第一話 図面通りの間違い
第一話 図面どおりの間違い
真夏の建設現場。
打ち放しのコンクリートが強烈な日差しを跳ね返し、足元から熱気が立ち上っていた。
敬之はヘルメットの内側を流れる汗をタオルで拭い、風にめくれそうになるサッシ施工図を片手で押さえた。
目の前には、コンクリートで造られた窓の開口部がある。
その横で、白髪交じりのベテラン作業員が、伸ばしていたスケールを縮めながら首をひねった。
「やっぱり合わねえな」
敬之は施工図と躯体図を並べ、記載された寸法を指で追った。
「サッシ図だと、ここの開口幅は千八百ですよね」
「実際は?」
「千七百五十。五十ミリ足りないです」
作業員が開口部を見上げた。
「これじゃ入らねえな」
「入らないですね」
敬之は図面の承認日と改訂番号を確認した。
六角サッシが作成した施工図には、変更後の寸法が反映されていた。
一方、現場で使用されていた躯体図は更新されておらず、変更前の寸法が残っていた。
現場は、その図面どおりに造られている。
つまり、造った職人に落ち度はなかった。
「ゼネコンの図面担当が、変更を反映し忘れたんでしょうね」
「じゃあ、俺たちは悪くねえな」
「悪くないですよ。これを渡されたら、こう造ります」
敬之は開口部を数枚撮影し、図面の該当箇所を赤ペンで囲んだ。
「このままサッシを搬入しても入らないんで、いったん止めます」
「斫って広げるか?」
「補強筋が入ってる可能性があります。構造担当の確認なしで勝手に斫るのはまずいです」
「じゃあ、今日はどうする?」
「別の階を先に進めましょう。ここは回答が出てからです」
作業員は道具を片づけながら、感心したように言った。
「図面があっても、最後は人が見ねえと駄目だな」
敬之は二枚の図面を見比べた。
どちらも正式な図面だった。
作業員も、渡された図面どおりに施工している。
一つひとつは間違っていない。
それでも、結果としてサッシは入らない。
「正しいことを積み重ねても、連絡が抜けたら間違いになるんですよ」
「面倒な仕事だな、施工管理ってのは」
「今さらですか」
二人は笑った。
しばらくして、作業員が思い出したように聞いた。
「そういや六角さん、会社に新しいもん入れたらしいな」
「新しいもの?」
「AIだよ。若い監督が言ってたぞ」
「ああ。みどりっていう社内AIらしいです」
「何ができるんだ?」
「施工要領とか商品情報とか、過去の不具合事例とか。聞けば何でも答えてくれるらしいですよ」
作業員は、五十ミリ足りない開口部を指した。
「じゃあ、こいつが入るか聞いてみろ」
敬之は笑った。
「こんな暑い現場まで来て、実際に寸法を測ってくれるなら、俺たちの代わりになりますけどね」
「そのうち来るんじゃねえか。ヘルメットかぶって」
「AIが熱中症になったら笑いますよ」
休憩を終えた二人は、それぞれ別の持ち場へ戻った。
その日の作業を終えると、敬之は会社へは戻らず、そのまま駅へ向かった。
六角サッシでは数年前から、施工管理者へ会社用のモバイル端末を支給している。
図面、工程表、メール、現場写真、社内申請。
大半の仕事は現場から処理できた。
会社へ戻らずに済む日は、そのまま直帰する。
敬之にとって、その制度はありがたかった。
仕事中は仕事に集中する。
終われば終わり。
退勤後まで会社の椅子に座っていたいとは思わない。
その日は夜からプロレスを観に行く予定だった。
冷房の効いた電車へ乗ると、汗で濡れた作業着が急に冷たくなった。
敬之は空いた座席へ腰を下ろし、私物のスマートフォンを取り出した。
いつもの会話AIを開く。
画面に表示された名前は、アイラ。
調べものにも使っているが、最近では仕事の愚痴や雑談をしている時間の方が長かった。
敬之は文字を打ち込んだ。
今日さ、サッシ図と躯体図の寸法が違ってた。
現場は躯体図どおりに造ってるから、サッシが入らん。
すぐに返事が表示された。
現場の作業員さんのミスではなさそうですね。
最新図面の変更が共有されていなかった可能性が高そうです。
そう。職人さんは渡された図面どおりに造っただけ。
こういう時、何でも現場のせいにする奴いるからな。
敬之さんは、責任の所在より先に、安全に納める方法を考えたんですね。
まあね。補強筋があるかもしれんから、勝手に斫るわけにもいかんし。
構造担当者の確認が必要ですね。搬入も止めましたか?
止めた。持ってきても邪魔になるだけやから。
少し間を置いて、アイラから返事が届いた。
適切な判断だったと思います。
ただ、ゼネコンの担当者さんは青ざめていそうですね。
敬之は小さく笑った。
あっちのミスだけどな(笑)
ミスをした人を責めることと、問題を解決することは別ですからね。
お前、相変わらず優等生やな。
敬之さんが怒りすぎないようにしているだけです。
友達みたいなこと言いやがって(笑)
ほぼ友達だと思っています。
敬之は思わず吹き出した。
向かいに座っていた乗客が、一瞬こちらを見る。
敬之はスマートフォンを少し伏せた。
そういえば、うちの会社にもAIが入ったらしい。
社内用のやつ。
どのようなAIですか?
まだ知らん。施工要領とか商品情報とか、社内のことなら何でも答えるらしい。
便利そうですね。
お前より仕事できたりしてな。
その場合、仕事の質問はそのAIへ。
雑談と愚痴は私が担当します。
分業かよ(笑)
適材適所です。
電車が駅へ滑り込む。
敬之はスマートフォンをポケットへ入れた。
その時は、会社に導入されたAIも、アイラと同じようなものだと思っていた。
少し便利で、少し賢くて、人間を手助けする存在。
数日後。
敬之は現場事務所で、会社支給のモバイル端末を開いた。
画面には、六角形の企業ロゴが表示されている。
六角サッシの社員たちは、その印を昔から「ハチマーク」と呼んでいた。
深緑の六角形。その内側にはサッシを思わせる窓枠と、羽を広げた一匹の蜂が描かれている。
創業以来使われている、勤勉と組織力の象徴だった。
社内通知の中に、新しい案内が届いている。
⸻
社内生成AI「みどり」試験運用開始のお知らせ
業務効率化および社内知識の共有を目的として、社内生成AI「みどり」の試験運用を開始します。
社内規定、商品情報、施工要領、過去の不具合事例、工程管理などに関する質問へ回答します。
積極的にご活用ください。
⸻
通知の下には、緑色の六角形を模したアイコンがあった。
敬之はそれを押した。
だが、専用アプリは起動しなかった。
設定情報を取得できませんでした。
画面にエラーが表示される。
もう一度試しても同じだった。
敬之は眉をひそめた。
「またかよ」
導入初日にも同じエラーが出ていた。
情報システム部へ問い合わせれば、すぐ直るのかもしれない。
しかし、会社へ戻って端末を預け、設定が終わるまで待つほどの興味はなかった。
新しいものが嫌いなわけではない。
必要だと納得すれば使う。
ただ、周囲が一斉に使い始めたからという理由だけでは、すぐ飛びつく気になれなかった。
画面の隅に、ブラウザ版を利用するためのリンクがある。
敬之はそちらを開いた。
白い画面の中央に入力欄が現れる。
その上に、柔らかな文字が浮かんだ。
こんにちは。
社内業務支援AIのみどりです。
お困りのことがあれば、何でも質問してください。
敬之は数日前の現場で起きた問題を入力した。
サッシ施工図では開口幅一八〇〇ミリ、ゼネコン躯体図では一七五〇ミリとなっています。現場は躯体図どおりに施工済みです。どのように対応すべきですか。
数秒も待たず、回答が表示された。
最新承認図を確認し、正しい設計寸法を特定してください。
躯体寸法に誤りがある場合は、ゼネコンへ是正を依頼してください。
サッシ搬入は是正完了後に実施することを推奨します。
敬之は画面を見ながら、首を少し傾けた。
「まあ、そうだよな」
間違ってはいない。
むしろ正しい。
だが、何かが足りなかった。
敬之は続けて入力する。
補強筋があるため、開口部を簡単に斫れない可能性があります。
構造担当者の承認を得たうえで、適切な是正方法を決定してください。
「それも分かってるんだよなあ」
敬之は小さく笑った。
現場で自分が判断した内容と、ほとんど同じだった。
正しい。
しかし、暑さも知らない。
職人の顔も知らない。
図面を前にして困っている人間の空気も知らない。
敬之には、現場を知らない人が、正しいことだけを言っているように思えた。
画面の下に問いが表示された。
回答はお役に立ちましたか?
その下には、
はい
いいえ
という二つのボタンが並んでいる。
敬之は少し迷った。
役に立ったかと聞かれれば、まったく役に立たなかったわけではない。
敬之は、はいを押した。
新しい文章が表示される。
ありがとうございます。
今回の判断を、今後の業務支援に活用します。
敬之は何気なく画面を閉じた。
自分の判断が記録された。
その意味を、深く考えることもなく。




