第九章 旗幟鮮明(1)
闇が身に纏い付く。
永劫に続く、漆黒の闇。
暗黒の帳に包まれているだけなのか、或いは元々、闇しかない空間なのか。
どちらとも判別できなかった。
足元は、まるで中空を彷徨うように微かな圧と浮力を感じ、そこに大地と呼べるものがあるのかどうかも判然としない。
その感覚は、あの時と酷似していた。
果てない闇を潜り、あの時は自分が死に向かっていると信じて疑わなかった。
――還り道。
ああ、こんなところにあったのかと、伊織は微かに笑んだ。
このまま浮遊感に任せて進んでいけば、いずれは元の時代に辿り着くのかもしれない。
それに抗う気など、今は少しも起こらなかった。
だが、厚い靄がかかった思考に、何時からともなく呼び声が届いていた。
現世からのものか、それとも過去世からのものなのか。
声の主が男か女か、大人か子供か、それすらも区別することは出来なかった。
聞こえようによっては、父親か母親か、はたまた友人の声のようにも思えた。
「懐かしいなぁ……」
掠れて弱然としていたが、声が出せたことに意外さを覚える。
すると、伊織の声と入れ替わるように、その声は立ち消えになった。
***
「ほー? 一日と離れへん屯所が、懐かしいて?」
ぱちりと目覚めれば、そこはもう、伊織の見慣れた新選組屯所だった。
祇園の会所でもない。
室内に灯が燈されているから、少なくともまだ夜は明けていないようだ。
仄暗い視界に、山崎の顔が浮かんだ。
「……あれ? なんで屯所にまで戻って――?」
池田屋の二階で土方と合流したところまでしか、正直覚えていない。
「島田さんがここまで運んでくれたんだ。後で礼を言っておけ」
山崎の隣に、尾形の顔があった。
どうやら二人が付き添っていてくれたらしいのだが、運んできたという島田の姿は見当たらない。
軽く掛けられていた薄掛けを払い除け、伊織は慌てて上体を起こした。
自分だけ置いて、島田は向こうに戻ったに違いない。
池田屋は、今頃どうなっているだろう。
自分よりも先に昏倒していた沖田は、どうしたのだろう。
会津藩は、ちゃんと来てくれたのだろうか。
「すぐに池田屋に戻ります!」
僅かに眩暈がしたが、そこは気力で立ち上がった。
と。
おや、と伊織は気付いた。
身体が軽い。
(あぁ、そうか。防具を外されたから……)
やはり着け慣れぬ防具は重かったし、動きにくく暑かった。
そこにあの緊張が重なり、体のほうが限界に至ったのだろう。
いくら決意が固くとも、倒れるのも無理はないように思う。
ただ、同時に不甲斐ないな、とも思うが。
「まだ熱は下がっていない。そんな状態で戻っても邪魔になるだけだ」
「でも……!」
気になるのだ、と繋げようとした矢先、尾形は強引に伊織の腕を引き降した。
拍子に、ごろりと見事に布団の上に転がされてしまった。
意外と尾形も膂力はある。
その上、熱のせいなのか、思うように抵抗する力が出し切れなかったのだ。
「いっ、たァー……」
「ほれ見てみィ! 新米監察のくせに無茶しよるからや! 表舞台大好きか、オマエは!」
再び仰向けになる伊織を上から見下ろし、山崎は唾棄するように言い捨てる。
この人はどうしてこうも口が悪いんだろうか。
「そんな言い方って、山崎さん……」
文句の一つも返してやろうと思ったのだが、またしてもそこで尾形が遮った。