第十章 並駕斉駆(1)
元治元年、六月九日。
伊織は東山にいた。
牡丹の彩りも鮮やかな、女物の着物。
しっかりと髪も結い上げ、美しい玉簪を挿して歩く。
その姿は、丸っきり大店の令嬢である。
「似合いすぎだな」
隣り合って往来をそぞろ歩くのは、同じ監察方の尾形だ。
これもまた町人に扮し、見た目を譬えるならばやはり大店の若旦那風、というところだろう。
隠密行動という割には、少々小奇麗な出で立ちだ。
因みに言うならば、伊織の着付けは土方が行った。
満足に着物など着たこともない伊織にとっては少々気恥ずかしいことではあったが、きちんと着こなしていなければ女子として見るには怪しい者になってしまう。
けれどこの女装も、右腕を痛めている伊織が帯刀せずに済むようにとの、土方なりの心遣いだ。
「尾形さんこそ、すごく似合ってますよ! 若旦那!」
元々女子なのだから、女装は似合って当然。
尾形の目から見れば、妙に女装の似合う少年に映るのだろうが。
池田屋での事件以後、新選組の隊務は長州勢の残党狩りに終始していた。
これもその一環だ。
坂道の続く通りは、諸所に料亭や茶屋が軒を並べ、ちょうど昼時ということもあって多くの人で賑わいを見せていた。
あちらこちらと見て回るのだが、どれもこれも興味深く、自然と胸が躍る。
幕末の京の営みが目の前にあるのだ。
興味はそそられて当たり前。
修学旅行では結局散策することの出来なかった町並みより、今目にする光景のほうが、何倍も魅力である。
隣を歩く尾形も、連れ立って歩くには申し分のない容貌。
仕事ではあるが、ほんの少し楽しい気分にもなる。
表情もついつい浮かれ気味になるのだが、尾形は相変わらずの無表情だ。
「もうちょっとにっこり笑ったらどうですか? 怪しまれますよ?」
「お前はあまり喋らんほうが良いぞ。京弁が出来ない上に、少し会津の訛りがある」
すっぱりと言い切られ、伊織はうっと言葉に詰った。
そう言われれば返す言葉もない。
「でも、尾形さんも普通に話してるじゃないですか。京言葉なんて出来ないんでしょう?」
「俺はいいんだ。喋らないから」
無言で往来を行く男女連れというのも、なかなかに怪しいと思うのだが。
溜飲の下がらない思いで歩き続けるが、ふと伊織の目に珍しい物が留まった。
「あ。あれ何ですか? 変なのー。ちょっと見てみません?」
「なんだ?」
伊織が更なる好奇心をちらつかせると、尾形は一層無表情に返す。
これさえなければ、もう少し取っ付き易いのだが。
伊織が指差した方向を眺めて、尾形は呆れたようにハッと息を吐いた。
「あれは目鬘だ。見たことないのか? よく花見なんかで売ってるだろう」
「目鬘? ……へー、お面に似てるけど、そういう名前なんですね」
現代でも祭礼などでよく見かけるお面という代物に類似しているが、少し形状が異なる。
お面の目の部分だけなのだ。
(仮面舞踏会とかでありそう)
まさに、そんなようなものだ。
種類もいろいろと取り揃えてあるらしく、お侍風からお姫様風、果てはひょっとこ、なんていう物まである。
伊織は露店の前で足を止め、じっと食い入るように品々を見つめた。
「いらっしゃい。どれにしましょか?」
店を広げる女主人が穏やかに声をかけてくる。
伊織は背後の尾形をちらと見遣った。
「……買わないぞ?」
「一個だけ……」
「買わない」
「買って」
「……」
「買って」
さらに食い下がると、尾形が俄かに口許を弛め、ぷぷっと噴き出した。