第二十七章 多事多端(1)
遠くに祭囃子を聞いていた。
噎せ返るような熱気と、胃の腑が煮え滾るような緊張の中で、伊織は無我夢中で脇差を振るう。
暗がりの中で自ら腹を裂く、男の姿。
夥しい鮮血が迸り、その肉を引き裂く音が耳に纏わりつくように響く。
低く重い、くぐもった呻きと共に、その手に握られた刀身が男の腹を殊更深く抉った。
双眸は飛び出さんばかりに見開かれ、外からの僅かな光に照らされて、まるで異形のようにすら見える。
壮絶なその自刃を見守り、伊織はその手の脇差を振り上げると、男の首目掛けて白刃を振り下げた。
血潮を噴き上げ、その男は前へのめるように倒れ伏す──。
「────っ!!!」
余りの悍ましい光景に、伊織は跳ね起きた。
夢だ。
暫く見ないと思っていたが、新選組の屯所に戻ってきたことが引き金となったか、池田屋で見た光景の夢だった。
外は既に凍えるような寒い季節だというのに、飛び起きた身体はぐっしょりと汗に濡れ、心臓の音も直に聞こえるほどに大きく早い。
酷い悪夢だ。
いや、あれは夢ではなかった。
宮部鼎蔵の自刃は、実際に起きたことだ。
そして、その介錯をしたことも。
布団を捲り、未だ震えの収まらぬ右手を見詰める。
人間の肉を斬る、あの感触が今もまざまざと手に残っていた。
この世の地獄というのは、ああいうものだろうか。
その地獄に身を置き、命のやり取りをしたという実感が、否応なく蘇る。
乱れた呼吸を落ち着けようと、伊織は褞袍を引っ掛け、台所に向かった。
明け方も近い頃か、寝静まった中をそろそろと歩く。
締め切った戸の向こう側から、時折寝返りを打つ音や鼾、微かな寝言も聞こえていた。
暗い屋内は不気味だが、そうした隊士たちの気配に安堵出来るのは、大所帯ならではだろう。
台所の甕から水を一掬いすると、伊織は乾いた喉に流し込んだ。
ふぅ、と息をつき、漸く人心地が付く。
今更だろう。
この時代に、この組織に身を置くからには、避けては通れない。
あれからも剣の稽古は続けている。
腕が上がったかと問われれば然程の上達はないかもしれない。
だが、腕は上げていかねばならないと強く思っていた。
そうでなければ、早々に死を以て退場を強いられるのは、他でもない自分自身だ。
池田屋で起きたことは、あれで良かった。今もそう信じている。
元治元年に突然放り込まれただけの、何の力も繋がりもない自分が、この時代の大局を動かすことは限りなく不可能に近い。
ここでこうしていれば、こんなことをしなければ或いは──、などというのは、すべて後世の視点だから言えること。
考えたことがないわけではない。
命を落とすには余りに惜しい人物が、この時代には多過ぎる。
動乱の中で露と消えゆく者の名は、枚挙に遑がない。
逆に、動乱期の今だからこそ、そうした人物が多く育つのであろうか。