第二十章 愛別離苦(3)
まさか鷹の世話なぞ任せられるとは思いも寄らなかったのである。
ただでさえ公用方の見習いで右往左往しているというのに、この上時実の面倒まで見られるはずがない。
ここはたとえ失礼に当たろうとも、正直に断ってしまったほうが身のためである。
「恐れながら、殿。私は公用方の見習い中でもあります。時実様の御世話までは……」
「何、身の回りの世話をしろと申すわけではない。どちらかと申せば遊び相手になってくれということだ」
つまりは、政務に追われ病床に臥せりがちな容保に代わり、時実を外で遊ばせてやってくれ、ということなのだと容保は語る。
「そちの手が空いた時でよい。頼まれてくれぬか」
鷹と触れ合うことに自信はないが、そうまで言われては無碍に断ることも憚られる気がする。
暫時考えて、伊織は結局、それを受けることにしたのであった。
***
壬生村、新選組屯所の庭にしゃがみこむ隊士が一人。
手に持った木の枝で、ぐりぐりと一頻り地面を弄り、ふと中天を見上げる。
「帰ってきませんねぇ」
「ったりめぇだ。んな早く帰って来るわけがねぇだろう」
ぼやく沖田に、土方はすぐ背後の縁側から面倒臭そうに返した。
「今戻って来ねぇってことは、出自も何とか詮索されずに済んだんだろ。まあ、いずれ勝手に帰ってくらぁ」
「近藤さんや平助もいないし、尾形さんたちもいないし、つまんないんですよねぇ最近」
「阿呆か。詰まろうが詰まるまいが、大体一番組はこれから巡察なんじゃねぇのか、おい」
詰まらないと愚痴を溢す以前に隊務をこなせ、と土方は説教をし始める。
「あんな豆鉄砲一人いねぇぐれぇで、意気消沈する馬鹿がどこにいる」
「会津様のところはそんなに楽しいんですかね。ねぇ土方さん?」
「総司、てめぇ……。さっぱり俺の話を聞いてねぇな」
土方が憮然とする傍ら、沖田は依然として退屈そうに木の枝を弄んでいる。
詰まらないことに気を回すよりも、もっと他にやるべきことがあるだろう。と、土方は軽く吐息を漏らした。
そこへ。
「土方副長」
と、やや緊張した声音で呼びかける者があった。
屯所の入口に見張り兼来客の取次役として立たせていた隊士の一人であった。
「どうした」
小走りにやって来た隊士を振り向き、土方はきりりといつもの強面に直る。
「来客です。会津藩士と自ら称しておりますが……如何いたしましょう」
土方は、ぴんと眉を跳ね上げた。
会津藩士、という言葉に反応したのは言うまでもなく、それは傍にしゃがみ込む沖田も同様に反応を示したようだった。
「土方さん。これはもしかして高宮さんが何か仕出かしたのかもしれませんね?」
沖田はそう言いつつも、どことなく愉快げな表情である。
伊織が何らかの失態を見せ、新選組に強制送還でもされてきたのではないか。そんなことを、沖田はさも心配げに言う。
それですら楽しそうに見える。
黒谷で伊織が何かを失敗、即屯所に戻ってくると考えているのが丸分かりである。
「会津藩士か。そいつは何だ、黒谷からの使者か?」
沖田の物言いはさて置き、他に会津の者が尋ねてくる理由も特に思いつかない。
ゆえに、そんなことを聞き返したのだが、取次ぎの隊士から返った言葉は意外なものだった。
「いえ、それが、黒谷よりの正式な御使者ではないようです。個人的に確かめたいことがあるとかで……」
「確かめたいこと……」
土方は腑に落ちない顔で沖田を見遣った。
見れば、恐らく沖田も同じ事を考えているのだろう。僅かに口の端が上がっている。
「ほら、土方さん。やっぱり高宮さん、身分のことで……」
「しかしな、佐々木が後ろ盾にあるってのに、いきなり藩士が個人的に屯所まで来るか?」
「でも、所詮佐々木さんですから。怪しまれる余地は充分ですよ。会津様が内々に調査の手を回すのも可能性大有りじゃないですか」
「……」
こそこそと耳打ちし合う土方と沖田。
取次役の隊士は怪訝そうにしながらもじっと土方の返答を待っていたが、やがてしびれを切らしたか、「あのう」と声をかけてきた。