第十六章 水天彷彿(5)
「そうですよね土方さん! 納得がいかねぇな!」
「総司、おめぇはちょっと黙ってろ! この剣呑な雰囲気が崩れるだろうが!」
「崩しましょうよ、そんなもの! 最近屯所の空気が悪いから、だから高宮さんが会津に帰るなんて言い出すんですよ!」
と、沖田が懸命に崩そうとしたらしい場の空気も、その沖田自ら捲し立てた言葉で再び張り詰めたものになった。
「俺もおめぇが大人しく国許に帰るってんなら、許してやらねぇこともねぇ。だがな、今更になって会津へ里帰りか? 隊士が足りねぇってな、この時期に?」
「人手不足は承知の上です。でも、私は本来会津の人間なんです。会津藩へ出仕することを理由に暇乞いしても、おかしな話じゃありませんし……それに」
そこで、伊織は一旦区切った。
それから暫時置いて、
「今のままでは、私自身の志というものを見失いそうなんです」
と告げた。
これまで、自らの信念だとか志というものは、土方のそれと等号で表されるか、或いはそれにごく近いものだと思っていた。
ごく当たり前のように、隊士である以上は自らもまた新選組と同道するのだと思っていた。
だが、統率を担う土方に不信を抱いた今、それらは伊織自身の志とは異なるものなのだと思えてしまう。
そんな否定と同時に、隊のためなら血の粛清を躊躇い無くやってのける土方と同じ信念を自らが持っているなどとは、思い上がりも甚だしいような気がして止まない。
憧憬の人と共に過ごした僅かな時間が齎した錯覚のようなものだろう。
本来、出逢うはずもなかったその人と、一分一厘の狂いもなく志を同じく出来ると思い込んでいた節も、無いとは断言出来なかった。
「会津への出仕のためならば、隊規に抵触こそしても、違反とはならないはずです。他藩ならば兎も角、この新選組を預かる、一雄藩なんですよ? 隊を抜けたいとまでは言っていません。ほんの少し、会津の、それも国許でなく守護職屋敷への出仕です」
「……おめぇの厄介なところは、その出自が会津ってところだな」
土方の顔が、一層苦々しく歪められる。
だが、それは伊織にとっては心外な反応だった。
「どうして会津が厄介なんですか! 局長なら、きっとそんな風には仰らないと思います!」
「近藤さんはなぁ! おめぇが女子だと思うからこそ、ここに置く事をあんだけ反対したんだ。佐々木の妾話にふらふらと乗っちまうくらいにな。そりゃあ、今のおめぇの申し出を近藤さんが聞きゃあ、喜んで送り出すだろうよ」
「じゃあどうして土方さんも事ある毎に、私に会津に帰れと言ったりするんですか!? ええ、ええ、そりゃあ私は女ですよ! 剣も満足に振るえなけりゃ、監察の任務だって中途半端ですよ! けどねぇ、そんな使い道のない女を雇って、土方さんは結局のところどういうつもりなんですか!?」
「どうもこうもねえだろう!? 俺ァおめぇが行くあてがねえっつぅから傍に置いてやってんだろうが!」
「だったらなんで納得がいかないなんて言うんですか! 会津に大人しく帰れと言ってみたり、いざ会津の様子をこの目で見てきたいと申し出れば引き止める! 納得がいかないのは私のほうです……!」
言う毎に声量を増すやり取りは、伊織の声を最後に沈黙を見た。
傍で沖田が唖然としていたが、今伊織の視界にそれは入っていなかった。
度重なる不満や苛立ちと相俟って、これまで無意識に蓄積されてきたらしい矛盾を責め立てるのを止めることが出来なかった。
監察として育てるようなことを言ってみたり、かと思えば、僅かな弱さや失態を目にすると、二言目には必ず会津が出てくる。
伊織は土方の面前に改めて腰を据え、その顔をじっとねめつけた。
逸らすつもりの無い伊織の視線の先で、土方のそれがするりと泳いだ。
「納得のいくお返事を頂けるまで、ここを一歩も動きませんからね」
「ほほぉ、そりゃ好都合。返事をしなきゃ隊に留まるわけだな」
空々しく仰け反ってみせる土方。
伊織も一瞬ぎくりとしたが、それでも引き下がれないのは己のなけなしの意地だったかもしれない。
頑固に一指たりとも動かそうとしない伊織に辟易してか、土方は聞こえよがしに吐息する。
「なら良い。会津に戻って出仕したところで、てめぇに何が出来るのか……そこでよくよく考えるこったな」
呆れ果てたような口調で言い残し、土方は悠然と部屋を後にして行った。
***
部屋を出てから、途端に早足になる土方の背後を、沖田が慌てて追いかけた。
「土方さん! 良いんですか、あんな中途半端に投げ出して。高宮さんのことだから、きっと本当にあのまま動かないつもりですよ?」