第二十三章 千荊万棘【前篇】(3)
からりとごく軽い音を立てて、火鉢にくべられた炭が転がった。
「副長。背中を丸めて火鉢にあたるには、まだ少し早いのでは?」
呆れた眼差しを向けつつ斎藤が言えば、土方はぎろりと凄味の利いた眼で睨み返す。
「うるせぇ。俺ァなあ、極度の寒がりなんだ。放っておけ」
「今からそれでは、冬など越せますまい」
「冬は冬で何とかする。それよりも、何か俺に話があってここにいるんじゃねえのか」
隙間風の一陣すら許さぬ構えでぴったりと締め切られた副長室の中、冷気すら漂いそうな斎藤の真顔が、こくりと頷く。
「いえ、この前高宮が一度屯所を訪れたらしい、と聞いたもので。もしや黒谷で何事かあったのかと」
斎藤の平坦な口調が告げた内容に、土方は一層顔を顰めた。
「何だァ? 高宮、ってなぁ、あれか。伊織のことか」
「他に高宮という人物を俺は知らない。どうやら山南さんを訪ねた後で、連れ立って出掛けたようだが」
「ほう? 俺ァ知らねぇな。大体、そこまで判ってんなら山南さんに訊きゃあ良いだろう。何故俺に訊く」
土方は傍らの煙草盆から煙管を手に取ると気怠げな所作で火を点ける。
まるで、どうでも良いことのように軽く受け流されているように感じ、斎藤はほんの僅か語気を強くして進言する。
「黒谷でのあれの動向、副長も一応は知っておいたほうが良いのでは?」
斎藤の見る限り、土方は伊織の黒谷出向後、一切その動向を探ってはいない。
時折沖田がこっそり覗きに行くことはあるようだが、それも土方の指示によるものではない。
ついでに後見として佐々木只三郎が付き、彼もしばしば黒谷へ出入りしてはいるらしい。
が、斎藤も佐々木の後見、監督などは最早烏滸の沙汰であると見做している。
隊に在籍しながら、黒谷に出仕する。その異例を監視しないのは、何故か。
斎藤にとっては些か引っ掛かる態度だった。
「出向先が黒谷とはいえ、隊士でありながら屯所からも隊務からも離れている者を、野放しにしておいて構わないのか? ましてや、今の高宮は些少なりとあんたに不信を抱いている。叛乱分子となり得るかは別として、牙を剥く可能性がないわけではない。そのくらいはあんたも承知しているだろう?」
鬼の副長らしからぬ、余りにも寛容に過ぎた措置ではないのか。
斎藤が冷静に詰め寄る。
すると、土方はすっと斎藤から視線を外し、煙の立ち上る煙管をコトリと静かに置いた。
「斎藤。あいつの身元、割り出してみろ」
「……身元を?」
斎藤の眉間がぴくりと狭まる。
土方の口からそんな言葉が出るとは、少々意外な気がしたからだ。
警戒心を促そうと吹っ掛けたのは確かに斎藤のほうだったが、まさか身辺調査の依頼という形で反応が返って来ようとは、斎藤も予測していなかったことだ。
「あいつぁ、自分じゃ会津の出だと言っているが、今のところそれを証明するものは何一つねェ。あれと会津藩と、何か繋がるところがあるのかを調べてくれ」
「副長がそう言うのなら、尽力する。だが、会津との関わりを示すものが何も見出せなかった時は、どうする」
的を会津に絞れば、何の情報も掘り起こせない場合もあるだろう。
調査すべきは会津のみなのか、と斎藤が婉曲に尋ねるも、土方はただ鷹揚に頷くのみ。
「そん時ァそれでいい。あいつの場合、それもある意味、身の上の証明になる」
「は? 何も報告出来なければ、なんの証明にもならないと思うが、それはどういう――」
「ああ、いや何でもねぇ。とりあえず、会津に高木小十郎って名の武士がいる。まずはその周辺を調べてみろ」
「高木小十郎……」
その会津藩士と高宮伊織との間に、土方がどんな関連性を思い描いているのか。
斎藤は瞬時に思考を巡らせたが、釈然とする答えを導き出すことは出来なかった。
「……分かった。探ってみるとしよう」
それでも斎藤は相も変わらず冷めた面持ちを崩さなかったが、土方の依頼をあっさりと呑んだ。
火鉢の前に折っていた膝を立て、斎藤は無駄のない所作で副長室の障子に手を掛ける。
「斎藤。下らん用事で悪ぃな、恩に着る」
土方が労いの言葉を掛けた。
隊務の遂行において、それは滅多にあることではない。
「あんたから労いを聞くのは気味が悪いもんだな」