといろいろ発見があり、それを報告し合うなど他愛もない会話を楽しんだ。
徐々に向こう岸がはっきり視認できるようになってきた。
河の南側とは違いこちらはかなり深い森になっているようだ。
第12駅の大河前付近の大地は地盤がしっかりしていたが、こちらは陸地と思った付近もまだ水没している。
マングローブのような木がみっしり生えており、小魚の隠れ家になっているようだ。
植物の密度はこれまで見てきたどんな森よりも深く、まるでジャングルだった。
東西方向にはほんの十数メートル先も見通せない。
第14駅はどこらへんに作ろうか?
見下ろすと川から泥、そして泥濘に変化しており、歩いても沈んでいかない地形に変わりつつあった。
線路はまだまだ遥か先まで続いていたが、せっかくなので第12駅と同じように出来るだけこの大河の傍に駅を作りたいと思った。
第12駅付近よりもこちら側の方が大河をより有効に利用できそうな予感がしたためだ。
ある程度いったところでとんでもなく大きな樹木と出くわした。
その根はかなりの広範囲を張り巡らせており、あまりに大きい為その根の上を伝いかなり遠くまで移動できそうである。
ここに駅を作ればもしかするとなかなか面白いモノができるのでは。
列車を留め、一行は一旦外へ降りた。
根の下は、まだ泥濘が続いている部分もあり迂闊に降りる事が出来ない。
大きな根の上を移動して、線路から少し離れたところから<駅・顕現>MP9000を発動した。
その巨大な大樹を利用しないのは勿体ない。
魔力を余計に消費し、通常よりも精神を費やすことで森や大樹と調和する見事な駅が出現した。
それまで直線的で無機的な普通の駅だったのが、今回は曲線を多用し茶色を基調とした有機的なデザインをしている。
渡り廊下やホームもまるで木の根に合わせたかのように床が波打っており、取り付けられた窓は同じ形のモノが無い。
その形状からすべてはめ殺し窓かと思われたが回したり倒したりスライドさせたりといろんな方法で開閉できるようになっていた。
渡り廊下の先は向こう側のホームへ降りる階段の他にそのままのぼり階段が続いており、特に意味もなく樹木の巨大な主枝の上へ行けるようになっている。
このデザインが、エルフのニエルにえらく好評で正平のセンスを何度も褒め称えていた。
なんでもこういうところに住むのが夢だったとか。
遠くから見ると屋根のスレートはその色と形状から葉っぱと見分けがほとんどつかなく、もともとあった巨大な側枝を利用して作ったかのようだ。
正平も漠然としたイメージで作ったわりには、かなり面白いのができたと満足した。
その時は出来上がった駅を軽く探検するだけにとどめていたから気づかなかった。
後にカモフラージュされた大小さまざまな扉が取り付けられており、
その先に通路や階段、それに用途不明の部屋がたくさん見つかる。
それはまるで迷宮のような作りになっていることが分かった。
これもまたニエルの心の琴線に触れたらしく二度目の探索には丸一日を費やすることになる。
一行は巨大な幹の上で暫く森林浴を楽しんだ後に列車へ乗り込み、
まだまだ終わりの見えない線路の先を目指して列車を走らせ始めた。
森はさらに深くなり、先ほどの大樹と同じようなタイプの木も遠くで何本か見つかった。
日光を求めて細く長く伸びる木がある一方で競争をあきらめて下の方で木漏れ日を少しでも多く受け取ろうと広く葉を伸ばしたような木がたくさん生えている。
それが上空で何層にもわかって続いており、日光がほとんど届かずに薄暗い。
鳥や動物、あるいは野獣の鳴き声はほとんどが上の方から聞こえてくる。
おそらくは一生に1度も地面を踏まずに生きるような生物がたくさんいるのだろう。
それほど森は深かった。
暫く進むと雰囲気がガラッと変化する。
細く伸びた木や大きく広がりを見せる木がなくなり、代わりに巨大な木が疎らに生えている。
不意に明るくなったようだが、どうもこの明るさは太陽だけのモノではないようだった。
カビのようなモノが淡く発光している。
何かが見える。
列車の速度を落とし前方を観察してみると、最初それは巨大な甲虫類に見えた。
次いでそれが鎧をまとった人だと思った。
はっきり確認できる距離まで近づいた時、そのどちらでもなく一部が虫のような形状をした亜人であることが分かった。
獣人のようなものだろうか。
正平は、新しい種族にワクワクが止まらない気分でいたが、獣人の王女や近衛達は警戒している。
よく見ると彼らは槍のようなモノで武装しているのだ。
ダークエルフのジェリカは以前ドワーフに創らせた刀剣を隣の車両から取ってきて既に腰に帯びていた。
近づくに連れて影で隠れていた者達が徐々に姿を現す。
正平は、近衛達に警戒を解くように言い、次に前方で武装した者達に一言自分の名前を言った。
発した名前にあらゆる関連情報や意味を意識的に込めた。
斯々然々(かくかくしかじか)を現実にやってみせたのだ。
膨大な魔力を持ち言葉にまで魔力が帯びる正平だからできる技である。
彼らは即、槍を下へ置き膝をついた。
彼らは甲虫人。
人間の体をベースに鎧の一部をまとったように見える。
が、これは装備したモノではなく生えてきた自前の外骨格らしい。
色は黒や赤、緑などで光沢を放っており、生えてきている面積や形状、それに箇所は
かなり個体差があるようだが、だいたい人間でいうところの局部に当たる部分はそれによって隠れており、
ビキニアーマーのような軽装の甲虫人もいれば肌が全く露出していない重装な見た目の甲虫人もいる。
先ずは正平たちが事情を説明した。
列車という交通機関によって大幅に広がる活動領域。
多種族がそれぞれの長所を出し合うことで補完され豊かになる生活環境。
彼らは、皆見た目は若かったが思慮深い種族らしく、すぐに理解を示してくれた。
しかし、正平の国の人たちがここへ来るのはある問題によってかなり危険であるという。
厄災を運ぶ怪物が住み着いており、生活圏を穢れで汚染されるからだそうだ。
汚染された水を誤って飲めば、酷い時は胃に溜まらずそのまま体を溶かしてしまう。ただそれほどの汚染なら普通気づく。問題は、そこまでひどくなくても十分大きな害をもたらすことである。
その穢れを何らかの形で体内に取り込んでしまうと、なんと体内に自分以外の意識が生まれ近くの細胞を攻撃し始めるというのだ。
その穢れが魔力でできている為であろうか。
穢れの絶対量や定着した箇所によって症状は様々だが、相当な苦しみを味わう。
放っておいて完治する例はかなり稀。
その位置を特定し、外科手術で取り除くか魔法などをぶつけて殺すしかない。
が、意思を持ち攻撃し始めたといっても元は自分の臓器であり細胞である。
変化してしまった後でもしっかりと本来受け持つ役割は果たしており、
なまじ破壊してしまうとその機能も失われる。
つまり代わりの利かない臓器などに定着してしまった場合、死ぬ以外に苦しみを取り除く方法がないと言う。
正平の魔法で一緒に話を聞いていた近衛達はこの地域に恐れおののいていた。
とりわけエルフとダークエルフは伝承で穢れのようなものを理解しているらしく、
一刻も早くこの地から遠ざかりたがった。
なんでもこの穢れは治療する魔法が存在しないらしい。
ダークエルフのジェリカの話によると、これが発生すると一刻も早く生活拠点を移すべきで、その地にとどまり続ければその種族はもれなく断絶してしまうという。
彼女の王国で補完されている伝記にそのような話があった。
曰くその兆候は葉の一部が変色し色の境界に僅かなエネルギーの衝突が感じられる事。
それは葉の一部が穢れによって裏切った為。
実際足元に全くその通りの葉っぱが見つかった。
それをみたニエルは震え上がり、正平にしがみついた。
ニエルは正平にしがみつきながら涙目で訴える。何も言葉を発しなかったが早くこの場を立ち去りたいのだろう。
この辺りの生態系がなぜ大樹を除いてほとんど生息していないのかと言うと、穢れによるダメージが生命力を上回ってしまった為。
大樹まで育てば汚染の及ばない地下深くから養分を確保し汚染によるダメージも相対的に小さく済むので何とか生きていられる。
ここで、正平は一つの決断を迫られる。
これまで線路を延長し駅を増やせばその分だけトレイン帝国は豊になってきた。
国民が許容できる速度で拡大すればなんらデメリットはないものだと思っていた。
しかし、今回は少し勝手が違う。
何の対策もないままここに駅を作ってしまうと知らずにやってきた人間は彼らが言うところの地獄の苦しみを味わう羽目になる。
これ以上北へ路線を延長することをあきらめるか、
目をつぶってとりあえず駅を作らずこのエリアを運行中は窓を締め切るなどしてやり過ごすか。
しかし、それではどうも絶対ではない気がする。
最初の志と共に路線を曲げて穢れの発生する地域を大きく迂回するか…。
とりあえずはもう少し情報を集めることにした。
万一病気にかかっても正平には治療するあてがある。
解毒系の魔法が得意なエルフのニエルからして慄いている為、魔法による直接の治療は不可能だろう。
正平にしてもそんな魔法はまだ開発してない。
それでも正平は近衛達に安心するように言った。
それを証明するために今現在苦しんでいる甲虫人はこの中にいるなら申し出るように言った。
そして今すぐに治療するとも。
彼らは半信半疑ながらも話し合い、間もなく一人の屈強な男性の甲虫人が正平の前にやってきた。
彼の持つ外郭は装甲が厚く鋼のような強度があり、彼らの中では最も攻守の優れた戦士である。
どんな野獣、魔獣にも負けない自信があり実際に負けたことはなかったが、
病には勝てなかった。時折腹部に走る、貫かれるような痛みは毎回死を覚悟する程だという。
はっきりと病の箇所が分かるなら正平にとって治療は容易い事だった。
正平は<冷気>MP4を一点に集中させまた何重にも重ねがけした。
単純に威力を上げるためである。
これぐらいでいいだろうと思ったとき、装甲分厚い甲虫人の患部に叩きつけた。
その威力は凄まじくかなり大きく円柱状に抉れ、中身は粉吹雪のようにバラバラに砕けて後ろへ突き抜けて行った。
その後、巨大なドリルで穴をあけたような形状が残り、曝された内部が凍り付いているために体の内部がはっきり見える。
正平は間髪入れずに<治療>MP50を使った。
一瞬の痛みも感じることなく治療を終えてしまった。
正平は敵に対してではないにしてもこの世界に来て初めて攻撃的な魔法の使い方を見せた。
近衛達は何となく正平と戦えば勝てるとだろうと思っていた。
たとえ不死身で魔力の大きさは嫌というほど理解していても攻撃的な正平を見たことがなかったためだ。
しかしそれは正平の日常が見せる唯の錯覚だった。
驚いたのは近衛達だけではない。意味を理解するのと見て感じるのとは違う。
甲虫人の戦士達は正平を今度こそ本気で恐れ敬った。
甲虫人は類稀な肉体の強度と戦闘力を持つため、力の強い者を尊敬する度合いが強い。
それが魔法とはいえ相当な強度を持つボディを吹き飛ばしてしまった。
彼らにとってはその後の治療よりもこちらの方が強く印象付けられたらしい。
同じ要領でこの場にいたメンバーをすべて治療した。見た目にはかなりの荒療治である。
彼らは最初どこか高圧的だったが今では心底丁寧に接しようとしているのが分かる。
その彼らによると、この穢れの原因である怪物の動きをかなり捕捉しているらしく、
仕留めるために行動していたとのこと。
そして、正平の力を見てこの怪物を仕留めるのに協力してほしいと願い出た。
原因が特定されその怪物を仕留めれば解決するなら正平は協力を拒む理由はなかった。
が、エルフやダークエルフは首を傾げた。
甲虫人の住む町へ案内され、そこで彼らが拠点を移せない理由を知った。
町の中心には巨大な神殿があり、中には美しい女神像と共に巨大な魔法石が中空で固定されていた。
この魔法石は魔石ではなく樹液からできているらしい。
この魔法石は甲虫人にとって第二の脳であるという。
彼らはあまり老いることはないが寿命は持って10年だという。
それは穢れによる汚染のせいではなく元々短命種のようだ。
その為、魔法石に知識や技術を保存する技術が編み出され、
甲虫人は生まれて最初に教わるのはこの魔法石にアクセスする魔法であるという。
なまじ優秀な魔法だったためか、新しく覚えることもすべてこの魔法石に書き込んでしまい、この巨大な魔法石なしには話すことは愚か下手すると動くことすらできなくなるという。
<アクセス>MP1を一度使用すればこの魔法石から相当離れない限り情報の読み書きが可能となる。
パブリック領域とプライベート領域に漠然と分かれており、
パブリック領域に書き込まれた記憶はこの<アクセス>MP1によって誰でも引き出すことができ、又プライベート領域でも書き込みをした人物が自分と似た考えだったりすると無理やり情報を引き出すこともできる。
そしてこの一連の出来事は既にパブリック領域に書き込まれていたらしく、
町へ着くなり正平は盛大に歓迎された。
正平の連れがすべて女性だった為、その場にいた甲虫人の誰かが正平は女好きであると余計なことを書き込んでいた。
その為比較的装甲が薄い個体の女性甲虫人が正平の案内兼世話係として選ばれた。
正平はこの魔法に非常に惹かれ、自分も<アクセス>MP1を修得していいか聞いてみた。
こればかりはさすがの甲虫人達も渋ったが、正平の持つ記憶の一部をこの魔法石のパブリック領域に書き込んでもらうことを条件に承諾された。
甲虫人は体育会系な種族であったが、<アクセス>MP1の魔法によって知的な一面を持つようになり、知的好奇心の強い種族でもある。
修得は簡単だった。巨大なこの記憶装置はそもそも魔法石であり近づけばそのまま魔法が使えた。
ついでに近衛達も<アクセス>MP1を修得した。
パブリック領域には彼らの扱う言語も記憶されており、近衛達は正平の魔法に依らず彼らとある程度は会話することができるようになった。
それは不思議な感覚だった。脳を脳で制御している感じである。
たしかに自分で記憶しておくよりもこちらで記憶した方が楽な気がした。
正平はしばらく試しているうちに甲虫人よりもこの魔法をうまく使いこなせるようになった。
パブリック領域にも階層があり、古い記憶は深い階層に眠っている。
甲虫人にしても古い記憶を読み取るのは難しいのだが、正平は直ぐにかなり深いところまで読み取れるようになった。
ついでにセパレートされたプライベート領域もほとんど侵入できるようになっていた。
半プライベート領域なるものも存在し、男性専用や女性専用、同年代限定や酒好きだけの記憶領域なんかもあった。
自分と関係の少ない領域ほどアクセスし難い感じはしたが、正平は素通り状態だった。
が、すぐに自主規制した。
ただし、正平を女好きと書き込んだ甲虫人のプライベート領域はしっかり見つけ出しておいた。もちろん本人も特定済みである。
仕返しに彼が密かに思っている女性甲虫人の名前を彼の名前と共にパブリック領域に書き込んでおいた。
ちなみにこんなことは正平だからできるのである。
正平は約束通り正平の持つ知識の一部をパブリック領域に書き込んだ。
それは、正平が広げてきた帝国の姿であり、正平が作ってきた施設であった。
問題は解決していないが、おそらくは彼らも帝国の一員になるだろうと予想し、
この機会に紹介しておこうと思ったのだ。
すぐさまこの記憶に対するアクセスが集中したせいか、一時付近の記憶が読み取りにくくなったという。
正平の残した今日一日のエピソード記憶を読み込んだらしい甲虫人の子供達は羨望の眼差しで見つめていた。
記憶を巡回することで大まかな事情を把握した。
悪意に関連付けられたいくつかの記憶がある。
強烈な苦痛や恨み、絶望といったものでその先にある記憶はどれも非常に醜悪な1体の怪物だった。
そして見る限りその怪物は穢れに汚染された土地と共に出現している。
あたかも穢れの化身のごとく存在し、まるで不吉が人の姿になったかのよう。
甲虫人の人々はこの怪物が原因だと断定しており、討伐に成功すればこの厄災は収まると考えている。
たしかに記された表層の記憶を読む限りではそれ以外に考えられない。
事実以外にもいろんな根拠や推測がなされそのどれもが怪物の駆逐を導き出している。
が、どうも違和感がする。
記憶をさかのぼるほどにアクセスする難易度は上昇し、又読み取れる速度が格段に落ちてくる。
いつのまにか正平は、甲虫人の誰もが知りえないほどの深層まで入り込んでいた。
読み取り難易度は一般人で例えるなら1週間前の夕食を思い出すレベルまで上昇している。
甲虫人はその化け物に対して、討伐しようとは思っているものの恐れてもいた。
腕っ節には自信があるものの穢れは怖い。
なんとか情報を集めてはいるが、討伐できずにいた。
そんな折、正平の魔法の威力を見たのだ。
攻守パーフェクトな正平が味方になった。この機を置いて他にはない。
甲虫人は長年の決着をつけようとしていた。
正平は今一つ乗り気になれなかったが、作戦会議が開かれた。
すでに一人が怪物を追跡しており、随時映像が書き込まれている。
誰が今現在それを読み取っているのか表情を見れば分かる。
眉間にしわを寄せ近寄りたくもない。そういった感情が露わになっている。
会議は普通に発言し合うことで行われた。
正平や甲虫人の中でもこの魔法を得意とする人でなければパブリック領域に書き込むのは結構しんどい行為なのである。
作戦もそれに使う道具も元々幾つか用意されており、思ったよりも早く決まった。
実行部隊の半数は町を出て怪物の遥か後ろに回り込み威嚇攻撃を開始した。
何かあっても正平に直してもらえるという安心からか、今まで及び腰だった甲虫人達は見たことないほど張り切っている。
逃げ道を塞ぎつつ徐々に正平達の待つ町の近くへ追いつめて行った。
この間にも正平はずっと深層への<アクセス>MP1を試みていた。
現在3週間前の夕食を思い出すレベルにまで到達している。
それは正平主観であり、実際は数百年前の他人の記憶である。
これ以上読み解くためには何かきっかけが必要だった。
キーワードのようなもの。
ふと、ゴーレムのマルチがとある一言を発した。
あの怪物はひょっとするとゴーレムかもしれない。
何気ない一言だったかもしれない。
だがそれこそがキーワードだった。
何者かが甲虫人の頼みを聞き入れた。
その者が置いたのがゴーレム。
この地を離れられない甲虫人を守るため…
絶滅してしまった花の代わり……
ゴーレムの浄化装置………
正平は更新され続ける現場の映像に意識を移した。
作戦では正平がとどめをさすことになっていたが、途中で怪物に止めを刺してはいけないこともない。
むしろリスクがないならば自分たちで手を下したいだろう。
醜い怪物は全身傷だらけでボロボロになりながらも逃げている。しかし、今にも息絶えそうだった。
正平は作戦用の領域に全力で攻撃の中止要請を書き込んだ。
そのあまりに力強い意思に触れた甲虫人は、一瞬体を硬直させるほどだった。
以後の攻撃は禁止され、正平の元へ追い込むことになった。
それは正平の元へ現れた。
記憶の映像だけではわからなかったが、生でみれば確かにゴーレムのような気がした。
記憶の情報は、そのマイナスイメージが強力なバイアスになっていたらしい。
誰一人近づこうとはしない。
唯醜いからだけではない、穢れた魔力が目に見えるようなのである。
しかし正平は躊躇わず怪物を抱き寄せた。
付近を漂い生物に害をなす悪意の塊の様な天然の魔力が闇属性だとすれば正平が持つ魔力は光属性あるいは聖属性といったところだろうか。
この特異体質のゴーレムは、触れたモノから魔力を吸い取りその性質に応じた姿に代わる。
正平に抱かれた女性は、たとえようもなく美しい姿に変化していた。
正平が持つ魔力の絶対量は膨大なため、もともと身にまとっていた穢れた魔力を相殺してなお膨大な魔力を受け取った。
そしてその性質を身にまとい相応の姿に変わったのだ。
神殿に飾ってあった女神像と似た姿をしている。
彼女は、マテリアル種のゴーレムでさらに特別なタイプである。
マテリアル種であるが、フィギュア種のような人の形をしており、
しかしマテリアル種であるためにしゃべることができなかった。
それでも正平は彼女と意思疎通ができた。
ゴーレムの名前はヒナという。
いつしか誤解されるようになったが、それでも自らの使命を全うしていたのだという。
魔力を吸い取り結晶化させる植物が見つかるその日まで。
正平は、皆にヒナの言葉をイメージと共に伝えた。
伝えている途中で正平はその植物に心当たりがあった。
正平だけでなく、ゴーレムのマルチ、それにダークエルフのアルマーゼも思い当たる。
少々忌まわしい記憶と共によみがえったのはカミキリ草という植物。
人体に直接植えて魔力を抽出し魔力の結晶でできた花を咲かせる。
現在労働を提供することで魔力を得られるようになり不要になっていた。
しかし、まさかこのような用途があるとは知らなかった。
いうなれば本来、悪性の魔力を抽出するための植物らしい。
ゴーレムの砦に向かってカミキリ草を鉢植えに移し替え、戻ってきた。
さっそくその辺に1本植えてみた。
すると見る見るうちに根を広げ人に生えていたときとは比べ物にならないほど大きな実をつけている。
そしてその周辺は明らかに浄化されていた。
不意にマルチがその実を口にした。
とくに醜く変化することもなかった。
なかなか良質な魔力の塊だった。
悪性の魔力はこの植物を媒介に無害化したらしい。
今まで自分たちを陰ながら守り続けていたと知った甲虫人たちは、ヒナを女神として祀りたいと懇願した。
しかし、当のヒナはあれから正平に抱きついてなかなか離れない。
もう魔力は吸われていなかったが、正平を心底好きになってしまったらしくずっと一緒にいたいと願う。
そしてヒナも植物がこの地にやってくることで役割を終えたと判断したようだった。
正平もヒナのこれまでの苦労を慮って、彼女の願いを叶え近衛の一人に加えることにした。
ヒナは最高の笑顔でまた正平に抱きついた。
こうして甲虫人は新しくトレイン帝国に加わった。
14 大樹の駅 樹木の迷宮 人口 300人程度
15 樹液結晶前 甲虫人の国 人口 500人程度