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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第二十四章 千荊万棘【後篇】(5)



 名賀付きらしい侍女も一人、その後からついて来ていたが、毅然とした名賀とは対照的に、侍女はおろおろと頻りに周囲を窺っていた。

 名賀は敷居を越えてすぐに立ち止まり、伊織に食ってかかっていた佐々木を一睨みする。

「とりあえず、そこのおまえ! 伊織殿に詰め腹を切らせようなどと、滅多な事を申すでないわ!」

「ぬぉっ!? ちちち違う! 私はそんな話をしていたわけでは――」

「ええい黙りおれ! 縁起でもないことを申していたのは事実であろう!」

 咄嗟に頭を振って否定する佐々木を、名賀は更に詰る。

「そもそも何です、伊織殿に向かって女子だなどと! 伊織殿とて立派な殿方、そのような侮辱は許し難い! おまえは目でも腐っておるのか!」

「うぬっ!!?」

 登場するなり辛辣な言葉をぶつけ始める名賀に、佐々木の眼は愕然と見開かれる。

 何か反論したいようだが、思うように言葉が出てこないらしい。

 人間、沸点を越えると声さえ失うようだが、興奮状態を一気に煽られた佐々木の蟀谷には、隆々と青筋が浮いている。

 しかし、名賀は今にも悶死しそうな佐々木を鼻で嗤い、これでもかというほど踏ん反り返った。

「ほほほほ! ああら、いけない。わたくしとしたことが、勢い余ってつい間違った事を申してしまいました。……腐っているのはおまえの目ではなく、おまえの頭でしたわね!」

「!!? んななななななな――っ!!!?」

 目の前で顔を真っ赤にする佐々木には、最早冷静さのかけらもない。武人にあるまじき醜態と言って良い。

 名賀の言い様もかなりのものだが、佐々木の憤りも度を超している。

(……でもまあ、名賀様のお陰でおっさんの攻撃を回避出来た……の、かな)

 調役の藩士たちからなら兎も角、思わぬ方向から飛んできた征矢に、伊織も怯んでいたところだ。

 名賀が伊織を男であると明言してくれたことは、何より心強い。

 得難い味方の登場に安堵する。

「さあ、今すぐに今の非礼を詫びなさい。今すぐに詫びれば、きっと伊織殿も水に流してくれるでしょう。おまえと違って、伊織殿は穏やかで思慮深い殿方ですもの」

 ふん、と鼻を鳴らして凄む名賀を見上げ、更に憤りに顔を真っ赤にする佐々木を見遣り、伊織はたった今感じた安堵感を拭った。

 ホッとしている場合ではなさそうだ。

(名賀様も名賀様だけど……)

 佐々木の手が今にも抜刀しそうに見える。

 剣豪が聞いて呆れるし、大人げないことこの上ない。

 対する名賀は、これが全く動じていない。伊織でさえ時に怯まされる佐々木の威圧感を受けても顔色一つ変えていないのだから豪胆なものだ。

 本当ならば仲裁すべきところだろうが、二人の論点が他ならぬ自分自身というだけあって、どう仲裁してよいものか悩む。

 ついでにこのまま問題自体が有耶無耶になってしまえばいいのに、と虫のいい考えも頭をよぎる。

「ふん……、大方、衆道の気でもあるのでしょう。伊織殿に懸想して、なお且つ己の体面を保ちたいがために、伊織殿を女子に仕立て上げようという浅はかな愚行に走っているのに違いありませんわ」

「なっ何を馬鹿な! 罷り間違っても衆道などありえぬわ! 名賀様こそ、如何に肥後守様の御側室といえ、余りにお言葉が過ぎましょうぞ!」

「ほほーう? おまえ、衆道こそ否定するようだけれど、伊織殿に懸想していることは否定しないのですねぇ?」

「ぐぬっ…!! がはぁっ!!」

 佐々木はどうやら痛恨の一撃を食らったらしく、やけに目を剥いて大袈裟な苦悶の表情になる。吐血でもしそうな勢いだ。

「あー……まあ、その、ちょっと二人とも落ち着いて――」

 と、当事者自らが宥めるのもおかしな話だが、伊織はどうにも居た堪れず口を挟む。

「くっ……これが落ち着いてなどいられるものか!」

「ほほほ、おまえなどに伊織殿を渡しはせぬわ!」

(ええー? どういう流れになってんだ、これ……)

 何故、名賀が佐々木を相手に伊織を奪い合わなければならないのか。

 予期せぬ名賀の登場に、詮議の場は殊更妙な展開を見せたのであった。


     ***


 昼下がり、斎藤はぶらりと清水寺の界隈に来ていた。

 当て所もなく歩を進める斎藤の隣には、実に楽しげな笑顔の大柄な男が、これまた実に軽快な足取りで並び歩いている。

 

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