第十二章 有為転変(6)
己の身に降り掛かる冤罪如何よりも、藩の体裁のために尽くそうとする、その忠義心。
「見上げたもんじゃねえか」
穏やかに言った土方の表情が、微かに歪められたような気がした。
柴を賞賛しながらも、どこか悲哀の籠もる眼差しは、小さな明り取りの灯に注がれる。
傍らに見詰める伊織もまた、無性に悔しかった。
膝に乗せた両の拳を、強く握り直すと、喉元まで嗚咽が込み上げる。
「……っく」
堪えようと止めた息が、殊更に目頭を熱くした。
止めずにいてやること。
それが、柴のためだというのか。
「……ま、葬式にはおめえも出てやれ」
そっぽを向いたまま、土方が静かに言う。
それは決して慰めになる言葉ではなく、どちらかと言えば遣り切れない思いを増長させるものだった。
けれど。
言った土方もまた、僅かに声を震わせていたことを思えば、己ばかりが涙を堪えずにいることに、些かの忸怩を感ずる伊織であった。
***
その後、柴司自刃の報は、程も無く新選組へも伝わることとなった。
葬儀に参列する人員も取り決め、土方、武田をはじめ、井上源三郎、浅野藤太郎、河合耆三郎が出席する運びとなったのである。
無論、伊織も参列を望んだ。
高く晴れ渡る碧空の下、葬儀は粛々と執り行われる。
遠く横たえられた棺を眺め、伊織はぼんやりと空を仰いだ。
「……土方さん」
と、隣に小さく声をかけ、また少し声を途切れさす。
「武士って、こういうものなんですか?」
一本調子な声音で問うも、土方からの返答はなかった。
暫く待っても土方が答える様子のないことに気付き、そちらを振り仰ごうとした、その時。
逆隣から肩を叩かれた。
「高宮君。今は駄目だ。そっとしておいて差し上げなさい」
口元に人差し指を宛がい、柔和ながらも真剣な面持ちで制止するのは、井上であった。
何故、と問うより先に、そっと土方を見上げた伊織は、そこでまた言葉を失った。
懸命に眉を顰めて口の端を引き結ぶ、その頬に。
滂沱と溢るる、幾筋もの涙。
かつて見たことのない土方が、そこにいた。
感銘を受けての涙か。
ただ只管に、その死を悼む涙か。
血も涙もないと噂に聞こえる、土方歳三の見せたその横顔。
それを見て、今やっと、実感が沸き起こる。
流れ落ちる涙を拭おうともせず、ただ真っ直ぐに柴を見送るその人が、尚切なかった。
知らずと浮かんだ熱涙に、土方の横顔も霞んでしまう。
「はい、どうぞお使いなさい」
小声で懐紙を差し出してくれる井上に振り向けば、哀しみを湛えた笑顔が目に映る。
「……ッすみません。私、ちょっと、向こうへ出ています」
耐え切れずに、声を上げて泣き喚いてしまいそうだった。
土方をそっとしておいてやりたいのと、自分自身も心置きなく泣いてしまいたいのと。
静かに井上の前を通り過ぎ、伊織は葬儀会場から抜け出して行った。
あんな風に泣ける人だとは、思ってもみなかった。
屯所を飛び出して容保公へ直接嘆願しに出向いた自分などよりも、土方のほうがずっと柴を尊んでいるではないか。
柴の死が悲しくて泣くのか、それとも、己の浅はかさを恥じて泣くのか。
或いは、そのどちらも入り混じった涕涙なのか。
自身でも判別がつかなかった。
人目を憚るように咄嗟に入った木陰で、伊織は一人蹲って泣いた。
死ぬ事は、怖いじゃないか。
人が死ぬ事は、怖いことじゃないか。
そう思うのと同時に、既に人を殺めたその手が、今更何を嘆くのか、と、己に問いかける。
何かのために自ら死ぬ事は、賞賛されるべきことなのか。
では、咎人を殺める事も、また一方では褒められるべきことなのか。
それがこの時代の常だと言うのなら、もう刀を持つ事も恐ろしい。
生き抜く自信も、揺らいでしまう。
「おい」
と、背後から投げやりに呼びかける声がし、伊織はぎくりと肩を震わせた。