第36話 魔王討伐と約束②
(きっと僕だけ呼ばれたのだろう)
強制的に転移させられる際、クレイユはそう思った。
魔王がルビリアの防御魔法を無効化する術を持っているのなら、最初の一撃で全員を仕留めることもできたはずだ。
けれど、そうしなかった。
流石に無傷とまではいかないだろうが、風に吹き飛ばされた程度で、勇者パーティーのメンバーが命を落とすことはない。
あれは、厄介払いをするための攻撃だったと考えるのが自然だ。
好戦的で残忍な他の魔族とは異なり、魔王は極めて理性的で無関心。もしくは、強者としての余裕があるように感じる。
(元々、最後は一人で戦うつもりだった。動揺することではない)
クレイユはそう自分に言い聞かせ、転移完了と同時に身構える。
しかし、暗闇の中から現れた人影は、ゆらめく壁灯りの下でただ静かに佇んでいた。
紫の長髪に切長の目。背は高く、黒のローブを纏い、色白だが目元は黒ずんでいる。
男からは殺気も生気も感じない。
一見、不健康な人間にも思えるが、魔力量を感知できる者であれば、彼が人ならざる存在だとすぐに分かるだろう。
(僕はこれまで何をしていたんだ……)
クレイユは、勝てる見込みがないことを即座に悟って絶望する。
魔王を倒すためだけに生きてきた。
死地を乗り越え、最強の勇者と呼ばれるようになっても慢心せず、この日のためだけに血が滲むような努力を重ねてきた。
古代龍にも魔族にも勝利を収め、あとは魔王を討つばかりと意気込んでいたが、いざ対峙してみると、勝機を見出していたこと自体が間違いだったのだと思えてくる。
「勇者よ。よく来たな」
魔王と思わしき男は、何の感情もこもっていない、歓迎の言葉を口にする。
「……お招きいただき、ありがとうございます」
気圧されながらもどうにか言葉を絞り出すと、男は一瞬で距離を詰め、クレイユの顎を指でスッと持ち上げた。
「未熟だが悪くない」
クレイユを覗き込む目は空虚で、顎に触れる指は氷のように冷たい。
全身の毛穴に男の有り余った魔力が流れ込み、息ができなくなりそうだ。全身に嫌な汗が浮かぶ。
「修行して、出直してきましょうか」
「いや……私もそう長くは待てぬ」
ついに魔王との戦いが始まる――クレイユは、今日ここで命を落とすことになると覚悟した。
ところが、男はすっと離れ、予測不可能なことを言う。
「話すと長くなる。茶でも出そう」
「……ありがとう、ございます」
クレイユは頭の中で「茶?」と反芻しながら、黒のローブを翻し、暗闇の中へと消えていく男の姿をただ呆然と見つめるしかなかった。
ꕥ‥ꕥ‥ꕥ
(魔王のもとを訪ねて、まさかお茶を出されるなんてね)
どこからかティーポットを持ってきた男が指を鳴らすと、がらんとした空間に椅子とテーブルが現れた。
男の正面に座ったクレイユは、勧められるがまたティーカップに口をつける。
香りも味も、普通の紅茶だ。
(どうしてこんなものがここに……)
クレイユが不思議に思っていると、男は心を読んだかのように解説してくれる。
「町から取り寄せた茶だ。味はよく分からないが、気に入っている」
「……そうですか」
「人間界のものは面白い。これは最近手に入れたものだが、何に使うのか分からない」
そう言って男が懐から取り出したのは、赤子が使うような木の玩具だった。
クレイユは先ほどまで感じていた恐れを忘れ、思わずくすりと笑ってしまう。
色々間違っている気もするが、どうやら魔王は人間に強い関心があるらしい。
「何かお土産を持ってこればよかったですね。紅茶を飲むなら、お菓子を用意すれば良かった。ところでここは、いわゆる魔王城ですか?」
クレイユは辺りを見回して尋ねる。
「私が創った領域だ。城に住んでいたこともあったが、魔族どもの襲来が鬱陶しくてな。ここは私の許可がなければ入れない。ちなみに、人が長時間留まると存在ごと消滅する」
重大なことを淡々と言うので、クレイユは紅茶を吹き出しそうになる。
ごほごほ咳込んでいると、男はそれを意に介さず新たな話を切り出した。
「ローリエのことは覚えているな」
「!!」
懐かしい名前にクレイユは目の色を変える。
「……忘れたことなどありません。彼女は? 彼女は無事なんですか?」
「素性よりも安否を問うとは、人というのはやはり面白い」
素性などどうでも良い。彼女と過ごした時間と、彼女が孤独な勇者に与えてくれた優しさだけが全てだ。
どんなに森を探しても、出会った魔族に尋ねても、何の情報も得られなかったが、まさかここへ来て彼女の名前が出るとは。
「ローリエは私の娘だが、今はモントレイ辺境伯とやらの元に預けている。記憶とともに力を消し、十分な養育費を送ってきたから問題ない」
魔王の娘だとか、モントレイ辺境伯のもとに預けられているだとか。
気になる点があまりに多く、クレイユが何から尋ねるかを迷っている間に、男は真顔でとんでもないことを言う。
「勇者はローリエを愛しているのだろう?」
クレイユは盛大にむせ、今度こそ紅茶を吹き出した。
「な……何故それを……」
間違いではないが、改まって言葉にされると気恥ずかしさがある。
「森で結婚を申し込んでいたではないか」
(全て見られていたというわけか……。この流れ、娘さんを僕にくださいと、頭を下げた方が良いのか……?)
クレイユが混乱していると、男は話を続ける。
「話というのはローリエのことだ。あの子を勇者に託したい。私を殺し、私の力を継承してもらえないだろうか」




