第二十二章 理非曲直(4)
そして、それに抗い、新たな道筋を切り開く術など皆目見当もつかない。
暗い、この時代の夜の闇のただ中に置き去りにされたような気がしてならなかった。
***
どれほどの間、屯所の様子を眺めていただろうか。
それまで風と虫の声しかなかった静けさの中に、砂利を踏み締める音が割って入った。
それは伊織の足元から起こった音ではなかった。
今も暗い夜陰の中にある、屯所の中から聞こえてくるものだった。
(ああ、まずい。誰か来るな)
本来、現在も一応は隊士の一員であることを思えば、何もまずいことなどないはずだったが、こんな目も利かぬ夜半にただじっと突っ立っていれば、不審に思われても文句は言えない。
少し長居をし過ぎたかと、伊織は黒谷の方向へ踵を返した。
踏み出した伊織の下駄が砂を噛むと、屯所の中から聞こえていた砂利の音が止み、代わりに下駄が敷石を鳴らす、からんという高く渇いた音が響いた。
「おや、帰ってきたのかと思ったら、もう思い直してしまったんですか」
夜の静けさを破ったその声は、明るく弾んだものだった。
咄嗟に背後を振り返ったが、屯所の門から出てきた人影が誰のものなのか、瞬時には判別がつかない。
夜陰の中に、更に深い闇の色をした人影だけが伊織の視界に入る。
「……」
よくよく凝視するも、かの人が割合に大柄な人物だと知るのがやっとである。
「やだな、私ですよ。そんなに身構えなくても、別に取って食ったりしませんってば」
人影が朗らかに笑う声を聞き、伊織は漸くその声の主を知った。
「沖田さん……!」
それがよく見知った相手と分かると、身体は不思議なもので、殆ど反射的にその人の許へと足が向かっていく。
屯所の門から表へ数歩というところまで、互いに歩み寄っていた。
「こんな時間に、外出ですか?」
「高宮さんこそ、こんな時分にどうしました? ふふ、さては夜這いですね?」
「よ、よば…っ!? 違いますよ! 広沢さんのお遣いの帰りです!」
斜め上を行く沖田の発言に仰天し、伊織は思わず大きな声で否定する。
と、沖田は然して悪びれる風もなく、自らの口許に人差し指を立ててそれを制する。
「だめですよ、近所迷惑でしょう」
近所は主に田畑が広がるばかりなのだが、既に休んでいる隊士もいることだろう。伊織は慌てて声を抑えた。
よくよく目を凝らせば、沖田の格好は寝巻の単衣を着流した上にどてらを引っかけただけで、とてもこれから外出しようという格好には見えない。
そんな格好をしていても、しっかりと二本は腰に手挟んでいるところを見ると、就寝していたところを飛び起き、慌てて飛んできた、という風にも思えなかった。
予期せぬ沖田との遭遇に、伊織は首を傾げる。
「鳥の声がしましてね」
「は?」
まるで、伊織の内心を見透かしたように、沖田は表へ出てきた理由を語る。
「障子戸の外で、鳥の鳴く声が聞こえたんですよ。夜中に鳴く鳥なんて、もしかして伝説に聞く鵺かなと思って、戸を開けてみたんです」
そうしたら、すっかり落葉した庭の灌木の枝に、鳥がいたという。
数拍の間、鳥は沖田を凝視していたが、やがて枝を大きく撓ませて屯所の門を悠々と飛び越えていった。
「結構大きな鳥に見えたのに、羽音も立てずに、すいーっと滑るような飛び方でしてね」
「大きな鳥、ですか」
「ええ、梟には見えなかったから、鷹か鷲か……。いずれにせよ、猛禽類じゃないかな」
要するに、その鳥を追って出てきたらしい。
そして門を出たところで、伊織の人影を見つけたのだろう。
「鳥を追いかけて夜な夜な徘徊するなんて……、何だろう、沖田さんて結構夢見がちなんですか……」
「うわ、そんな言い方はないですよ。そのお陰でこうして再会出来たんですから。隊に戻るなら、ね、ほら、私が土方さんのところまで付き合いますよ」
どうやら、先に述べた「広沢の遣いの帰り」という一言は、沖田の耳には届いていなかったようだ。
伊織が隊に戻りたくなって門前まで来たものの、帰りづらさを感じてやはり引き返そうとしていたのだと、どうも沖田の目にはそのようにしか映っていないのだろう。