第28話 ブチ切れマリー
森から引き上げてきた冒険者のうち、軽傷の者はギルドに身を寄せ、手当を受けていた。
日に焼けた肌に、鍛え上げられた筋肉質な体。豪快で、勇者にも物怖じしないレムカのギルドマスター、ジョウとは長い付き合いだ。
彼は森の異変について、冒険者たちに事情聴取をしていたようだが、クレイユに気づくと握手を求めてやって来る。
「森での件、助かったよ」
「誰も命を落とさなかったことが不幸中の幸いです」
普段、相手から距離を詰められることが少ないクレイユは、戸惑いながらもジョウの分厚い手を握る。
ふと、ローリエもこんな風に戸惑っていたのではないかと思って、申し訳ない気持ちになった。
「取り急ぎ、北へ出る門は閉鎖し、外にいる者は引き上げるよう狼煙を上げた」
流石は、北の荒地から最寄りのギルド。対応が早い。
「ありがとうございます。僕が赴く必要はなかったかもしれないですね」
「いや。寄ってくれて良かったよ。荒地は一体どうなってるんだ? 魔王が生きてた頃だって、こんなことはなかったぞ」
ジョウは大袈裟に肩をすくめる。
やはり、彼も異常を感じているようだ。
「それが僕にもよく分からなくて。調査する必要があると思っています。中央協会からは何か報告が上がっていませんか?」
「いや、特には。教会の奴らは何だかんだ秘密主義だからな」
ルビリアは仕事の一環で魔物の調査をすると言っていたが、あれはどうなったのだろうか。
(ルビリアが来たら、聞いてみるか……)
クレイユと同じく転移魔法を使える彼女は、すぐにやって来るだろう。――その気さえあれば。
「今後について、少し話をさせてください」
「ああ、上の部屋を使おう」
ジョウとともに、二階に上がった直後のことだった。
「……っ!」
右腕に突然痛みが走るとともに、全身に魔力の気配がぶわりと流れ込む。
「どうした?」
「魔物が近づいている」
探知系の魔法は使えないクレイユだが、右腕の黒い紋様が疼くので分かる。
ジョウは慌てた様子で応接間の窓を開けた。
「くそっ、翼竜の群れか。大聖女様の防御魔法が破られたってことか? 中、上級まで交ざってやがる。まずいぞ」
ワイバーンとも呼ばれる小型のドラゴンたちは、肉眼で捉えられるところまで迫っていた。
それも、北の荒地に生息する全てのワイバーンが集結したのではないかという、おびただしい数だ。
ルビリアの防御魔法を力技で突破したのか、群れは町を取り囲む防御壁を越え、急降下を始めている。
「町に残ってる戦えそうなパーティーは?」
「上級パーティーはほとんど出払っている。まだ戻ってきてないだろう」
ローリエの顔が脳裏に浮かんだ。
町が襲撃されたということは、その手前にある城も少なからず被害に遭っているだろう。
彼女は無事だろうか。
今すぐ帰って、確かめたい。
誰よりも、何よりも、ローリエが大事だ。
二度と手放さないと、幸せにすると誓った。
けれど――。
クレイユは唇を噛み締め、窓枠に足をかける。
「まだ動けそうな冒険者たちに、町の人を屋内に避難させるよう伝えて」
「クレイユ、いくらお前でもあの数は無茶だ!」
「魔族に比べたら大した敵じゃない。問題は犠牲者を出さずに倒し切れるかどうかだ」
町の人々を見捨てるわけにはいかない。
一秒でも早く制圧して、一秒でも早くローリエのもとへ駆けつけよう。
「大丈夫。僕が護るよ」
クレイユは自分に言い聞かせるように呟いて、剣を手に、魔法の詠唱をしながら窓の外へと飛び出した。
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上空からギャア、ギャアと不気味な鳴き声が聞こえてくる。
(どうしよう……怖い……)
庭で昼食をとっている最中、ローリエたちは魔物たちの群れに襲われたのだ。
下手に歩いては危ないと言われ、ローリエはテーブルの下に身を潜めている。
「こおおおぉぉん、のおおおぉぉぉ!!!!」
野太い叫び声とともに、地面が震える。
机の下からでは全容は見えないが、どうやらマリアンヌに殴られた翼竜が、地面に転がった音らしい。
「可愛い子ちゃんとの優雅なランチタイムを邪魔しよって、ふざけるんじゃないわよぉぉぉぉ!!!!」
再び、ドカーンという音が辺りに響く。
(マリーが、ブチ切れてる……!!)
怖い。怖すぎる。
魔物に襲撃されている状況よりも、怒りを爆発させたマリアンヌの方が怖かった。
「マリアンヌ様、バトルアックスを持ってきました」
「あら、ありがとう。やっぱりこれがなくちゃ。素手では戦いづらいわ」
駆けつけた大工が、ローリエよりも重そうな巨大な斧をマリアンヌに渡す。
彼女はそれを片手でひょいと持ち上げ、麺棒でも扱うかのように頭の上でくるくる回した。
人間業とは思えぬ光景に、ローリエは目を擦りたくなる。
「さぁ、さっさと片付けましょう!」
マリアンヌはそう言って、地面を蹴り上げる。
しばらくすると、真っ二つになった魔獣が地面に降ってきた。
「お前ら、庭をめちゃくちゃにしやがって!!!! 許さん!! 絶対に許さん!!」
「洗濯物もパァよ! 最悪だわ!」
魔獣に怒りを向けているのはマリアンヌだけではない。
集まってきた庭師のお兄さんと、若いメイドも各々魔法で攻撃を始めた。
(すごい……使用人の皆さんも、戦えるなんて!)
ローリエが驚いていると、テーブルの脇に立つハンナに声をかけられる。
「ローリエ様、テーブルには防御魔法をかけているのでご心配なさらず。いざとなれば私も戦います」
「あ、ありがとうございます! 皆さん、お強いんですね」
「足手纏いにならぬよう、最低限戦えるようにしています」
ここで働く使用人が特殊なだけだが、ローリエは「王族に仕えるためには、戦闘力も必要なのね!」と思い込む。
「ふんっ!!」
ドーン、ガラガラと、これまた大きな音がして、直後に大工の悲鳴が響き渡る。
「マリアンヌ様ぁぁぁ!! 城を破壊するのはおやめください!!!!」
「あらやだ、やりすぎちゃった。でもこれで片付いたわね」
服がビリビリに破れ、化粧の崩れたマリアンヌが、机の下ににゅっと顔を出す。
「もう怖くないわよ、お姫様」
「は、はい……」
ローリエは思わずびくりとしてしまったが、全ては襲ってきた翼竜たちのせいだ。
マリアンヌの手を取って机から這い出すと、南の空に閃光が見えた。
「あれは……クレイユの魔法ね。魔物の大部分は町に向かって行ったようだけど、一体何が起きているのかしら」
「そんな……」
ローリエは呆然と町の方角を見つめる。
町を護るため、今頃クレイユは一人で戦ってあるのだろうか。
クレイユと町の人たちのことが心配で、胸がぎゅっと苦しくなる。
「あら。どの面下げて来たのかしら」
誰に向かって話しかけているのだろう、と思うローリエだったが、マリアンヌの視線の先にはいつの間にか、白い装束に身を包んだ可憐な女性が立っていた。
(ルビリア様……どうしてここに?)




