第十九章 契合一致(5)
「ととと父ちゃんしっかりぃぃいいいい!!」
傍らで涙に咽んでいた、同じく中年期頃の女性が叫ぶ。
「え? いや、どう……」
自分が何かしたのだろうかと、時尾が狼狽した瞬間、その女から怒声が飛んできた。
「伊織、あんたっ! 父ちゃんに向かって何てこと言うんだい!」
「か、母ちゃん俺もうだめだ……伊織がいよいよ武装蜂起しただ……」
「父ちゃん気を確かに! まだ武装蜂起まではしてないよ!」
どうやら夫婦らしい。
腰の抜けた夫を支え、懸命に励ます妻。
という場面なのだが、大袈裟に過ぎて滑稽にすら見えてしまう。
視界に映るすべてが理解出来なかった。
兎に角、ただ何となく察せられるのは、唯一。
(ものすごい人違いをされてるっぽいわね)
それだけだった。
***
時尾の回想を聞きつつ、伊織は居た堪れない気分を感じていた。
「その夫婦というのは、もしかして」
否。
もしかしなくても、伊織の予想は的中しているだろう。
「そーよ、後から分かったことだけど、あなたの両親だったわよ」
「……やっぱり」
伊織はげんなりと吐息した。
自分が清水の舞台から転落した後に、そんなことになっていたとは。
「要するに、時尾さんは私と入れ替わりで平成に迷い込んだ……というわけなんですね」
「そうみたい」
深刻さの欠片も見せずに肯定する時尾とは真逆に、伊織はどっと疲労を感じた。
だが、まさかこの幕末の時代で平成に生きている家族の話を聞くことが出来るとは、願ってもないことだ。
時尾の話に元気そうな父母の姿を思い描き、伊織はほっと心の温まる思いがした。
「結局、私は高宮伊織本人で間違いないってことで、今もあなたの身代わりになっている状態よ」
但し、医師からは記憶喪失と診断されているが。
ついでに、当然だが修学旅行は既に終わり、時尾も何が何だか分からぬうちに会津へ帰ったという。
「今、私の身体は平成時代の会津にあるのよ」
あの高さから落ちて身体的には何の外傷もないのは奇跡的だとか何とか騒がれたが、数日の検査入院を経て自宅療養を許可されたという。
「へぇー」
「というわけで、あなたの部屋、いろいろ物色したから。ごめんね~」
「!? 物色しないでくださいよ!」
「ああ、大丈夫大丈夫。変なものは見つけてないから。見たのは歴史の本くらいよ」
などと時尾は笑っているが、伊織にとってこれは由々しき事態である。
自分の部屋に何か他人に見られて恥ずかしいものがなかったかどうか、瞬時に思考を我が家へ飛ばす。
が、思い起こされるのは部屋にずらりと並ぶ歴史関連資料の山と、漫画や雑誌の散乱、あとは脱いでベッドに放りっぱなしの春物コートくらい。
机の上に変な落書きくらいは多少あったかもしれないが、あまりよく思い出すことが出来なかった。
「しっかし随分と集めたものねぇ。新選組本で埋め尽くされた書棚は圧巻だったわよ」
「……それはどうも」
「なのに会津を中心に取り上げた本はほんの僅かだったわね?」
「うっ……」
確かに、考えてみると自分の生まれ育った故郷である会津の歴史は、然程興味を示していなかった気がする。
人並み程度、そこそこに知っている部分はあるものの、やはり興味の大部分は新選組に注がれていたのだ。
特に、新選組副長・土方歳三――。
現代、即ち平成で女子高生としての毎日を送っていた頃のことを思い出し、伊織はふと目を伏せた。
ずっと昔の、話したこともない、会ったこともない人間に、どうしてあれだけ憧れていたのか。
無論、憧憬を抱いていたのは土方ばかりではないが、今は総じて土方が念頭に浮かんだ。
憧れだったはずの新選組に、成り行きとは言え入隊し、土方の傍に身を置くことも叶った。
その今、以前のように素直に憧憬の念を抱くことが出来ないのは何故か。




