第二十一章 各人各様(7)
仕草に見惚れたというよりは、山南が話を切り出すのを待った、と言ったほうが正しいのだが、待つうちにいつしかその仕草を目で追ってしまっていたのだ。
幾つもの行灯で橙に染まる部屋の至る所に瀟洒な細工が施され、きらびやかに光が踊る。
外もまだ僅かに日が残り、格子のついた窓からは、淡く薄紫に変わりゆく宵の空が覗けた。
「どうだい、黒谷はもう慣れたかい?」
普段通りの穏和な調子で、ようやく山南が声を発した。
一先ず山南の傍らに膝を折った伊織だが、遊郭という場所のせいか、何となく落ち着かない。
わざわざ屯所を離れてのことだ、恐らくは隊内部の者にあまり聞かれたくない話でもあるのだろう。
そんな予想を抱きつつ、山南の質問に笑顔で首を縦に振る。
「ええ、もう大分」
新たな環境に全く問題もない様子を装ったが、完全な肯定では勿論ない。
正直なところを言えば、黒谷での生活にも人間関係にも、そこそこ慣れたというだけで、すっかり馴染めたというわけではない。
与えられる仕事は雑用ばかりだったが、その雑用すら満足にこなせない日々が続いている。現在も手習いは日課だったし、職務と言うには少々おこがましい感じがする。
広沢をはじめとする公用方の人間は皆、来る日も来る日も方々へ出掛けて行く。
彼らはそれぞれに重要な役目を背負って外交に精を出している。それだけは雰囲気から何となく察せられたが、伊織のように公用人に随行を許されない者には、実際に彼らのこなす仕事がどんなものなのか、知る由もなかった。
「私がお暇を頂戴しているうちに、新選組にも新入隊士が入ったみたいですね」
「うん? ああ、三浦君のことかい?」
終始憮然とした様子だったが、まだ若く血気盛んな印象を抱かせる青年――いや、まだ少年と言ったほうがしっくり来る容姿をしていたかもしれない。
つい先刻、初めて見かけた隊士の顔を浮かべて、伊織はふと奇妙な疎外感を覚えた。
生きる時代を異にするが故に感じる隔たりとは、また違った感情だった。
彼が新選組に来たのは、伊織が黒谷へ出仕して間もなくのことだったろう。
自分と入れ替わるように新選組に身を置く彼を、伊織はそのどこかで羨ましく思った。
彼が入隊したことで、新選組には自分の居場所が既になくなってしまったように思えてくる。
ほんの二月の期限付きで暇を貰っただけだというのに、すっかり部外者になってしまった感が芽生えた。
果たしてこれで、期限を迎えて屯所に戻ったとして、そこに変わらず自分の居場所はあるのだろうか。
ほんの一瞬よぎっただけの、一抹の不安がいやに膨らんでいく。
山南を前にして、つい、その不安に呑まれそうになったが、伊織は気落ちしかけている自分に気付き、内心で慌ててかぶりを振った。
黒谷への出仕を望んだのは、他でもない伊織自身なのだ。
そう言い聞かせて持ち直した矢先、山南はふっと短く嘆息した。
「彼――、いや、三浦君なんだが、目下のところの問題児でね。さっきの通り、意気込みと矜持だけは一級品なんだが……」
山南は途中で一旦言葉を区切り、冷酒の入った徳利を手ずから杯へとくとくと注ぐ。
さらに山南は伊織にも杯を勧めてきたが、下戸を理由に愛想良くそれを辞退した。
「こう言っては何だけど、彼は特別腕が立つわけではないし、何より――」
そこまで絶えず微笑を湛えていた山南の目に、急に陰りが差した。
「何より?」
「佐久間象山殿のご子息、というのが――、ね」
「佐久間象山の、子息? 三浦さんが、ですか?」
佐久間象山といえば、松代藩真田家に仕える下級武士の出。西洋の学問に通じ、発明家としても知られる、稀なる逸材だ。
(でも、確か佐久間象山って――)
伊織は一瞬考え込んだ。
そして、もう一度山南を見る。
「佐久間象山は、確か既に……」
伊織が皆まで言うより早く、山南は物静かに頷いた。
「残念なことに、もう亡くなられている」
やっぱり、と思い、伊織は自分の思い返した記憶の正しかったことを知る。
「象山殿は、公武合体、そして開国論者だったからね。西洋かぶれの彼が尊攘志士たちに狙われるのは、火を見るより明らかだった」
象山の死は暗殺だった、と山南は続けた。
「その子息が、三浦敬之助。本名は佐久間恪次郎。今日、君が会った彼なんだよ」