第十四章 唇歯輔車(4)
小さく問うた伊織に、斎藤はほんの僅か一瞥を向けた。
それから暫時の間を置き、まるでついでと言わんばかりの口調で言った。
「これから黒谷へ行くが」
来るか、と。
「御伴していいんですか?」
伊織が関わる事を良く思っていなかったはずの斎藤の、意外な誘いを受け、小首を傾げつつ聞き返す。
「このまま置いて行って、余計に副長を刺激されても困るだろう」
言葉も途中に、袖内に腕組みしたままで、斎藤はふと踵を返した。
「……そりゃ勿論、行きますけど」
他意もないのであろうが、妙な気後れを感じつつ、伊織は小走りに斎藤の後を追ったのであった。
***
斎藤と共に、黒谷へと訪れた伊織の前に、息せき切って飛び出してきた者があった。
「かっ、梶原様!?」
余程の慌て振りであるらしい。
金戒光明寺本堂へと続く坂道を、半分転がるようにして駆けて来る。
「おお! 伊織殿か! ちょうど良かった、たった今、土方殿を訪ねようとしていたのだ!」
額にじんわりと汗を浮かせた梶原を前に、伊織はふと傍らの斎藤を見上げた。
ところが斎藤のほうはこちらへは目もくれず、平時のぬからぬ顔で一歩前へ進み出る。
「そのことで公にお目通りを願いたいのですが」
すると、梶原の倉皇たる面持ちも急激に落ち着きを取り戻したように見え、息を吐くと共に居ずまいを正した。
こちらが何をもって黒谷へ来訪したのかが、梶原には瞬時に判別がついたのだろう。
一目散に駆けてきた踵を颯爽と返した梶原は、やや厳格な面持ちで後に続くようにとその手振りで告げた。
「話は奥で聞こう。此度の事は由々しきことだぞ!」
「はぁ、まあ……こちらとしても一つ穏便に事無きを得たいと思って、屯所を抜けてきましたので」
梶原の睥睨にも泰然とした態度で後に続く斎藤。
その斎藤から更にもう一歩遅れて、伊織も本陣の中へと歩を進めた。
建白書に署名しておきながら、穏便に、とは。斎藤もいよいよ理解のならない人物である。
憤懣と慨嘆の入り乱れた様子を垣間見せながら、黒谷の会津藩本陣の奥へと請じ入れられる。
まだ顔を合わせて数度だが、梶原の取り乱した様子を目の当たりにしたことに、伊織は若干驚きを禁じ得なかった。
(斎藤さん、一体どういうつもりで建白書に名前なんか……)
わざわざ加担しておきながら、自ら土方に告発しようといていた様子であるし、また更に、会津藩へも足を運ぶとは。
その考えは今一つよく分からない。
腑に落ちないまま数歩足を進めたところで、伊織はぎくりと足を止めた。
踏み出しかけた足の先に、小さな生き物が蹲っていたのだ。
気付かずに踏みそうになったのを咄嗟に引き留め、じっと凝視してみれば。
「ぴ、ピヨ丸……!!」
「こらこら伊織殿! ピヨ丸様とお呼びせんか!」
思わず素っ頓狂な声を上げた伊織に対し、前方から梶原が素早く注意を言い渡す。
が、呼び方云々よりも、今踏みそうになったピヨ丸の様子がどうにも奇妙なのが気になった。
その場にしゃがみ込んで、よくよくその雛を見てみれば、何とも薄汚れて弱り果てているではないか。
会津公に可愛がられているはずなのに、何故こんなところに。
そっと手に掬い上げてやると、小さく呻くような鳴き声を発した。
「何だその雛は。お前の知り合いか?」
怪訝に覗き込んで言う斎藤を押し退け、どうやら梶原も事態を察知したらしい。
身のこなしも素早く伊織の傍らにしゃがみ込むと同時に、驚愕の面持ちを浮かべた。
「ピピピピヨ丸様ぁあ!? な、何故にこんなところへ!?」
「え、ちょっと梶原様……」
その狼狽振りにも若干驚いたが、伊織は素直にピヨ丸を手渡そうとした。
その途端。
弱って動くのもやっと、というピヨ丸が、梶原の手を拒んだのだ。
何ゆえ、梶原を拒むのか。
常に傍にいそうな存在に懐かない、というのも奇妙に思え、伊織はちらりと梶原を見遣る。
「梶原様、もしかしてピヨ丸様に嫌われてるんじゃあ……」




