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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第二十一章 各人各様(2)



「ピピィ」

「何か面白いことないかしらねぇ」

「ピーーィ、ピー……」

 空は高く澄んでいる。

 黒谷の景色は相変わらずの様相だ。

 夏の熱気を忘れた涼しい風に髪を靡かせ、時尾はくるりと後ろを振り向いた。

「公用方っていわゆる閑職なわけ?」

「ピピィピピィ?」

 成鳥となったピヨ丸改め時実も、どうやら時尾の口調を真似ているらしい。

「ねぇねぇ、何か面白いことないの?」

「ピーピー、ピィイ?」

 時尾のぼやく声と時実のピーピー鳴く声に、伊織はついに怒声を上げた。

「やかましーーい! 暇なら手伝ってくださいよ!」

 かしゅかしゅと音を立てながら、伊織は少々乱暴に墨を磨り続ける。

「ったくもう、広沢さんが戻る前に料紙から何から揃えておかなきゃならないんですからね! ちょっとでも遅くなるとプリプリ怒るんですから、邪魔しないで下さい」

「ええー、邪魔なんてしてないじゃない。ただ此処に佇んでるだけよ?」

「ピー」

「いてもいいけど、暇暇言うのはやめてください!」

「だって暇なんだからしょうがないじゃない」

「だぁっから暇なら手伝えっての……!」

 そもそも公用方は決して閑職ではない。

 国許と江戸から集められた優秀な人材の揃う、いわばエリートなお役所なのである。

 公用方の中には、特に代表して外交に従事する「公用人」と、公用人を補佐する「公用方勤」とがあり、広沢はその公用方勤の職にある。

 ゆえに言うなれば、伊織の職務は公用方勤の補佐ということになるだろう。

 外交とは、朝廷や幕府を相手に全面的な対応を担う他、他藩の動向に目配りする役目も含まれている。

「さて、あとは料紙を揃えて……」

 墨を磨り終えると、伊織はすっと立ち上がり、書棚からまっさらな料紙を取り出した。

「とりあえず、広沢さんに怒鳴られるのは避けられた」

 いつあの仏頂面で戻ってくるかと内心焦っていたが、何とか間に合ったようだ。

 ほっと息を吐くと同時に、荒々しい衣擦れと足音が聞こえた。

 広沢だ。

 そう直感して間もなく、案の定広沢が姿を表した。

「あ、広沢さん。お帰りなさい」

「ああ」

 辛うじて返事はあったが、広沢の顔色はなかなかに優れないようである。

 いつにも増して眉間の皺が多い。

 伊織と目を合わせるでもなく文机に向かい、広沢は重い吐息を漏らした。

(景気悪そうだな、広沢さん)

 ぼんやりその背中を見詰めていると、広沢の傍らへ時実が擦り寄っていった。

「ピィ」

 時実の声色も、どこか慰めているような控えめなものだ。

 ばさばさと三度羽ばたき、時実はきょときょとと左右に首を傾げながら、広沢を見上げる。

「ピヨま……いや、もう時実であったか。慰めてくれているのか?」

 物言わぬ鷹に触れ、広沢は苦笑する。

「高宮」

「えっ」

 時実の身体に触れる広沢に、唐突に名を呼ばれた。多少の不意を突かれ、伊織は弾かれるように返事をする。

「あ、はい、何か?」

「いや、老後はのんびりと牧場でも開きたいものだな、と思ってな」

(!? ど、どうしたんだ広沢さん……)

 広沢安任、齢まだ三十代半ば。

 その横顔には、げっそりとした疲弊が窺えた。

「ぼ、牧場ですか……」

「牛や馬はさぞ良いだろうなぁ」

「……」

「本能のままに生きるものの前には、人間の争いなどどうということもない。生くるも死せるも自然任せだ」

 その口調は実に柔らかだが、どういうわけか広沢のいつもの覇気は感じられない。

 独り言のような彼の言葉に返す言葉を見つけられず、伊織は相槌を打とうと開きかけた口を再び結んだ。


 

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