第40話 禁忌の代償
クレイユには、しばらく安静にしてもらった方が良いと思い、ローリエは膝枕を買って出た。
初めは「そんなことはしなくていい」と躊躇っていたクレイユだが、なんだかんだ転がって大人しく頭を撫でられている。
「クレイユ様が幸せだと思う風景を頭に浮かべてみてください」
負の感情が暴走の引き金となるのなら、幸せなことで頭をいっぱいにすれば良いのでは。
ローリエはそう思って提案した。
「……幸せ?」
「私はクレイユ様と一緒に過ごす、朝食の時間が幸せです」
柔らかな陽射しを浴びながら、向かい合って食事をする平和な風景を思い出し、ローリエは顔を緩める。
クレイユにとっては、なんてことない日常のひとコマかもしれないが、預けられた先で朝食すら与えられてこなかったローリエには、特別幸せを感じる時間なのだ。
「それと、夜一緒に眠る時はドキドキするけど、安心します。クレイユ様はどうですか?」
「僕か……。僕は君と過ごす時間全てが愛おしいよ。いや、一緒にいない時だって、君が何をしているかを考えると幸せな気持ちになる」
クレイユはローリエを見上げ、愛おしそうに目を細めた。
言い出したのは自分なのに、いざ答えが返ってくるとくすぐったい。
「あと、君の寝顔を眺めている時も最高に幸せだ」
「えぇ……寝顔を見られていたなんて、恥ずかしすぎます……」
きっと締まりのない、間抜けな顔を晒していただろうに、クレイユは穏やかな笑みを浮かべてローリエの髪を指で梳く。
「もう少し深く触れ合えたら、天にも昇る気持ちだろうな」
かぁっと頬が紅潮していくのを感じる。
夫婦なのだし、お互い好きだと伝えあったのだから、これまでのようにただ並んで眠るだけでは済まないだろう。
睦事の知識が乏しいローリエにも、それくらいは分かる。
「……心の準備をしておきます」
「時間はたくさんあるから、ゆっくりでいいよ」
クレイユはくすくす笑うと、おもむろに上体を起こした。
全身を覆っていた黒い紋様は跡形もなく消えている。
「大分良くなりましたね」
「ああ、もう大丈夫。本当に格好悪いところを見せた……」
溜め息をつくクレイユに、今度はローリエが笑いかける。
「これからは、格好つけなくても大丈夫ですよ」
むしろローリエの前では、格好つけず、我慢せず、全部見せてほしい。
そう思うのは傲慢だろうか。
クレイユの顔がゆっくりと近づいてくる。
キスされるのだろうと、ぎゅっと目を閉じた瞬間、脳裏にしわがれた声が響いた。――へイルの声だ。
『落ち着いたなら、こちらへ来てほしい』
クレイユもテレパスを受け取ったらしく、二人は顔を見合わせる。
絶妙なタイミングで声がかかったということは、魔法か何かで覗かれていたのかもしれない。
「ルビリア様が心配です。ヘイルのもとに向かいましょう」
ローリエは頬が紅潮するのを感じながら、クレイユの手をとり立ち上がった。
口づけのことは、ひとまずなかったことにしておこう。
ꕥ‥ꕥ‥ꕥ
『正気を取り戻したか』
ヘイルはクレイユの顔を見るなり、呆れたようにそう言った。
「不甲斐ないです」
『次にこんなことがあったら、ローリエを返してもらうからな』
項垂れるクレイユと、鼻を鳴らしてそっぽを向く魔獣――力関係が逆転しているようだが、確かお父様も、ヘイルには頭が上がらなかったような気がする。
「ヘイル、それよりルビリア様は?」
『こちらだ』
ヘイルについて枝垂れ柳のカーテンを抜けると、藁の上に寝かされる人の姿があった。
ローリエは思わず息を呑む。
「これは……」
『無事だがこのあり様だ』
力なく横たわる人物は一見老婆のようだった。
彼女の白く美しかった肌には皺が寄り、体も幾分か縮んでしまったように見える。
(本当にルビリア様なの? どうしてこんなことに……)
呆然とするローリエの横で、クレイユがぽそりと呟く。
「禁術を使ったせいだ」
「もしかして、魔物を操る魔法のことですか?」
超上級クラスの魔物であるへイルさえも従える、強力な魔法だった。
ルビリアは難なく使いこなしているように見えたが、後から反動が来たということだろうか。
「本来魔物を統べるのは魔王の力。その理を捻じ曲げる従属魔法は人の命を蝕む」
「ということは、寿命が縮んで年老いてしまったということでしょうか」
「恐らくは」
クレイユはそれからしばらく黙り込み、暗い表情でルビリアを見つめていた。
きっと自分を責めているのだろう。
『ふん。此奴は己の欲を満たすために禁術に手を染めた。自業自得というやつだ』
ヘイルはぴしゃりと言い切るが、ローリエも同じようにやるせない気持ちで、クレイユの側に寄り添った。




