第二十五章 天真流露(6)
***
時尾が高木と再会を果たした、その日の夕刻。
黒谷本陣の外廊下を、どかどかと荒々しく歩く足音が二つ。
「おまえは本当にそれで良いのか!? 今ならばまだ、間に合うのだぞ!」
「いい加減しつっこいですね、佐々木さんも!」
「おまえはもう充分に頑張った。もう良かろう! 女子の身を隠したとて、いつまでも欺いていられるものではないのだぞ!?」
「わぁーってますよ、んなことは!」
追う者と追われる者、二人の距離は一定に保たれている。
背後にべったりとくっついて来る佐々木に業を煮やし、伊織は少々意地悪をするつもりで前触れなしに足を止めた。
「ぬおっ! 危な……っ!!」
「おぎゃっ!?」
「き、急に立ち止まるとは、危ないところであったぞ!」
とか何とか言いつつ、佐々木は急停止を良いことに、背中から覆い被さるように抱き付く体勢になる。
あまりにしつこいので少し驚かせてやろうと思ったのだが、どうやら裏目に出たらしい。
「佐々木さん、気色悪いんで早いところ放して頂きましょうか。っていうかどさくさに紛れて変態行為はやめて下さい」
「どさくさに紛れでもせねば、こんな機会はそうそうなかろうが」
「いいから放せよ、っていうか開き直んな! 要らん誤解を招くだろーが! せいやっ!」
伊織は気合を入れて佐々木の鳩尾に肘を打ち込む。
肘の一撃をまともに食らった佐々木は潰れた蛙のような声を上げ、漸くその腕が解かれたのだった。
「大体、時実が無事に戻ったんですから、私がこれ以上本陣に留まる理由もないでしょう。最初から期間限定の出仕という約束だったんですし」
やれやれと溜め息交じりに言い、伊織は佐々木に向き直る。
佐々木に絡まれるのは、新選組にいようが黒谷にいようが変わらない日常のようだ。
木枯らしが吹く外廊下は身震いするほどの寒さだが、佐々木と話すのにわざわざ部屋に通すまでもない。
「それとも、私が新選組に戻ったら、何か都合の悪いことでもあるんですか」
「そういうわけではないが……」
「だったら別にいいじゃないですか」
しかし、暗がりの廊下に立つ佐々木は一層顔を曇らせた。
「本陣へ来る前のおまえは、いつも何かに気を張り詰めて、傍で見ている私の方が息苦しくなったものだ。だが、ここに来てからというもの、おまえの纏うものが和らいだ気がしてな……」
少なくとも、鬱屈したものがなくなったように見えた、と佐々木は言う。
「本陣に残る理由がないと申したが、ならば新選組に戻る理由はあるのか?」
「ですから、元々そういう約束だって――」
「そうではない。約定の話ではないのだ。おまえ自身の心に、戻る理由はあるのかと尋ねているのだ」
業を煮やした伊織の声を遮り、佐々木は真っ向から問い質す。
稀に、本当にごく稀に見せる、凄味のある視線が伊織の双眸を射抜いた。
「……私の、心に?」
鸚鵡返しに問う伊織に、佐々木はただ黙って頷く。
鋭い視線に気圧されたせいか、呑み下す唾がごくりと喉を鳴らした。
「私は以前、おまえを引き受けると申し出た。その意志は今も変わってはおらぬ」
普段ならば軽薄に聞こえる話が、今はその真摯な眼差しゆえか、決して戯言には聞こえないから不思議だ。
「明日まで待つ。明日、改めておまえの答えを聞かせてもらいたい」
***
思いがけず真剣な佐々木の態度を目の当たりにし、伊織は結局眠れぬ一夜を過ごした。
思えば佐々木の発言で眠れぬ夜を過ごすなど、これが初めてかもしれない。
だが、翌朝伊織に訪れたのはもっと衝撃的な現実であった。
梶原に呼び出され、その執務部屋を訪れた伊織を待っていたのは、少々意表を突く面々。
梶原の他に容保側室の名賀、手代木直右衛門、そして何故か斎藤一が揃っていたのである。
「わ、私が名賀様の側用人って、どういうことですかっ!?」
極めつけはこの用件だ。
俄かに耳を疑った伊織が声を裏返して問うと、梶原が呵々と笑う。