第十七章 出処進退(4)
「おいおいこらこらー。そんなところで喧嘩は困るぞー」
小袖の内に手を引っ込め、ハタハタと袂を揺らして歩いて来る人。
のらりくらりと相変わらずの調子でやって来たのは、件の梶原平馬その人だ。
困惑したように眉尻を下げつつも、憚りなく喧嘩を笑い飛ばしている。
「伊織殿はもう知遇を得たか? なかなかやるなぁ」
「梶原さんッ、違いますよ! どうしたらこの状況が知遇を得た瞬間に見えるんですか!?」
「左様ッ。こやつめ、殿の大事な大事なピヨ丸君を踏み躙った、憎き凶悪犯ぞ!」
「!? ですから私は別に、わざと踏んだわけじゃ――!」
「ほっほう、それはどうだかのう?! 大方、焼き鳥にでもしようと企んでおったのだろう、この下郎め!」
「焼き鳥ぃ!? ばッ……あんたなあ!! 言い掛も大概にして下さいよ!!!」
会津にもとんでもない御仁がいたものだ、と付け加えてやれば、男はますますいきり立って迎撃体制を整える。
鼻先ぎりぎりまで迫って凄む顔を、伊織も負けじと睨み返した。
火花を散らすその二人を、梶原は横合いから交互に見比べている。
「まあまあ、広沢殿。あー、そして伊織殿も。そのくらいにせんか? 通行人もちらちら見ておるだろうがー」
梶原に窘められて漸く伊織の襟刳りを掴んでいた手が離れた。
「あー、ゲッフン! しかし梶原殿、このまま不問に処すというわけにもゆくまい。何がしかの処罰を……」
「ちょッ、ですから私は悪意があったわけじゃ……!」
「――おっ!」
再び口論勃発かに思えたその時、梶原がぽんっと手を叩いた。
「ならば調度良い。伊織殿はピヨ丸君に無礼を働いた罰ということでだな、暫くこの広沢殿の下で忠勤に励……」
「「お断りだっ!!」」
梶原本人は至って満足げに提案したものの、伊織と広沢両名ともが、否と口を揃えた。
「……えぇぇーー。何もそんな、二人とも見事に息の合った即答をせんでも……」
「梶原殿っ、一体ソレのどこが罰なのか!? だいたいこのようにちんちくりんな小僧を押し付けられたのでは、まるで私のほうが罰を受けているようなものではござらぬか!!」
「んな、何を言うんですか! 私だってこんな罰は御免ですよ!」
じろりとねめつければ、広沢からもぎろりと睥睨が返る。
「ああもう、二人ともやめんかっ!! もう決めたぞ、伊織殿は本日より公用局へ配属とするっ。広沢殿の指示に従い、我が殿と会津藩の為、忠勤に励むが良い!」
広沢と伊織の間にずずいと割り込み、梶原はバッサリ両者を突き放した。
「そんなっ、梶原さぁん!」
賺さず抗議しようとすると、梶原の人差し指がびしりと伊織の眼前に突き付けられた。
「う……っ!?」
「お主も会津武士の端くれというならば、少々の不満は忍ぶがよろしかろう! 私利私欲を捨て、我が殿の御為に粉骨砕身働くことだ」
ぴたりと眉間に突き出された指と、その向こうから射るように注がれる視線。
会津武士の端くれ。
梶原の一言が伊織を瞠目させた。
「私が、会津武士……?」
我が身を指して武士と称されたのは、初めてのことだ。
それはきっと梶原にしてみれば何気ない一言かもしれない。
だが、伊織にとっては耳慣れのしない稀なもの。武士と呼ばれる事が嬉しいのか否かさえ、よく分からなかった。
呆然と復唱した伊織を、梶原の目は吟味するかのように眺める。
私利私欲を捨て、主君のためにと骨身を砕き、且つその命をも厭うことなく擲つのが武士――。
まさに先だっての柴司に通じる。
土佐藩との問題において、文字通りその身を切った。
梶原の言う会津武士とは、そういう人のことを示しているのだろうか。
梶原もまた、それこそが武士としてあるべき姿だと思っているのだろうか。土方と同様に。
暫時考え込んでしまった伊織の肩に、とん、と梶原の手が乗った。
「ま、そう堅くならんでも良いぞ。今からそのようなガッチガチに強張った顔をしていたのでは、息も長く続かないだろう? 気楽にやるが良いさ」
さらりと笑ってみせた梶原につられて、伊織も僅かにその目を和ませた。
「そうですね。……故郷の為になるなら、公用局でのお役目、謹んで承ります」
梶原の双眸を見上げて笑顔を浮かべると、梶原もまた満足げに頷いた。




