第10話 勇者様の親友
石窯から、ぷーんと甘い匂いが漂ってくる。
何もすることがないというのに、ローリエは近くに椅子を置いて、焼き上がるまでを見守っていた。
「そろそろ良い頃合いね」
マリアンヌは慣れた手つきで、石窯の中から鉄板を取り出し、煉瓦台の上に置く。
「すごい……」
型に入れた時はドロドロだった液体が、ふかふか、こんがり、美味しそうな焼き菓子になったのだ。
初めてお菓子作りの過程を目にしたローリエは、まるで魔法のようだと感動する。
「ふふ。甘いものは好き?」
「あまり食べたことがなくて。好きだと思います」
だって、こんなにも良い匂いがするのだ。美味しくないわけがない。
「それじゃあ、ティータイムにしましょうか」
マリアンヌは、焼きたてのケーキを型から外して皿に並べると、それを持って庭に出た。
ꕥ‥ꕥ‥ꕥ
真ん中に穴の空いた丸い焼き菓子は、クグロフというらしい。
それはもう、頰が蕩けて落ちそうなほど甘く、美味しかった。
(美味しい!! 出来立てのお菓子って、こんなに美味しいものなのね!!)
夢中になって頬張るローリエの前で、マリアンヌはハンナが淹れてくれた紅茶を優雅に飲んでいる。
「あの……、マリアンヌさん」
ローリエが思い切って話しかけると、マリアンヌは穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「マリーで良いわよ、お姫様。私のことは友達だと思って、気楽に喋って」
初めて見た時は、彼女の分厚くて大きな体に圧倒されたが、包容力があると言えば良いのだろうか。
何でも話を聞いてくれそうな安心感があって、引っ込み思案なローリエでも、自然と砕けて喋ることができる。
「マリーはクレイユ様と仲良しなんですね」
「仲良し……そうねぇ。パーティーメンバーの中だと一番付き合いが長いし、親友と言えば親友かしら」
マリアンヌと話すクレイユはどことなく幼くて、打ち解けた仲なのだろうと感じたが、意外にも彼女の返事は曖昧だった。
「クレイユ様はどのような方ですか?」
何よりこれが、一番聞きたかったことだ。
マリアンヌは、紅茶を一口飲んでから答える。
「クレイユは自分の地位を鼻にかけることもないし、誰に対しても分け隔てなく優しい良い奴よ。ぱっと見はね」
「本当は違うということですか……?」
「ふふ、これから互いのことを、ゆっくり知っていけば良いと思うわ。悪い奴でないことは保証する」
確かに、本人の知らないところで、あれこれ詮索するのは良くないだろう。
ローリエは自分の行いを反省し、素直に頷く。
ピチュルルルと駒鳥が美しい声で鳴いていた。
そういえば、季節は春だ。
少し前までは、凍てつくように冷たかった空気が和らいで、庭で過ごす時間が心地良い。
モントレイ伯の屋敷にいた時は、こんな風にのんびりと、季節の変化を感じたことはなかった。
働かず、呑気に焼き菓子を食べていて良いものかと、ローリエは次第にそわそわしてしまう。
「マリーは以前から、料理の仕事を?」
「今のところ、料理はただの趣味ね。クレイユが心配でここにいるけど、そのうちレストランでも開こうかと思ってるの」
マリアンヌは裕福でない一般家庭の出で、家族の生活を支えるために冒険者になったのだという。
料理をはじめ、家事が大好きで、旅の途中も調理担当をしていたらしい。
「私に料理を教えてください。そしたら、マリーがここを出ても、私がクレイユ様にごはんを作ってあげられます」
マリアンヌは瞬きをした。
彼女の長い睫毛がバサバサ音を立てる。
「あっ。私なんかがクレイユ様の食事を作るなんて、おこがましいですよね……。それに、ずっと居座るつもりみたいな発言をしてしまいました……」
狼狽えるローリエだったが、マリアンヌは決して馬鹿にしたりなどしなかった。
「あなたがそう言ってくれると心強いわ。クレイユは完璧そうに見えて、生活能力はからきしないから……。あれで意外と不器用なのよ」
「意外です」
「あらやだ、うっかり口を滑らせちゃった。このことは内緒よ」
彼女は口元に人差し指をあて、「しーっ」とお茶目に振る舞う。
(良かった。私にも、役立てることがあるかもしれない)
本格的な料理の経験はないが、人の世話ならこれまでもしてきたことだ。
「また今度、料理だけでなく、お菓子の作り方も教えてください」
「ええ、勿論。大歓迎よ。いつでも台所にいらっしゃい」
庭から自室へと戻る、ローリエの足取りは軽かった。
(クレイユ様に喜んでもらいたい)
そう思ったローリエは、初めて自分からハンナにお願いをする。
「ハンナさん。刺繍や縫い物をしたいので、裁縫道具を一式揃えてもらませんか?」
頼まれたハンナは嫌な顔をするどころか、口元を綻ばせ、静かに頷いた。
 




