第二十二章 理非曲直(7)
と、言い返したいのをぐっと堪え、尾形は一つ吐息を以って返す。
「あの伊東という男ですが、あまり気をお許しにならぬほうが宜しいのでは?」
さっきまでの上機嫌を吹き飛ばす勢いで近藤の顔が険しくなり、その目には矢庭に雷雲のようなものが立ち込めた。
明らかに不機嫌になっている。
勿論、尾形としても近藤の機嫌を損ねるのは覚悟の上で言った一言だったのだが。
「急に何を言い出すんだね、尾形君。君らしくもない」
「そうだぞ尾形! 伊東殿に失礼であろう!」
ここぞとばかりに調子に乗った武田が、鼻息荒く近藤を加勢しにかかる。
自分が可愛がられたいがために、力のある者に取り入ろうとするのは結構だが、逐一癇に障る取り入り方をする奴だ。
「貴様はあれだろう、自分より優れた者を見るとつい批判したくなる性質だな! しかし尾形、それは見苦しいぞ! ですよね、局長!」
「あー……、武田君、折角だが君はもういいから」
「んなっ!? 何故です、尾形はこれから隊に加わろうという伊東殿を端から敵視しているのですぞ?! これは由々しき問題ではありませんか!」
「武田君、君本当にちょっと黙っててくれんかね。で、どういうわけでそう思うのか、尾形君の意見を是非聞かせて貰えるだろうか?」
近藤はややうんざりした顔で武田を押し退け、尾形に向き直る。それが尾形には非常に小気味良かった。
その小気味よさが尾形の背を押した。
「確かに、伊東大蔵という人物は学に秀でた逸材かもしれません。ですが、彼は基礎から水府の学により育ってきたようなもの。その根底には佐幕に通ずる思想など無きに等しいのでは?」
今日の対談でも、尊皇や攘夷の点についての話は出た。だが、近藤の側が少しでも佐幕の色を滲ませれば、伊東はゆるりとそれをかわして、近藤が気付かぬよう話の腰を尊攘に傾けていた。
帝が朝廷が夷狄が、と、さりげなくそういう主語に重きを置いて話していたのを、尾形は漏らさず聞いていたのだった。
「我々新選組は、佐幕を土台に集った組織です。局長もその上で尊皇や攘夷の志を抱いておいででしょう。しかし、彼らの土台は佐幕ではない」
一度内部に引き入れてしまえば、伊東が新選組を土台から引っ繰り返すことさえも考えられる。優秀な人物であるだけに、決してあり得ぬ話ではないのだ。
「ええっ!? 尾形さん、まさか伊東先生のこと疑ってるんですか? それなら俺が保障しますよ! 伊東先生はそんなことをする人じゃないと思います」
慌てて間に入り込んできたのは、藤堂平助。嘗ては伊東の門下に納まっていた新選組切っての若年古参隊士である。
「ちょっと変わった人ではあるかもしれないけど、悪い人じゃないのは俺がよく知ってますから」
嘗ての師を悪者扱いされた気分にでもなったのだろうか。藤堂は頻りに伊東を庇う。
が、尾形は敢えて言い返さず、げんなりと鼻で吐息した。
「うわ、何だよー! その鼻溜め息! 尾形さん、今のすっげ感じ悪いって!」
「あのなぁ。悪いと思って己の思想を貫こうとする奴なんか、そうそういないものだ」
「けど、伊東先生は大丈夫だって!」
言い返し方が、実に若い。尾形自身も若いほうだが、藤堂は未だ二十歳そこそこ。無理もないだろう。
尾形へ懸命に吠え立てる藤堂を宥め制して、近藤が口を開く。
「ははは! まあ君の懸念も分からなくはないのだがね。俺には伊東殿がそんなことを企てるような御仁には見えなかったぞ?」
それに、と続けて、近藤はその斜め後ろでしょんぼりと肩を窄めている武田に目配せる。
「武田君の言うのにも一理ある。これから仲間になるかもしれない者を、端から疑ってかかるのもどうだろうか。我々が彼らに疑念を抱いていると思われれば、それこそ彼らを敵に回してしまうかもしれん」
「ですが、局長。もし私の所見が当たっていれば、事は大事に――」
「なぁに、そう闇雲に疑ってかかることもあるまい。伊東殿ならばきっと我々の力になって下さるだろう」
近藤は一笑に付して尾形の肩をぽんぽんと叩いた。
そんな近藤の背後で、実に良い顔をして笑う武田に腹が立ったのは言うまでもない。
【第二十二章 理非曲直】終
第二十三章へ続く