第十章 並駕斉駆(5)
尾形の負担にならないよう、そっと自分の懐に手を忍ばせた。
さっき手に入れた、目鬘。
それを自ら装備する。
「なんでひょっとこになってるんだ、お前……」
「だって、なんかこっぱずかしいから……」
***
夕餉の支度が始まっているのか、屯所に入ると薪を焚く匂いが立ち込めていた。
市中を巡察して廻っていた隊士たちも、ぞろぞろと帰隊してきているようだ。
「尾形君、ひょっとこなんぞ抱えて、どうした」
夕霞のたゆたう副長室で、土方は真っ先にそこを突いた。
言われて漸く、伊織は地に降ろしてもらうことが出来たのだった。
「東山で拾ったひょっとこです。どうも足が痛くて歩けないようでしたので」
「……で、抱えてきたのか」
「そうです。何か特別手当でも頂ければ嬉しいのですが」
「やらねえよ!」
「ひょっとこひょっとこ言わないでくれませんか……」
伊織が口を挟めば、土方は冷酷な眼差しを向ける。
「で、どうだった」
すぐにもそれは今日の報告を催促しているのだと見て、伊織は目鬘を外す。
「……ありましたね」
言えば、後は尾形が繋いだ。
「産寧坂を下った、明保野という料亭に立ち寄ったのですが、あの近辺も巡察したほうが良さそうです」
「そうか。東山のほうも入念に見回らせるとしよう」
京の都中に潜伏しているであろう、不逞浪士。
池田屋の一件から都を離れた浪士もあるだろうが、それでも中には潜伏生活を続ける者も多い。
それを取り締まるのだから、骨の折れることだ。
土方の表情には疲弊の色など微塵も浮かんではいなかったが、それでもこの人は誰よりも激務を負っている。
このところは夜も満足に寝ていないようだったし、身近で見る者には少々気掛かりである。
気にはなるが、大丈夫かと問うたところで、疲れたなどと惰弱を吐く人でないことくらい分かりきっている。
だから敢えて尋ねようとも思わなかった。
「時に副長」
一通りの報告も済ませたところで、尾形はやや声音を明るくして言った。
「副長は何時、うどんになられるんですか」
「……ハ?」
「いえ、高宮がつるつるした幻の一品だと言うもので、つい」
途端に土方の形相が恐ろしげに変化し、こちらへぐるりと首を巡らせた。
その眼光の鋭さは、まさに鬼神。
「何の話だ」
「あらららら! 尾形さん! 本人に言っちゃあ駄目じゃないですか!」
ぎょっとして尾形の口を塞ぐが、もはやそれには何の意味もなかった。
言ってしまったものは仕方が無いとしても、まさかうどん一つでこれほど怒りを露にするとは。
伊織がその気迫と威圧に慄いた時、副長室の障子戸の影で、何かが忍び笑った。
「……プスッ!」
決して大きくはないその破裂音。
けれど、それは三人の動きを止めるに充分な気配である。
「プス……?」
「誰だ、盗み聞きなんかしてやがんのは!?」
土方が怒鳴ると、それは嵐のように副長室に飛び込んだ。
「土方!! 貴様がつるつるだとは初耳だぞ!?」
その姿に、一同揃って五、六歩も後方へ飛び退る。
佐々木だ。
何となく嫌な予感はしたものの、いつから潜んでいたのか。
余りの唐突さに、叫びすら出てこない。
「すると何か!? 伊織はすべすべか!? おお、さもありなん! いざ、味見を!!」
意味不明な言動も毎度ながらに好調で、部屋の隅に身を寄せ合った三人の前に立ちはだかる。
無論、その食指は伊織へと延ばされたのだが、こちらとしてももう反射神経には自信があった。
賺さず土方を正面に押し出し、生贄に捧げる。
「ギャア!! てめえ、伊織ッ!! ふざけんじゃねえ!!」
「すいません土方さん! 成仏してください!」
振り向いて抵抗する土方の目は打って変わって恨みに満ちている。
だがこちらも真剣だ。




