第二十六章 知己朋友(5)
「俺はいい加減こいつのお守役から開放されたいから一向に構わんが」
寧ろこっちから捨ててやりたいだとか宣う尾形に、沖田はぐいぐい膝を詰める。
「そう言わないで聞いてくださいよぅ。私がどんなに口説いても高宮さん一っつも振り向いてくれないし、黒谷でお偉方とも仲良くなっちゃうし、奥向きにまで顔広げちゃうし、佐々木さんと剣稽古は愚か文通まで始めちゃって……」
「文通は誤解ですよ!?」
佐々木と文通は断じてあり得ない。
そう言い切ると、沖田はあからさまに仏頂面を作る。
「でもそれ以外は全部本当の事じゃないですか?」
「う……」
と、言葉に詰まるくらいには、まあまあ事実を列挙されていた。
「もしかして本当に会津に帰っちゃうこともあるかと思って、私は……」
沖田は伊織が女子であることを知っている、数少ないうちの一人だ。
会津本陣の公用方は兎も角、奥向きに縁が出来たとなれば、下働きでも何でもより安全な場所へ転がり込むことも出来た可能性もある。沖田が内心でそう考えたとしてもおかしくはなかった。
「沖田さん……」
「戻って来たんですねぇ、本当に」
しみじみと呟く声に、伊織はじわりと目頭が熱くなるのを感じた。
これ程までに心を砕いてくれる沖田に、自分は何を以て応えるのか。
「勝手をした分、以後は職務に励みますね」
今はまだ、その程度しか言えなかった。
不甲斐無さに自己嫌悪が擡げるが、事実、自分に出来ることはまだまだ少ない。
そういえば、と沖田は話を接ぐ。
「公用方では、雑用も多かったんじゃないですか?」
「そうですね。雑用と、何というかまあ――、殆ど手習いをさせられてました、ね」
広沢からちくちく小言を食らいながら、正しい文書の記し方、記録と書状の書き方など、幾度も練習させられたものだ。
「……手習い、ですか」
にこにこと上がった口角はそのままに、呆れか驚きか、沖田の目から微笑みが失せた。
「公用方はいつから寺子屋になったんだ?」
「いえ、言いたいのは分かりますけど、尾形さんはちょっと歯に着せる衣を一、二着ばかり買って来てください」
文字そのものは、当然伊織にも書ける。楷書やそれに準じた字体を読むことも、当たり前に出来る。
問題は旧字体や崩し字、書状や記録の体裁、書き言葉や文章そのものだ。
こればかりは馴染みがあるはずもなく、未だに怪しい。
伊織の元居た時代でも、作文が書けるからと言って、社会的に通用する公的な書類を作成出来るかと言ったら、そう簡単にはいかないだろう。
「読み書きもそこそこ出来るようにはなりましたし、広沢さん怖かったけど今では感謝してるんです。根性だけは認めてもらいましたし」
己が異なる時代の人間だからと、心のどこかで出来ないことを正当化していたように思う。
出来ないことを出来ないままにしない。
やればやっただけ実力になるのだ、ということをも教えられた気がする。
「何だか小さな子供みたいな話ですけど、やっぱり、出来ることが増えると嬉しいものですね。でも広沢さんは怖かったです」
重要なことなので、二度でも三度でも言う。
職務に従事する間の広沢は怖かった。
すると、じっと耳を傾けていた沖田と尾形も、どちらからともなく顔を見合わせる。
そうして、互いに何か通じたものがあったのか、珍しく尾形までもが笑顔を見せたのであった。
***