第二十章 愛別離苦(5)
他を当たってみることです。と、露骨にがっかりした風に突っ撥ねる。
すると、肩肘を張って目をぎらつかせていた高木が、目にも明らかに悄然となった。
「……そうか、おらんか」
身を乗り出していた姿勢も解き、しおしおと元の位置へ戻る。
「貞は私の娘なのだ。卯月に黒谷を訪れ、我が殿に目通った後、京見物していたらしいのだが……。それ以後の消息がぱったりと途絶えてしまっている」
高木は低い声ながら細々と語る。
土方としては別段そんな身の上話を聞くつもりは毛頭なかった。が、一度は立ち上がった沖田が、何故かもう一度座り直したのを見ると、渋々己も耳を貸すことにした。
「皆、娘はもうこの世にないだろうと言うが……。しかし、それでも私は娘がまだ生きていると信じている」
「ふぅん。行方不明、ってぇわけだ」
「娘はもしや、何者かにかどわかされたのでは、と思うのだ」
高木の面持ちは、語るほどに悲痛さを帯びていくようだった。
娘の生死も分からぬ状況というならば、確かに気の毒なことだ、と土方も思う。
「それで? 行方を眩ます直前を知ってる奴ぁ、全くいねえってんですか」
土方はそう問うと同時に、若い娘が失踪する理由など、大方惚れた男と駆落ちした程度だろう、と高を括る。
だが、高木は土方の問いに一言も答えることなく目を伏せ、黙り込んでしまった。
「……ああ、いや、申し訳ない。別に詮索しようとか、そういうわけじゃあねえんだ。そりゃ言いたくねえこともあらぁな」
これは何か言い難いことがありそうだ、と土方は睨む。
いよいよ駆落ちの線が濃い。
武家の娘がそこらの男と駆落ちなど、いかにも外聞が悪い。
その後も暫時押し黙っていた高木だが、ようよう顔を上げると、意を決したかのように口を開いた。
「どうやら娘は――」
(……どうせ駆落ちだろ、勿体振んなよ)
おざなりに耳を傾けつつ、土方は冷めかけた茶を一口啜る。
「娘は、清水の舞台から転落したらしい」
「ブフォッ」
飲み込む直前、土方は盛大に茶を吹き出した。
緑茶は見事に正面の高木を直撃し、綺麗に整えられた月代を滑って、雫が額からぽたぽたと滴る。
当然と言えば当然だが、高木のその顔は別な意味で深刻そうである。
「清水の舞台から飛び降りたァ!?」
「飛び降りたのではなく、転落だ!」
「似たようなもんじゃねえか! なんだそりゃ、自害か?」
「ちょっと土方さん、言い方が露骨ですよ」
あまりに直球な質問を口走る土方を、沖田が慌てて宥める。
実際に娘を失ったかもしれない人間の前で言うには、自害という言葉は少々躊躇うべき物言いだ。
「自害ではないと思っている」
「んじゃ何でえ、誰かに突き落とされたか」
「いや、娘は誰かに恨みを買うような人間ではない」
「……にしても、随分衝撃的じゃねえか」
土方の予想を遥かに超えた証言であった。
未だ驚愕の最中にある土方を尻目に、高木は更に続ける。
「落ちたはずの娘が、今も見つかっていないのだ。死んでいるなら遺体があるはず……、しかし、草の根を分けても、音羽の滝まで調べてみても、遺体はどこにもなかったそうだ」
それを最後に、貞に関する情報は何一つ伝わってこないという。
土方も沖田も、言葉すらなく渋面を作ってい聞いていた。
「新選組の隊士に、貞によく似た者がいると聞き、万に一つの可能性を求めてもいたが……。よく考えてみれば、ここは女人に務まるような生易しい場所ではなかったな」
高木は力なく、息混じりに自嘲する。
確かに、女人の入隊は認めていない。
たとえどんな女傑であろうと、入隊させたところで実際の隊務について来れるものではないと、土方も考えている。
だが。
だがしかし、である。
(いるんだよな。女人ってぇか、童女みてえなのが、一人)
その上、いつか似たような話を聞いたことがあった気がする。
(あいつも確か、清水の舞台から……だったよな)
自ら儚くなろうとするか、誰かに突き落とされるかでもしなければ、そう簡単には転落したりしないだろう。
尤も、土方の心中に描く人物の場合は、何者かに突き落とされたというものだが。
「ねぇ土方さん」
沖田が真正面の高木に釘付けになったまま、曖昧な声を出した。
「私、何だか貞さんに似てる人を知ってるような気がしてきたんですけど……気のせいですかね」