第十七章 出処進退(2)
最後に少し雰囲気を変えようと試みて、笑ってみた……までは良かったが、賺さず向けられた容保からの曇天の眼差しに、梶原は大きく項垂れて溜息を吐いた。笑うところを間違えた。
禁門の変以来、長州藩は国賊となったのだ。
その折には、容保も病床の身に鞭打って指揮を執ったが、御所に向けて発砲した長州藩との攻防戦で、京の町は火に包まれた。
幕府軍の勝利で終わった戦だったが、御所内の混乱は酷いものであった。
祐宮(後の明治天皇)には、砲撃の恐怖に失神する場面もあったという。
孝明天皇には、挙措を失う気配など微塵もなかったのだが、長州勢の暴挙はやはり許し難く、戦後間もなく「長州征伐」の詔が下されたのである。
「征伐における総督の座には、殿のご実兄が就任なされたのでしたな? 尾張の徳川慶勝公――」
ふと征長軍のことが脳裏を掠めて、梶原は独り言のように尋ねた。
だが、容保はただ頷いただけで、それ以上答えようとはしなかった。
会津藩は、長州征伐の軍には参加を認められていなかったのだ。
「幕府も一体どういう了見か。我々会津を征長軍から外すなどして、手緩い措置を取って下さらねば良いが……」
ぽつりと溢した梶原だったが、容保の視線がねめつけるようにこちらを一瞥した事に気付き、口を噤んだ。
幕府への忠誠を欠く発言は許さぬ、とでも言っているような視線である。
例え、幕府が事なかれ主義を匂わせていても、それでも、根っから生真面目な容保は、徳川家を頂点とする幕府に針を刺すような文句は言わない。
だが、梶原は思う。わが殿は愚直なまでに生真面目ではあるが、決して暗愚ではない。他人より少し純粋なだけなのだ、と。
当然、幕府が長州征伐という名目の戦に乗り気でないことは気付いている。
会津を征長軍に参加させれば、会津を敵視する長州との大掛かりな戦に発展してしまう。幕府がそれを敬遠するからこそ、今回の事においては、会津は蚊帳の外に放り出されているのである。
「……」
「……」
梶原としては納得の行かない部分が多いのだが、また徐々に浮かない顔をし出した容保を見て、これ以上の発言は控えることとした。
と、容保がふと顔を上げ、睥睨を解いた目で梶原を見た。
「梶原」
「は。何か」
「ピヨ丸がおらぬ」
「……」
「捜して参れ」
「は、はあ……捜して参ります」
(殿が……。殿が凹んでる……)
気苦労の多い容保の心を唯一安んじ得る存在。それがピヨ丸だったりする。気分が滅入るとすぐにピヨ丸に走る傾向があり、最近ではそれがどうにも深刻化している様子でもある。
容保がピヨ丸の名を口にする時は、大方心の均衡が危うくなっている時なのだ。
ピヨ丸で収まりきらぬ時には、最後の心の支え「孝明天皇よりの御宸翰」が容保の手に握られる。
現に御宸翰は、今も床の枕元に竹筒に納めた状態で大事に添えられていた。
***
会津藩本陣への入口で立ち止まり、伊織は一つ深呼吸する。
馴染み深い会津への出仕だが、気の張る思いがないわけではない。
旧知があるでもなく、また此処では新選組とは随分と勝手が違うはず。身分も格式も、ありとあらゆる面で、新選組のそれとはまるでかけ離れているだろうことも容易に想像がついていた。
これから、近藤らが再び京に戻るまでの間、故郷と呼ぶべき会津藩の面々と共に過ごす事になる。
近藤が不在の間、新選組は副長の土方が一切を取り仕切ることになるのだろう。
葛山を処断した事が示しているように、局長不在の新選組で頂点に立つのはやはり、土方だ。
引き立てられていく葛山の、あの生気の失せた顔がふと瞼に浮かぶ。
あくまでも死を拒み、けれども生き延びる手立てを見出せずに闇雲に足掻き葛藤して、ついには気をやったような顔。
いつか池田屋で、死をも恐れぬ強固な信念と共に、刃でその身を貫いた男がいた。
御所に火を放つだとか、会津公の命をも手に掛けようなどという、空恐ろしい計画を企てた首謀者の一人。宮部鼎蔵である。
本懐叶わずと悟り、自刃した。