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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第八章 疾風勁草(2)



 会所では普段通りにしていたが、沖田はあまり調子が良さそうではなかったことを思い出す。その一瞬、ひやりとした。

 それと同時に、前方から土方が四国屋の戸口を叩く音が聞こえた。

「私、ちょっと用事を思い出しました。すいません、ちょっと抜けます」

 折り良く側に立っていた島田に耳打ちすると、島田はぎょっとしてこちらを見下ろす。

「は!?」

 声自体は土方に聞こえぬように潜められていたが、やけに語気が強調されている。

「今から池田屋に先行します。みんなはこのまま四国屋に!」

 ひそひそと遣り合う最中に、戸口は開けられ、土方が御用改めを言い渡すのが聞こえた。

 それを機にどっと流れ込む隊士の波の間隙を縫って、機用にもすいすいと隊から離脱した。

 おいおいと呼び止めようとしていた島田も、ついには引留めきれずに四国屋の中へと流れ込んだらしい。


     ***


 四国屋から池田屋までは然程の距離はない。

 夜陰に紛れて、一路池田屋へと駆け出していた。

(もう始まった頃かな)

 いろいろと考えは浮かぶが、今や沖田のことが一番の気掛かりだった。

 実際に池田屋では少数精鋭で斬り込んだ新選組の大勝利に終わるはずだが、その渦中で誰がああして彼がこうして、という具合に延々と念頭を過ぎていく。

 まるで何かの計算式のようでもあった。

 四国屋の戸口を前にして離脱し、池田屋へ単独先行するなど、後で土方が知ったら大激怒しそうなものだが、今はそれも比較的どうでも良いと思えた。

 橋を越えた辺りで、急行する伊織の耳に徐々に剣戟と乱れ交う悲鳴が聞こえ始める。

 もう始まっているようだ。

 何軒もの軒を横目に、伊織は旅籠池田屋へと一直線に駆け付けた。

 が、表口は入り乱れて逃げ出してくる使用人や女中で溢れ、とても中に入れる隙はない。

 表を守り固める武田や浅野の姿が認められたが、伊織はその場でぱたと足を止めると、苦渋の面で方向を転換した。

 裏口へ廻るしかない。

 出来ることなら、仲間の誰も死なせたくはない。

 だが。

 抜き身の太刀を構えて裏戸口から一歩踏み込めば、そこは既に諾々と血の瀰漫する地獄絵であった。

「!!! ……奥沢さんッ!」

 敵の太刀に斃れた奥沢栄助の身体が無造作に横倒しになっている。

 裏の守りに着いたらしい他の二名も、ともに 散々斬られた挙句に、最早起き上がることも意のままにならないようである。

 敵の何人かは既に遁走したのだろう。

 これだけ襤褸切れの様に斬り裂かれた三人を見る限り、奴らも余程に必死であるようだ。

 伊織はすぐさま奥沢に駆け寄った。声を荒げて何度も名を呼ぶが、既に奥沢の息はない。

 その身体を揺さ振る伊織の手にも、どす黒く流れ出した血痕がぬめりを帯びて纏い付いた。

(もう、駄目だ……)

 他に倒れた安藤と新田にしても、時折微かに呻き声が上がるが、それ以上のことはもう出来ないようだった。

 生まれて初めて目の当たりにする惨状に、全身が総毛立つ。

 気分が悪かった。

 この蒸し暑さと、周囲に満ちた血と脂の臭気に喉が詰る。

 生殺与奪の権利はない。自分がそれをすれば、未来が変わる。それは味方に対しても敵に対しても同じことであるはずだった。

 だが、そんな甘い考えでは、どうやらこの地獄からは生還出来ないらしい。

 一刻ほど斬り合って浪士の陰謀を阻止し、その一夜を以って新選組は歴史に名を残すことになる。

 一口に言えば何と容易いことだろうか。

 たった一文で言い表せる概要の、その実の何と凄惨なことか。

 伊織は奥沢から離れ、頭上を仰いだ。

 破られた二階の窓から、金属音と咆哮、そして斬られた敵のものか凄まじい金切り声が一連となって耳に届く。

 他の者は無事であろうか。

 それを確かめたくもあり、早々に救援を呼びたくもあった。

 二階からは、近藤のものと思しき咆哮が引きも切らさず轟いている。しかし、同じく二階で戦っているであろう沖田の気合は一つも聞こえないような気がする。

 考える間もなく、伊織は太刀を納め、代わって脇差を抜いた。

「もうすぐに井上さんか土方さんが到着します。お二人とも、それまで死んでは駄目ですよ!!」


 

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