救国の勇者様と初恋の姫君
ローリエは、ひらりと足元に舞い落ちた号外新聞を拾い上げ、その見出しを読み上げた。
「王太子殿下に姫君誕生……」
かつて、勇者魔王討伐の知らせが町に出回った時は、自分に関係ないことだと思っていたのに、この一年で他人事ではなくなってしまった。
季節は一回りして春。
待望の第一子を産んだアーシェ妃殿下は、事実上、ローリエの義理の姉であり、今も親交が続いている。
国一番の人気者である勇者――クレイユ=オルトキアと結婚したローリエはというと、民衆へのお披露目式の場で一躍有名人となってしまった。
単に勇者の嫁だから、というわけではない。
あの日、ローリエは手を振る練習の成果を遺憾なく発揮していたが、途中、兄弟とともに民家の屋根上にのぼっていた男児が転げ落ちる瞬間を目の当たりにしてしまった。
なりふり構わず、咄嗟に風魔法を使って助けたは良いものの、一部始終を見ていた民衆たちにローリエが魔法を使うということを知られてしまう。
幸い、無詠唱については取り沙汰されず、『勇者様の妻に相応しい、慈悲深く勇敢な姫君』として広まったらしい。
しかし、もっと有名になったのは『初恋の姫君』という代名詞だ。
なんでも、助けた男の子がローリエに向かって「僕と結婚してください」と叫んだらしい。
まだ四、五歳の幼児だったので、お披露目式の意義も、結婚の意味もよく分かっていなかったのだろう。
その事件と、勇者様が初恋の人と結ばれたという話が相まって、国中で『初恋の姫君』と呼ばれるようになってしまった。
(クレイユ様の妻として、受け入れてもらえたのは嬉しいけれど、初恋の姫君と呼ばれるのはなんだか恥ずかしい……)
オルトキア王国の北の端に位置するレムカの町にも勿論、お披露目式のことが伝えられ、それ以来ローリエは顔を出して歩くことを諦めた。
ヘイルに認識を阻害する魔法を教えてもらい、町へ出る時はクレイユとともに、必ずそれを使っている。
「女の子か……」
横から号外新聞を覗いたクレイユは、意外なことに溜め息をつく。
世継ぎのことなど気にしなさそうなのに、やはりクレイユも男の子が産まれてほしかったのだろうか。
「駄目でしたか?」
「いや。兄上のことだから、男を産め。この役立たずめ。なんてことを妃殿下に言ってるような気がして」
ローリエもクレイユの溜め息の意味を理解して、「ああ……」と思う。
男を産まなければならないというプレッシャーについては、王太子妃から聞かされていた。
第一王子の性格からして、生まれた女児と、女児を産んだ妃に対して、冷たくあたることも想像できる。
「ですが、アーシェ妃殿下自身は、女の子が良かったみたいですよ」
「それもそうか。父親に似た息子が生まれたら、耐えられないだろうからね」
いつも優しいクレイユが、さらっと毒を吐く。よほど第一王子のことを嫌っているのだろう。
(もう少し落ち着いたら、アーシェ妃殿下に手紙を出そう)
彼女が王城で酷い目に遭っているようだったら、助けになりたい。
彼女がローリエを頼ってくれるかは分からないが。
「クレイユ様は男の子と女の子、どちらが良いですか?」
いつもより一際賑やかな市場を歩きながら、ローリエは何気なく尋ねる。
純粋な質問だったが、クレイユは飛躍して解釈したようだ。彼は驚きと喜びの混ざった表情で「えっ!?」と反応する。
「違います。もしもの話です」
残念ながら、ローリエに妊娠の兆候はない。
いつか、子どもができたら良いなとは思っているが、二人とも『人の器』に『人ならざる力』が注がれているので、もしかしたら叶わぬ願いかもしれない。
「そうだなぁ。女の子だったら、めちゃくちゃ可愛いだろうな……。でも、いつか男ができた時のことを考えると地獄だ」
クレイユは腕を組み、ぶつぶつ呟く。
「男の子は大きくなったら、一緒にお酒を飲んだりできるかな。でも、たとえ息子でも、他の男にローリエの愛情を奪われるのは辛い」
想像よりも熱の籠った回答に、ローリエは苦笑する。
(何の話をしてるんだろう……)
妄想が止まらないようなので、ローリエは立ち止まって、もう一度尋ねる。
「結局、子どもは欲しくないということですか?」
「欲しいよ。でも、絶対ではない」
クレイユは強い口調で言い切った。
「僕は子どもが欲しくて君と結婚したわけではなくて、君との子だから欲しいんだ」
その言葉を聞いて、ローリエはほっとすると同時に、自分が不安になっていたことに気づく。
クレイユはいつだって、ローリエの心を救い出してくれる。
「……私もです」
この人に出会えて良かったと不意に涙ぐみながら、ローリエはクレイユの手を取り、寄り添った。
刺繍のための糸を買い足したい。それから、ケーキの材料も買って帰ろう。
大丈夫。子どもが生まれても、生まれなくても、二人でいればきっと幸せだ。
〈了〉
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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スローペースですが、引き続き小説を書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。




