夏、美術館に行く
早朝から朝日が部屋に入ってくる。
許可もなくあちこち動きまわって照らす無礼者。
そんな朝日に照らされ、ほこりはキラキラと光る。
きっとあのほこりは自分を星だと思っている。
それを見て少しにやけてしまう。
朝ごはんを食べたら、靴を履いて出かける。
行き先はいつもの公園だ。
その前にコンビニに行き、彼の好きないちごアイスを買って行く。
いつだったかアイスを買って行った時彼がとても喜んでくれたので、それからはいつも買って行っている。
相変わらず腰は痛むがだんだん早く足が動くようになった。
いつものベンチに着いて座っていると彼はすぐにやってきた。
「お待たせしました」
この夏の暑さで少し溶けたアイスを彼に渡した。
蝉が鳴いている夏の土曜日。2ヶ月毎日会ったこの場所で私達は初めて待ち合わせをした。
と言うのも今日は少年の誕生日だから美術館に行こうと誘ったところ最初は断られたが何度も誘い今日の美術館行きが決まった。
「じゃあ行こうか」
子供の頃の冒険のようにドキドキしてきた。
美術館に近づくにつれて電車の中の人が多くなってきた。美術館は夏らしい作品を集めたイベント期間中で、メインとなるのはゴッホのひまわりだった。
少年はよく向日葵の絵を描いていた。だから今回、ゴッホのひまわりを見たら何かインスピレーションを得られたら良いと思い美術館に誘ったのだ。
「思ったよりたくさん人がいるね」少年が少し窮屈そうにしながら言った。私は黙って頷いた。
そうこうしていると美術館の最寄駅に着く。
人の流れに流されると出口に着くこの感じは仕事の日の朝の満員電車を思い出す。
駅から出ても人は続いている。
こいつら普段は絵なんか見ないくせに…
ふぅとため息をつく。
「こっちだね」と笑いながら少年は言った。
久しぶりの大冒険はナビ付きだった。
美術館の入り口は混雑していたが、中に入ると自分の周りには人が少なくなった。その分、落ちたお菓子に群がるアリのように作品に人がたくさん群がっているのが見える。
その光景を見て、ため息をついてしまう。
「よし、じゃあ行こう」口ではそう言うが、私はすでに帰りたくなっていた。
ゴッホのひまわりを見るためには列に並ばないといけなかった。並んでいる間、先ほどまで見てきた作品たちを思い出す。
色々あったが、特に覚えている作品は二つあり、一つ目が水滴が色付きの水に落ちて王冠のようになった一瞬を撮った作品だ。そんな一枚あれば良いような作品が何枚もあってそれが少し面白かった。
二つ目は青い点を囲む黄色い丸、黄色い丸を囲む大きい赤い丸そんな現代アート作品があった。こんな筆と数学の時に使ったコンパスさえあれば描けそうな作品も有名な人が描いたら芸術になる。説明を見ると赤が愛情、黄色が希望、青が孤独だそうだ。未来への希望は大きな愛情に隠され、未来への希望は人の孤独を隠すと言うことらしい。
少年はその説明を聞いて作品をよく見ていたが、私にはやっぱり私でも描けそうな作品だなとしか思えなかった。
そうしているうちに私たちはひまわりに近づいていた。ひまわりの前で止まっている人に係の人が注意しているのが見える。
少ない時間で見なければいけないので少年を前に並ばせ、私は老人らしくゆっくり歩くことにした。少しずるいがとりたくもなかった歳をとったのだから老人であることを積極的に使うことに抵抗はなかった。
近くで見るひまわりは期待外れだった。
有名なのだからきっと力強く咲く綺麗なひまわりでも描いてあるのだろうと思っていたが実際のは枯れかけのような暗い色をしたひまわりだった。
少年もつまらないだろうと思ったが、彼はまじまじと見ていた。
綺麗な宝石でも見ているかのように目を輝かせ、私の方を見もせずに一言「僕はねひまわりが周りに咲いている場所で死にたい」と言った。
私は何も言わずに入り口でもらったパンフレットを見る。小さくプリントされているひまわりの下にゴッホの名前があり横にはゴッホの生い立ちが書かれている。
そこにはゴッホの弟のテオのことも書かれていた。
私はテオのように少年を支援したい。
そしてテオのように…
少年は私のゴッホになってくれるだろうか。
ゴッホの行列からやっとのことで抜け出し出口に向かい歩き出すと真っ赤な夕日の絵が並んでいた。
綺麗な絵だったので彼のために少しゆっくり見ていこうかと思っていたら、彼はチラリと見て止まることなく通り過ぎてしまった。
「どうしたんだい?」今までの絵は食い入るように見ていたのにと不思議に思い聞いてみたら
「僕は夕日は嫌いなんです。夕日は誰が見ても、誰が描いても綺麗なので僕はあの燃える夕日に才能を燃やされる気がして」
夕日が嫌いな人がいるのだとは思っていなかった。
どんなものにもそれを嫌いな人はいるとは思っていたが夕日ですらいるのか。
「次のところに行こうか」今日は彼のために来たのでそう言って歩き出した。
最後は夜がテーマだった。
夜の川の蛍の絵や天の川の絵、線香花火落ちた瞬間の写真などが並んでいた。
色々見ていると少年が向こうで七夕の短冊が書けますよと言って先に行ってしまった。
少年についていくとたくさんの子供達が短冊に願い事を書いているところに彼は混ざり願い事を書いていた。
少し離れたところで見ていると
「おじいさんも書きましょうよ」と彼が誘ってくれたので私も書くことにした。
黄色い短冊を取って願い事を考える。
とは言ってもこの歳になるともうあまり願いがないので唯一の願いを書いた。
今と変わらない日常を死ぬまで送りたい。
短冊を笹の葉に吊るすと少年のところへと行く。
私より先にいたのに随分と悩んでいる。
「何で悩んでいるんだい」
「画家になりたいのともう一つで悩んでいるんです」
「もう一つ?」
「どっちも同じぐらい大事でどちらかを選べないんです。なのでとりあえず今日はおじいさんが長生きできますようにとお願いしておきます」そう言って彼は短冊を笹の葉に吊るしにいった。
出口から出たときにはもう5時だったがまだ青空が広がっていた。
駅までの間私は絵の感想を聞きながら歩いた。
聞けばゴッホのひまわりは色の使い方がすごいらしい黄色いひまわりの背景の色も黄色ということがゴッホが上手く描いているところらしい。
ならば最初から青で背景を描けば良いのではないかと言ったところそれもあるとのこと、そこで私は初めてゴッホのひまわりは何枚もあることを知った。
そうしているうちに駅について電車に揺られて家の最寄駅に着いた頃にはもう夕日が出ていた。
私達はもう何も言わずに歩いていた。
「じゃあ僕はこっちなので」
「ああそうか。じゃあまた明日」
「また明日」
そう言って彼は夕日の方に走って行った。
私も帰り道の方向に歩き、次に振り返った時にはもう少年はいなかった。