第二十四章 千荊万棘【後篇】(3)
確かに、自ら土方の許を離れる選択をしておいて、都合が悪くなれば助けに現れて欲しいなどと、今更そんな虫の良い話もないだろう。
けれど、この場に土方の姿がないことを悲観せずにはいられなかった。
***
「――時実は名賀様の守り袋を銜えたまま、舞台の下で掻き消えました。そこで消息を絶ち、行方は杳として知れぬままです」
「ふむ……、それで以上だな?」
梶原が尋ね、伊織はこくりと頷きながら「はい」と短く返す。
失踪時の状況を詳細に尋ねられ、伊織はそのすべてにありのままを説明してみせたのだった。
広沢からの直接の指示によって名賀の捜索と説得を試みたことから始まり、清水でのあの瞬間に至るまで。
そこに嘘を含めることは一切しなかった。
鷹匠頭に許可を得ることもなく、自らの判断だけで時実を黒谷の外へ連れ出したことも、事実のまま口述したのである。
容保の反応如何によって自らの処遇が決まるかと思うと、危機感と不安とで些か声が震えそうになった。
ぴんと伸ばした背筋も、やや強張った肩や手足も、少し気を抜けば一気に崩れてしまいそうな気がする。
一通りの状況説明を終えても、それは一向に治まらなかった。
その場に居並ぶ面々は一様に、「掻き消えた」というあたりで一層渋い顔になっていた。
「一つ問うが、その消えたと申すのは、何かの死角に入り込んだために見失った、という意味でよいな?」
調役と思しき初老の臣が問うた。
「いえ、信じ難い話かとは思いますが、本当に溶け入るように姿を消したんです」
大真面目に伊織が言って返すと、質疑を投げた臣は露骨に呆れた顔をする。
「そのようなことが起こるはずがない。これほど見え透いた虚言を信じる者はおらぬぞ」
疑念に満ちた眼差しを投げかけられ、僅かに怯みかけた伊織だが、それでも前言を撤回することはしなかった。
「時実がどこへ姿を隠したかは扨置き、この者が自らの判断のみによって時実を本陣の外へ連れて出たことは事実のようだ。ならば、然るべき罰は必要ではなかろうか」
調役の一人が言うと、他の面々も揃って頷き出す。
ありのままの事実を述べたことに悔いはなかったが、かえって雲行きが怪しくなり始める。
(やばい。切腹とか言われたらどうしよう……)
背中に嫌な汗が滲むのを感じ、伊織はあれこれと切腹回避策を模索する。
しかし今の伊織には、正直に陳述したことがそのまま仇とならぬよう願うしかなかった。
「いや、お待ち下され」
と、そこに口を挟んだのは、意外にも広沢だった。
「この者を預かり、その指導監督にあたっていたのは他でもない私だ。名賀様をお捜しし、その説得にあたるよう指示を下したのも私なのだ。こやつを庇うつもりは毛頭ないが、高宮にすべての非があるわけでないこともご承知頂きたい」
「ならば、広沢殿はご自身にも責があると申されるか?」
「無論、某も相応の処分は申し受ける所存。だが、高宮の独断と行動については、それはそれとして処分を申し渡して下されたい」
広沢は淀むところもなく、きっぱりと断言する。
(うっわー。やっぱり庇う気ないよ、広沢さん)
公明正大と言えば聞こえは良いが、仮にも部下である者を庇うつもりが毛筋ほどもないとは、広沢らしいと言うべきか。
だが、どちらにしろ不問に処される可能性は無いに等しい。
周囲の雰囲気はまるで刺すような険阻さを孕み、伊織は何度も姿勢を正し直す。
日頃は何かと鬱陶しい後見の佐々木ですらも、眉間に皺を寄せて押し黙っている。
(……っていうか、いたのか、おっさん)
どうやら、いつも強烈な気配を漂わせる佐々木の存在にさえ気が付けぬほど緊張していたらしい。
その上、実に不本意ではあるが、見慣れた顔がそこにあるというだけで、どこか安心感を覚えてしまう。
梶原や広沢も見慣れたと言えば見慣れた顔だが、未だ付き合いは短く、佐々木の顔に覚える安堵感には遠く及ばないのが現実だ。
勿論、この場に佐々木がいたからと言って、この局面を脱することが出来るとも思えなかったが。
それまで難しい顔で調役のほうをじっと眺めていた佐々木の視線が、ふと伊織に向けられた。
瞬間、何を言われるものかと身構えたが、佐々木は伊織の推測を裏切って、無言のまま再び視線を戻してしまったのだった。
(あれ、佐々木さんの様子がおかしい?)
この場面に限って言えば、それで普通なのだろうとは思う。
思うのだが――。